odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

堀田善衛「ゴヤ 2」(朝日学芸文庫)-2

 1792年。失聴。右腕や足の麻痺(のちに回復)、その他の苦痛。「聾者であるゴヤに見える、またゴヤが意志的に見る現実世界には、しかし、音がない。それが純音響を伴わぬ現実である(P235)」ことを片時も忘れてはならない。

一七九二~九三年・悪夢 ・・・ ゴヤの体調が急激に悪化。若いころの悪所通いが原因かもしれないが、特定はできない。ともあれ半年の療養の結果、全聾になった。驚くべきことは、このときからゴヤはさらに進んで絵を描き続ける。

ゴヤが麻痺し、体力を消耗していることとまるでパラレルに、スペインの政治と社会までが同じような舞台を設置してくれる(P226)」。「病苦と死の深淵をのぞき見たその視線が、これまでのゴヤ自身が自分のまわりに立てまわしていた壁を突き破って行ったのである(P233)」。「彼はこの“全世界”を喪って、はじめて“現実″を得たのである。あるいは、病苦と聾のために孤独に突き落されて、この“全世界”にプラスしてかてて加えて“現実”を得たと言ってもよいであろう(P234)」。

 病や障害によって作風ががらっと変わったり、以前と異なる凄みと獲得したりする芸術家は多数いるわけであるが、凡庸な芸術鑑賞や消費をするものは、そのことに過剰な意味を与えたり、あるいは一切無視するのが常である。ベートーヴェンドストエフスキーの評論によくある。ところが、作家は距離の取り方が絶妙。それに見る眼が広く深い。なので、こういう情報を添えることができる。

「スペインでは、特に一八世紀、一九世紀には如上のような夢事情(若い女性が一人で外出したり男性と会話するのが許されていないので手話で会話する習慣があった)があって、伝統的にほとんどの人々が手話法を知っていた。だから、コミュニケーションに関しては、スペインの聾者は他の国々の聾者よりは比較的に恵まれていたと言えるであろう(P239)」。

マヌエル・ゴドイ――青年宰相 ・・・ 狩猟ばかりのカルロス四世、放蕩のマリア王妃、王妃の愛人マヌエル・ゴドイ。政治と外交はゴドイの手中にあり、1793年フランスはスペインに宣戦布告。

(「結果として、フランスにおける革命がスペインにおけるリベラリズムの芽を押し潰してしまい、その影響がイベリア半島における今日(1974年)の状況にまで及んでいる(P268)」。「さらに、スペインをはじめとしてオーストリアプロイセン、オランダ、イギリスなどが革命干渉戦争を起したことは、これも結果として、「フランス政府は平和が到来するまで革命的である」と宣言させ、非常措置権限を公安委員会にゆだね、董命裁判所では弁護や証人訊問を必要としないという、恐怖政治、ギョチン政治体制を完成させ、革命を血のなかに溺れさせることになったという指摘もなされなければならないであろう。そうして戦争はナポレオンという化物を生み出したのである(P267)」)

アルバ公爵夫人登場 ・・・ スペイン随一の貴族アルバ侯爵夫人と知り合い、もしかしたら情交があったかもしれない。侯爵夫人の家に居候し、肖像画を描き、スケッチ(「サンルーカル画帳」など)を残した。ゴヤの幸せな5年の日々。1802年に侯爵夫人死亡。

マドリード画帳――一つの裂け目 ・・・ 大病のあと、デッサンの即興画を描くようになる。詞書がかかれるようになる。マンガ、風刺、小説(物語性)、リアリズム・・・。奔放な想像力であるかのようであるが、時代の図像学を忠実に守っている。

『パンと闘牛』・知識人たち ・・・ 1799年、フランス革命の影響で、スペインの問題を鋭く告発するパンフレットがでる。その内容はいかにゴヤの画集「気まぐれ」に似ているか(逆だろう、ゴヤは読んで影響された)。

「社会の「過誤と悪徳」、「狂態と愚行」「偏見と欺瞭」、「無智と利害」――しかしゴヤは道学者ぶって、一方的に自分の方から酷評を加えているのではない(P371)」。

パンフレットや版画集は政治活動(「調刺、時代と社会に対する批判、人間性批判」)のメディアとして盛んにつくられた。
 フランス革命の影響は国境封鎖で阻止したが、軍隊を率いてきたナポレオンには占領される。のちに親フランス派の皇帝がでて、ナポレオン失脚後にはもとの王政にもどる。たかだか20年に起きた激変は知識人を翻弄する(首相や閣僚になったと思えば、逮捕・勾留・追放されたり)。ゴヤの知り合いの知識人も翻弄され、ゴヤも同様に亡命を余儀なくされる。ゴヤは初めて外国人(フランス人)の肖像画を描き、彼のおかげでフランスに紹介される。のちにゴヤを賛美したのがボードレール
フランス革命の影響は肖像にも反映する。モデルはカツラや豪華な衣装を着ていたのが、カツラをかぶらなくなり、ブルジョアの礼服になり華美さが消える。)

パドゥアのアントニオ聖人 ・・・ サン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ礼拝堂の装飾画の主題がタイトル。でも宗教画ではなく、スペインの風俗画の趣き。鬱の「気まぐれ」に対してエネルギーに満ち、活気に満ちた装飾画。ローマ教会に直結している教会なので、異端審問所も手を出せない。

「この「宗教画」は、西欧における教会装飾、あるいは教会荘厳のための宗教画としては、おそらく最後のものである(P417)」。

近世が近代に変わる転換点をゴヤを通して読者はみる。

首席宮廷画家、そして近代の誕生 ・・・ 1800年「カルロス四世家族図」。この絵で

「首席宮廷画家から、単なる画家、独立した芸術家への移行(P422)」。「かくも美々しい衣裳をまとい、金銀宝石に飾られていて、しかもなおかくも資性愚鈍かつ低劣な人間群衆をかつて見たことがない(P425)」。

近代の誕生とは、描かれた王制が退廃してどうにもならなくなっている(から市民やブルジョアの革命がおきる)ことと、書いている画家事態の独自性と独創性が初めて問題になってきたこと。

チンチョン伯爵夫人像 ・・・ ゴヤが描いた三百数十枚の肖像画中の最高傑作であるチンチョン伯爵夫人像。王の娘でありマヌエル・ゴドイの妻にさせられた薄幸の女性。1808年にクーデターでゴドイ失脚。カルロス4世退位。

自画像 ・・・ 1800年メガネをかけた自画像。「私にはこの自画像が物語っているものは、そうだ、おれは画家だ、そうして画家にならなければならぬ、という咳きであると思われてならぬ(P449)」。宮廷画家になってからの仕事は「カルロス4世家族図」のみ! しかし死ぬまで称号と報酬を享受した。1802年マリア=テレーサことアルバ侯爵夫人死去。

 

 

 ゴヤの個人的な問題と、スペインの社会的な問題がリンクして、彼個人をみることが社会の全体を見るカギになる。政治家ならまだしも可能な視点を芸術家や知識人に見る。これはなかなかできない。ゴヤの同世代人にモーツァルトベートーヴェンがいるが(ただしベートーヴェンゴヤの息子かそれより下)、彼らの評伝からヨーロッパの社会や政治も問題をよむことはなかなかできない(20世紀まではにしておこう。最近の研究は知らない)。そこを堀田善衛は若い時からできている。それに人物の選択もユニーク。

  

 

2022/09/02 堀田善衛「ゴヤ 3」(朝日学芸文庫)-1 1975年に続く