odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

堀田善衛「ゴヤ 1」(朝日学芸文庫)-2

 絵師は、画布に向かってだけではなく、建物の壁面に直接描く場合があった。その建物が他人の手に渡ったり、政府組織(端的には軍隊)が使ったり、外国の集団が接収して使ったりすると、絵の価値がわからずに、ずさんな使い方をする。建物の修復のさいに、勝手に手を入れられたり、上から別人が描いたりもする。あるいは火事、内乱や戦争(スペインは数十年おきに外国軍がやってきたし、暴動もしょっちゅうあった)で失われることがある。ゴヤも一時期は忘れられた絵師であって、いくつかの作品は上書きされ、失われた。

ふたたびサラゴーサヘ ・・・ 

「一人の芸術家に接して、その仕事振りを見て行くについて、もっとも大切なものは想像力なのであって、想像力を欠いて、日付けだの、文献による証明だのばかりにこだわった鑑賞や研究は、芸術に関する限り、鑑賞や研究の名にさえ価しないものである(略)。一人の芸術家、一つの作品に接すること自体が、すでに各人においての、一つの伝説形成への過程なのである。その伝説形成のためには、ゆたかな想像力を必要とするであろう。だから、正確な日付けや道程がわからない部分は、むしろ各人の想像力においての財産である(P217-18)」。

 1771年、サラゴーサに帰還。エル・ピラール大聖堂の天井にフレスコ画を描く。最初の成功。1773年親友で宮廷画家の妹ホセーファ・バイユーと結婚。爾後40年間に20人の子を産ませる。育ったのは一人のみ。「エゴイストで恥知らずの牡馬」。若いところの悪所通いで得たもののため。1780年、アカデミイ会員になる。出世の糸口。
 18世紀に恋愛は成功を意味していて、一夫一婦制は建前としてはあったが、実質はフリーセックス(懐かしい言葉!)。フランス革命によって18世紀の遺風(自由な有り方)が強力に否定されて、厳格なロマン主義(一人のパートナーだけを絶対、至上とみる恋愛)に変わった。あと、階級ごとの華美な服装が廃され、だれもが同じ服を着るようになったのもブルジョア革命以降。

王立サンタ・バルバラ・タピスリーエ場 ・・・ 15-16世紀に南米他の植民地をもっていたとき、大量の金銀はスペインを素通りしてイギリス・オランダ・フランスなどへの支払い(戦費、装飾品他)に消えた。庶民には恩恵がなかった。宮廷は官製工場などを作って地場産業育成を試みたが、外国人経営者や技術者が引き上げると、赤字になり技術が落ちた。外国文化に依存しているので地場の文化もない(ろくな作家、音楽家がいない)。停滞と沈滞のあとに、人々はようやく下や人間相互を見るようになる(フランス革命、スペインの反ナポレオン戦争独立戦争以後)。そこにおいて

「人々の視線が上をではなく、下を、あるいは人間相互を相対的に見はじめたとき、バロック新古典主義も終っていたのである。イデオロギーとしての新古典主義は、バロックロココ趣味の官能性に対して、古代の堅実かつ質素な生活を描き出すことによって、新たに擬頭して来ていたブルジョアジーに、一つの新たな道徳観を与えることにあった。けれどもそのブルジョアジー自体の成長が、そういう堅実、質素な道徳観を乗り越えて行ってしまう(P290)」。

 ゴヤはこの工場でタピスリーの原画を描く仕事を受ける。宮廷依頼の仕事をするにおいて、フランスの「田園」に当たる画題を与えられるが、スペインにはそういう風景はないし、ゴヤは知らない。そこでゴヤ(および当時の画家)はスペインの下層階級を描く。それがマホ(男)、マハ(女)の絵となり、市民のダンディを記録する。(スペインでは外国文化とそれを謳歌する宮廷や貴族に反対するなかからナショナリズムが生まれる。)
(この章では同時代のカサノヴァの手記を参照して、外国人の眼から見たスペインを描く。)

いわゆるベラスケスの“発見”について ・・・ 1778年の大病のあと、宮廷からベラスケスの模写(銅版画)を指示される。ゴヤは忠実な複製をしないで、カリカチュアしてしまう。

「逃げたり、そらしたりも自己自身に到達するための道なのである。彼は壮年に達するまで、自己自身に到達するための直接な道をもたなかった(P353)」。
「各人はアラゴン人、アンダルシーァ人、カタルーニァ人ではあっても、自分がスペイン人、スペイン国民であるといった自覚は、民衆段階ではほとんどなかったのである。国民としての自覚は、むしろ植民地へ出て行った人々にあった(P344)」。

 ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」1983で指摘されていることを1973年に先取り。

アカデミィ会員=ゴヤ ・・・ アカデミイ会員になる。マドリードの仕事は順調。故郷サラゴーサの大聖堂に呼ばれて、仕事をする際に師匠(かつ妻の兄でアカデミイの権威)に反旗を翻し、決裂。1784年、マドリードのサン・フランシスコ・エル・グランデ教会の壁画で成功。

内閣総理大臣フロリダブランカ伯爵 ・・・ 教会の仕事でつてのできた総理大臣の肖像画を描く。

自画像 ・・・ 40歳。すでに大金を稼ぐ画家であり、一族を養う責任をはたしている。世俗的な成功は自画像にみることができ、そこには肖像画画家の大勢順応の絵師ではない技術が生まれている。しかし

「彼はすでに彼自身に到達しているのに、彼自身はそれに気付いていない…(P418)」。

突然のスランプ。

 

 作家はゴヤに憑依しない。彼の考えを会話や内話で代弁したり創作したりすることはない。彼と語り合うこともない。彼の生涯に関する研究書を読み、その地を訪れ、なによりも絵を見る。そうやって自分の<外>に置く。読者は直接ゴヤの内面を知ることはない。ほとんどこの精力的で粗野な男に共感を持たない。しかし、作家の筆が通ると、彼の在り方がきわめてリアルに想像できる。客観化の果てにおいて、人間がほうふつとするという逆説。それを実現するのは作家の文体に他ならない。

 

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2022/09/06 堀田善衛「ゴヤ 2」(朝日学芸文庫)-1 1974年に続く