odd_hatchの読書ノート

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大岡昇平「俘虜記」(新潮文庫)-2

2015/04/07 大岡昇平「俘虜記」(新潮文庫)-1

 アメリカ軍の捕虜となり、マラリアの治療が進むと、息切れと立ちくらみで動けない。診断は弁膜症。2か月の療養ののちに、病院棟をでて一般収容所に移動する。昔習った英語が、せっぱつまって口からほとばしると、「私」は通訳になり、収容所の特権階級になる。
 当時のアメリカは戦時統制経済を行いながら、遊休資産と失業者をうまく使うことにより空前の大好況。戦災を受けていないので、生産量と効率が高り、失業率が低下し賃金も上昇(PKD「小さな場所で大騒ぎ」でふれている)。それは軍隊のロジスティックスに反映して、太平洋の隅々にまで豊富な物資を送っていた。収容所の食料は米軍のレーションを使っていたが、日本では市場から消滅した物資(砂糖とか肉とか酒とか)が大量にあり、とくに南洋諸島で飢餓にあったこの国の兵隊は喜んで食する。なにしろ2700Kcal/dayの食料は当時の日本の平均摂取量を越え、収容所内ではほぼ無為であるので、俘虜は肉をつけ太ったのであった。そのうえ俘虜にも給与を支給し、外勤作業には報酬がでるようになっている。外勤作業といっても、強制労働などではない。そんな労働力をあてにするより、ブルドーザーとトラックでいっきに地ならしし、プレハブを建てるほうが早いし安上がり。なので、俘虜の仕事は荷役か清掃という軽作業。

パロの陽 ・・・ 病院にいる何人かの日本兵のスケッチ。勇敢で心優しく礼儀正しいという兵士の印象が覆される。エゴイストで無知で傲慢で卑屈で偏執的な人格、多種多様。2か月間の病院生活ののちに退院。「私」は健康人の俘虜収容所に移動することを恐れる。日本人の統治に入ることへの嫌悪。
(当時、グアム、サイパンが陥落し、沖縄戦が始まっていること。それは俘虜たちには知らされない。彼らは無邪気に俘虜生活を楽しむ。あと、護送中、村の中を走るとき、フィリピンの人々は日本兵俘虜を罵倒している。彼らの心中において、日本軍は解放者ではない。)

生きている伴虜 ・・・ 俘虜収容所の日常。古参の俘虜が統率者になって、スタッフと棟長がいる。所内ではすることがないので、無為で怠惰。食事だけが楽しみで、皆太る。
絶滅収容所と比較されるが、目的がなく刑期が不明であるのが共通点。アメリカの収容所では「お前は無だ」という強迫や拷問がなく、高カロリーの食事が提供されるのが違い。その時、「私」は同朋に「テレ」を感じる。「恥じつつ文明国の俘虜の特権を享受する(P189)」ことをこの国の人は初めて経験し、今後はないだろうと予感する。これは中国やソ連の収容所の俘虜との大きな違いだろう。)

戦友 ・・・ 「私」が所属していた部隊約80名の俘虜を探す。8名と再会し、彼らをスケッチする。昭和19年3月に召集された部隊は30代の妻子持ちの補充兵か20代そこそこの現役の若造ばかり。そして民衆や大衆の悪いところばかりがめにつく。それでも学ぶことはあったといい、

「旧日本軍はその様々な封建的悪弊が兵士に忍苦を強いたから悪いのではなく、悪弊の結果負けたから悪いのである(P199)」

と総括する。
(この日本的心性の批判はおもにふたつか。内に対しては権力を私的に使い、権力者に阿諛と追従をへつらい虚言を呈し不正を働き陰口をたたく。外に対しては権威づくで暴力をふるう。そのうえ、ここでは比島の敗残日本兵が人肉食をした可能性があるとされる。それらを総じて「市民的エゴ」と呼ぶ。まあ、戦闘に敗れ、山中をさまよい、俘虜になったものには、美しく恰好いい正義感あふれる日本兵はひとりもいなかったということだ。)

季節 ・・・ 3月になり沖縄戦が激化。看守の一部は沖縄に転線し、ドイツが降伏する。しかし囚人は無反応、無関心。このころには旧軍の秩序は解体し、下士官と一般兵の区別はなくなる。といって民主的な手続きで長が選ばれるのではなく、村の長老が決まるような俘虜の古参たちの思惑で決まる。「私」は暇なので、シナリオを描いて、買文業をしたりする。
(俘虜ないし囚人という境遇におかれたとき、この国の人たちは民主主義をつかえず、といって軍人勅諭教育勅語の指導を実践しえず、ということだ。配給食糧を押領したり、特権者だけで美食を楽しんだりする。そういう腐敗や退廃、怠惰に簡単にいってしまう。その誘惑というか転落は「私」にも起きているし、読んでいる自分自身もそうなるであろう。)

労働 ・・・ 6月になってフィリピン最大の収容所に移動。そこでは、俘虜は250人を一中隊に再編成され、中隊長を決める。一中隊には一名の米軍士官がつく。それによってかつての日本兵俘虜のシステムは権力が弱まる。俘虜には1日3ドルの給与と外内業の手当てが出るようになる。何もすることのない俘虜は外業で外に出たがる。「私」は通約と事務の役職について、もっぱら収容所内で過ごす。空いた時間は雑誌で探偵小説を読んで過ごす。
(「私」の観察はもっぱら俘虜たちにむかう。働き者と怠け者が生じるとか、退屈のあまりに怠惰になるとか、盗み・横領・賭博にふけるとか、彼の目に映る日本人は情けない限り。労働と貨幣のない「ユートピア」において退屈の末に怠惰で退廃になる。これは小市民や農民にだけおこるのではなく、知識人にも起きている。それは自分にも起こりうること。なので「度し難い」と思いつつ、退廃する自分を嫌悪してしまう。)

八月十日 ・・・ 1945年8月。7日広島の原爆投下、9日ソ連参戦、10日長崎の原爆投下とポツダム宣言の部分的受諾。これらの報が入り、俘虜は10日に敗戦を迎える。このとき、台湾人俘虜の収容所から歓声。切り込むと意気込む俘虜もいたが、だれも実行しない。16日天皇玉音放送の翻訳を読む。
(政府が国体護持の条件確認他でごたごたしている間、降伏を促すために米軍は地方都市の空襲を繰り返した。そこで死ぬ同朋のことをおもって「私」はいらだち、

「俘虜の生物学的感情から推せば、八月十一日から十四日まで四日間に、無意味に死んだ人達の霊にかけても、天皇の存在は有害である(P351)」

と述べる。のちに、著者は文化勲章を「俘虜だったので」という理由で受賞を拒否するが、謙遜や卑下ではなく、その理由はたぶんこれ。)


 「私」の派遣された島は米軍の主要戦略地ではなかった。そのために、激しい戦闘を受けることはなかった(かわりにロジスティックスが壊滅したために、物資の不足により飢餓と病気が蔓延。多くの兵士はこれで死ぬ)。補充兵ばかりの部隊は占領や統治にかかわっていないので、戦争犯罪者としての自覚に乏しい。そのうえで、おそらくもっとも優遇された収容所に日本軍兵士が収容される。収容所の待遇は上記の通り。そのうえ、フィリピンの憎悪から彼らを守る役割があったので、収容所から脱出するものは少数いたが、多くはそのまま残った。物資の豊かさと、義務や労働からの解放は、彼らをして「人生で最良の時」といわしめたりもする。
 さて、日本軍と日本社会にみられる階級や制度でがんじがらめになっていたものが、俘虜において軍隊の階級を剥奪され、全員が同じものを食い、同じように何も持っていないという状態になる。いわばベンサム的な「自然状態」が訪れた。あるいは労働と貨幣と家族のない共産主義ユートピアが強制的に彼らに降ってきた。そこにおいて、日本人はどのような仕組みをつくったのか。
 そのような視点でみるとき、自分は絶望せざるを得ない。制限された中でも自由、平等、友愛の共同体ができるのではないか。直接民主主義が実行されるのではないか。まあ、革命や独立を目指すアメリカやフランスやソ連で起きたコミューンと直接間接のさまざまな民主主義の実験を期待したいわけだ。それは、見事に裏切られる。

大岡「解放軍だって日本を理想的な民主主義にする余裕なんかないっていうことがわかっていたわけだ。アメリカを解放軍だっていったのは、フィリピンと日本だけなんだよ(大岡昇平/埴谷雄高「二つの同時代史」岩波現代文庫P283)

 彼らの作ったシステムはこうだ。先に俘虜になったものが収容所で幅を利かせていて、所長などなどの役職を独占する。そのまわりには阿諛追従がはびこい、諂いと密告をして、よそ者や敵対者を排除する仕組みになっている。特権者は米軍の物資や作業を配分する権利を独占する。そこにはもちろんピンハネがあり、自分のふところを豊かにする。豊かになった分は、取り巻きと一緒に豪奢にふるまう。それの参加できるのはごくわずか。なので、一般俘虜はその仕組みに加わろうとする。
 労働のないユートピア状況では、人は時間つぶしの方法を考案しないといけない。それは収容所の建築や外業の時には発揮もされよう。熱心な労働者もいる。でも、そこには横領・横流し不正経理・盗難などさまざまな悪徳も付きまとう。事務や経理をしているものは物資の配分で、炊事担当は食料を隠匿し、外業にでるものは米軍物資の盗みを行う。発覚しそうになると、虚言をつき、言い逃れ、責任をとらない。隠匿した物資はインサイダーで消費するか、賭博の掛け金となる。このようなこの国のダメなところを体現した連中が、所長から一般俘虜までほぼ全員にみられる。典型と類型の展覧会。
 もちろん、ダメなもののひとりであることは「私」も自覚している。収容所では、きわめて少ない知識人、文化人であって、彼はドストエフスキーの「死の家の記録」のように俘虜の動向を観察するのであるが、そこには知識人・文化人の民衆への蔑視が露骨に表れている。英語がしゃべれるという特権を使って、彼は外業にも内業にも参加せず、親しい米軍兵士や士官とおしゃべりし、英文雑誌をもらってひがな探偵小説の耽読にふける。そのような無為、怠惰もまた収容所の俘虜に典型的にみられたもの。
 ようするに、衣食住の確保されたユートピア状態でこの国の人は退屈のあまり怠惰になり、道徳的な退廃を現してしまうのだ。そして最大の権力である米軍(数日前までの敵軍)に首を垂れ、一切の抵抗を放棄し、阿諛追従をおこない、「専制に慣れた彼等は、刑罰のないところでは、恣意の動くままに任せるという怠惰に抗しきれない」で、盗みや横領や不正を日常に行う。権力者は権力を保持していることを確認するために、権力をふるい、非権力者は抵抗するどころか追従してへつらう。ああ、もう書いていていやになってしまった。
 書いている「私」を馬鹿に見せることによって、俘虜という待遇において平等になった日本人をおもしろおかしく書いている。ときどき、その滑稽さに哄笑する。でもその笑いはすぐに凍り付き、いやな気分になる。おれたちはこういう度しがたい人間の一員なのだ。そのようなだらしのないものが、戦争を行って、人の資産を破壊し、強奪し、難民をつくり、殺してきたのだ。

2015/04/09 大岡昇平「俘虜記」(新潮文庫)-3