odd_hatchの読書ノート

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エリヒ・レマルク「西部戦線異状なし」(新潮文庫)エリヒ・レマルク「西部戦線異状なし」(新潮文庫) 死を無価値化・無意味化する政治と戦争の愚かしさと恐怖を、即物的で淡々としたジャーナリスティックな乾いた文章でつづる。

 19歳の少年ポウル・ボイメルはのちに第一次世界大戦と名付けられた戦争に動員される。10週間(短い!)の軍事訓練で、西部戦線に派遣され、フランスやベルギー軍と戦うことになった。同じクラスから数十人も招集されていて、すでに数名は戦死している。そこから始まるポウル少年の手記。

 なんとも感慨深いのは、あるいは既読感があるのは、中学生の時に読んだからでもあるが、戦争の他の本を読んでいるため。ポウル少年のいる側の向うには、中年のアンリ・バルビュスがいて銃を構えていた(「クラルテ」)。イタリア戦線にはヘミングウェイも従軍記者として戦闘を経験した(「武器よさらば」)。チャップリンが従軍兵の生活を笑いにしていた(「担え銃」「独裁者」)。のみならず、この小説の歩兵のありさまが第2次世界大戦で、中国や満州の戦線で、スペイン市民戦争で、朝鮮戦争で、ベトナム戦争で、ほかの戦争や紛争で、招集され従軍した無数の兵士と同じであるから。この小説には、日付も地名も敵の名前も書かれていないが、記述されている詳細は、他の戦争に参加した兵士にはすぐにピンときて、深い敬意と共感をもって作者(ないしポウル少年)と握手するだろう。それくらいに内容は20世紀以降の戦争には普遍的なのだ。
 ポウル少年は生徒の時には文学愛好家。古典小説を読破し、同人誌をつくるような早熟な子供だ。それが卒業と同時に召集され、戦地の第一線に投入される。そこでの経験はインテリとしての矜持や希望を捨てさせられる。兵隊暮らしにはそのような教養や判断は不要。砲弾による破壊、新兵器の恐怖、周囲に誰もいない荒野、空腹、不潔、糞便の匂い、それらに囲まれて少年はスポイルされていく。退屈と緊張、悲惨と憤怒、絶望とストレス、退屈と不眠、このような非日常的な体験にさらされて、兵士の人格は単純なものになる。すなわち、孤独、希望の喪失、無感情、ささいなことからの暴力の噴出、刹那、恐怖を忘れ他者の尊厳を無視する。とりわけ問題になるのは自分を人間として価値がないとみなす自己評価の低さ。それが戦友への過剰なほどの連帯意識と、敵への憎悪となる。知的な人、人格円満であった人でもそうなってしまう。そこが恐ろしい。そのうえで、このスポイルがのちのどの戦争、戦場、テロの現場において起きていることに恐怖する。
(とはいえポウル少年も招集時にはイノセントで無知であったことで免責され、被害者であるかというとそういうことはない。戦地にいって彼を含む兵士は、放置された建物からの物資奪取や破壊、農産物や家畜の強奪、女性の強姦など数々の不法行為をしている。それは小説中に書かれている。ポウル少年はそのことを反省しないし、同僚がやるのを止めることもなく、率先して参加する。)
 物語は、大きく新兵時代、中堅時代、一時帰郷、再召集、ベテラン時代と分けられる。その間(3年間)に、上記のようなスポイルが進行する。決定的なのは、一時帰郷で家族と再会したとき。兵士の経験を積み、戦場と戦闘のプロになった20歳そこそこの少年は、後方で家庭生活を営む市民や家族と共感できない。母「つらかったかい」の問いに、ポウル少年は「話してもお分かりになりますまい、決して」と考える。しかしそれは口にするべきことではない。両者をつなげる言葉ではないから。なので、ポウル少年は口ごもり、「たいしたことはない」と返事する。その苦渋は、たとえばベトナム帰還兵の記録(生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」ちくま学芸文庫)や俘虜になった日本軍兵士の記録でも見られることだ(高杉一郎「スターリン体験」岩波現代文庫フランクル「夜と霧」みすず書房など収容所体験でも同様にみられる)。
 そして、この第一次世界大戦では新兵器がさまざまに投入された。探照灯、飛行機、自動車、鉄条網、タンク、毒ガス、火炎放射器。それらは人間の死の尊厳を奪うと同時に、戦場を死と腐敗の匂いで充満させる。この少年も敵の死体、味方の死体、住民・市民の死体、家畜の死体を見て、臭いを嗅ぎ、足で踏む。ときに自分の殺した敵兵と塹壕で一夜を明かすまでになる。死が充満し、無意味・無価値になった世界。それは「地獄」と呼ぶしかない(とはいえさらに悲惨で残酷な地獄をアウシュヴィッツ広島、南京などに現出してしまったのだ。なるほど人間は度し難い)。
 さて、ポウルは19歳で招集され、3年間も兵隊になる。1918年秋になると、いっしょに招集されたクラスメイトは全員死に、戦友も全員戦死した。最後に残ったポウルも10月についに戦死する。

「その日は全戦線にわたって、きわめて穏やかで静かで、司令部報告は『西部戦線異状なし、報告すべき件なし』という文句に尽きている(P332)」

 黙祷。死を無価値化・無意味化する政治と戦争の愚かしさと恐怖。休戦は戦死直後の11月。
 この小説には形容詞・副詞、比喩がない。即物的で淡々としたジャーナリスティックな乾いた文章で、事実と事物しか書かれない(戦争文学の常として食・糞・性はある)。それが戦争のリアリティであるのだろう。1929年初出。この国には同年に翻訳されたらしい。なるほど書かれた日付は古い。しかし内容はいまだに生きている。アニメや映画のようなきれいで安全な戦争はこの世界にはないことを知るために、繰り返し読まれるべき。ポウルと同じ19歳から25歳の人たちにとりわけ。

    


<参考エントリー>
アンリ・バルビュス「クラルテ」(岩波文庫)
モーリス・ルブラン「オルヌカン城の謎」(創元推理文庫)
ジョージ・オーウェル「カタロニア讃歌」(現代思潮社)
ブライアン・オールディス「兵士は立てり」(サンリオSF文庫)
野間宏「真空地帯」(新潮文庫)-3
大岡昇平「俘虜記」(新潮文庫)-1
開高健「ベトナム戦記」(朝日文庫)
生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-1
生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-2
生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-3
生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-4
石川文洋「戦場カメラマン」(朝日文庫)-1
石川文洋「戦場カメラマン」(朝日文庫)-2
マリオ・バルガス=リョサ「都会と犬ども」(新潮社)-1
マリオ・バルガス=リョサ「都会と犬ども」(新潮社)-2