odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

中村紘子「ピアニストという蛮族がいる」(文芸春秋社) 規範からはずれた神話的なスケールの奇人変人ピアニストと挫折した日本人女性ピアニスト。

 ピアニストが同業他社のユニークな所業を紹介した。観客としてだと、ステージか録音/録画でしかピアニストを知るしべはなく、おおむね会話ができない。なので、ステージの下やスピーカーの前にいるものは、ピアニストにスター性やカリスマ性をみたりする。そういう観客の側の思い込みを訂正するとともに、彼らもまた苦しみ笑う人間であることを知らしめる。
 ここに取り上げられるのは、とてもユニークなピアニスト。著者の言によると、職業のステージピアニストは、3歳くらいから練習を開始し、15歳までにはほぼテクニックをマスター。あとは譜読みの深さと表現力を高めるための練習がまっているが、それが毎日6-7時間(紹介されたパデレフスキーは17時間に及ぶこともあったとか)を連日継続。その間、人と会わないものだから社会性に欠け、感情のコントロールのできない場合もあるという。カリカチュアライズすると、「のだめカンタービレ」の主人公になるのだろう。

 まあ、おおむねの演奏家はどうにか円満な人格を持つことができるようだが、どうしても規範から外れる人も生まれてしまう。そういう「野蛮」な方々を紹介する。取り上げられるのは
ホロヴィッツ ・・・ 感受性が高くて傷つきやすく、一方で名誉と金を要求する人。トスカニーニ家との「不幸」な結婚。
ラフマニノフ ・・・ 「サヴァン症候群」らしい心身の不調を抱え、豪放そうな外見とはうらはらの憂鬱な心の持ち主。
パデレフスキー ・・・ 24歳になってからピアノの習得を開始したという遅咲きのスター。
アイリーン・ジョイス ・・・ タスマニア島出身の野性児がロンドンで成功し、映画スターになる。キャリアの半ばで引退。
パハマン、ミケランジェリ、グールド ・・・ 奇癖の持ち主たち。
 現在のプロ演奏家の在り方とマネジメントでは、もはや職業演奏家にはなれそうにもない人たちばかり。他の楽器と比べるとピアノの誕生は遅いのだが(モダンピアノは1830年代に生まれたという認識でよいかな)、ショパン、リストのあと、ピアノに魅かれ、たくさんの演奏家が生まれた。その中でも20世紀前半には、神話的なスケールの奇人変人がたくさん誕生した。それは、一方では19世紀の全寮制学校のような厳格で威圧的・暴力的な教育システムがあったわけで、彼らの自由奔放さはその裏腹なあらわれであったのだろう。ああ、そういえば、19世紀後半から20世紀前半には、キャバレーやサーカスみたいな場所で演奏していて、そこから楽壇に這い上がった演奏家もいたのだった。このような芸人育ちの人は本書では取り上げられていないが、そういう人もいたことを覚えておこう(有名どころはシモン・バレール、ジョルジュ・シフラ、パーシー・グレインジャーかな。ヴァイオリンだとジャック・ティボー)。
 さてここには二人の日本人ピアニストが登場。幸田露伴の妹にあたる延と久野久。前者は明治の初めの生まれで、この国最初の洋楽作曲家でピアニストでヴァイオリニストで女性の大学教授。後者は明治の終わりの生まれで、身体障害(子供のころの事故が原因)をもちながら音楽学校にはいり、大正期には「この国の最高のベートーヴェン弾き」といわれた。二人は、ウィーンやベルリンに留学し、手ひどい挫折を経験。前者はこの国の男性社会のやっかみであるし、後者は当時のこの国のピアノ教育が「本場」では通用しなかったこと(著者によると久野久を育てた「誤った」教育システムは1990年当時でも残っているという)。この二人は、西洋をいかにして理解するかという問題を身体で味わったわけだな。彼女らの身体に沁みついた邦楽や民謡がどんなに西洋理解の邪魔になったか、先方の無理解を生んだのか。このあたりの克服というか理解が可能になるまで、まだ時間が必要だった。ここにもう一人、原千恵子の名を加えると(石川康子「原智恵子 伝説のピアニスト」ベスト選書)、20世紀前半にピアノを受容しようとして挫折した女性を代表することができるだろう。彼女らについて書かれた複数の章は、重要な内容と問題提起。
 それにしてもなあ、とため息をつくのは、著者はピアニストとしての名声だけでなく、ピアノコンクールの審査員、音楽教育家であり、趣味の絵と料理でも相当な腕前。そのうえ、このような深い調査をして、達意の文章を書ける。なんとも多彩な才能の持ち主。観念語を多用する文体も男勝りの硬質なもの。自己主張の強さは、文体にも表れているのだろうな。
 1990年から1年半ほど雑誌に連載されて、1992年に単行本化された。

  


<追記 2015/12/15>
 この本の久野久の記述に対する反論があったので紹介します。
http://blog.livedoor.jp/bookshell/archives/cat_48796.html


<追記 2016/7/29>
「日本を代表するピアニストで、世界的に活躍した中村紘子さんが、今月(2016年7月)26日、大腸がんのため、東京都内の自宅で亡くなりました。72歳でした。」とのこと。
 数々の演奏をありがとうございました。
 忘れがたい映像は、1960年のNHK交響楽団の世界一周演奏旅行に帯同した際の演奏。16歳なのが脅威であるが、なんと振り袖姿。後年このときを述懐したインタビューを聞いたが、肩が重くて若いからできたというようなことをおっしゃっていた。
1960年 10月19日 イギリスBBCスタジオ収録。
指揮:ウィルヘルム・シュヒター 管弦楽NHK交響楽団
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