2018/11/08 フレドゥン・キアンプール「幽霊ピアニスト事件」(創元推理文庫)-1 2008年の続き
1949年の物語も同時に語られる。1940年、ポーランド出身の青年(主人公)たちがナチス隆盛期のドイツを逃れて。パリの社交界に入り込む。サロンがまだ残っていて、フランスの貴族や亡命貴族などを相手にピアノを弾いて生活する(ときに金を持っている女の子を誑し(たらし)込む)。ナチスがパリを陥落してヴィシー政権をつくったとき、青年たちはポーランド出身かつユダヤ人であることから、パリを逃れることにする。懇意にしているしかし厳格な貴族の紹介でスイス国境付近の家に行く。そこにはソ連出身の偏屈な老人が住んでいた。ピアニストの卵に初めての肉体労働はきついが、知的な飢えに苦しむ。老人の書斎にある古い本(プルーストやドストエフスキー)を読み、遠出をして廃墟に残されたピアノを弾く。それが発覚して、老人は銃殺。青年たちは辛くも逃れ、スイスで戦争終結を知る。パリに帰還したとき、パルチザンに参加した年少の少女になじられる。新たにソ連で芸術家が弾圧されているので、脱出資金をウィーンに届けるという冒険を依頼される。
自分はこの背景にあるできごとを即座に想起できるので(この読書ノートにも関連書籍多数紹介済)、こちらの物語に共感した。ロシア革命とナチス政権は、1929年以降の資本主義自由経済の限界を突破する魅力的な思想として、ファシズムとボリシェヴィズムを提示する。多くの若者が魅了されたとはいえ、強い自由主義者はいずれの全体主義や国家主義には賛同できない。とはいえ、個人であることを強く意識せざるを得ない戦時体制で、全体主義や国家主義に対抗することは強い決意を必要とする。自由主義者も抵抗したのであるが、彼らは最初に死んでしまって、この青年たちのように逡巡し、躊躇し、いわば日和見と目されることになる。戦後、たたかったものが帰還したときに、彼らへの批判や痛罵は厳しく、強い反省と自己嫌悪は新たな無謀な冒険に人を駆り立てる。戦争や革命に「遅れてきた青年@大江健三郎」は失地を挽回するために、より過激に冒険的になるのだ。
パリでは戦争体験および占領体験が人々を変える。パリにもどった二人の青年は再興されたサロンに入り込むが、もはや以前の雰囲気は戻らない。ドレスコードが破られ(正装しない)、マナーが破られ(女性が人前でシガレットを吸う)、それはとがめられることはなく、戦前の安穏さは回復しない。ナチスや戦争の野蛮が19世紀を作ったブルジョアの文化を破壊したのだ。
それは芸術観においてもそう。1999年の音楽大学でのリサイタルなどで、20世紀前半に生まれた青年たちは、もっと後の世代の演奏に驚く。作曲者の背景や作品の書かれた状況を無視した「破廉恥」な解釈があり、スポーティブな快感だけを追求した演奏があり、ほかの作品を知らない独りよがりな解釈があるという具合(そういうのにはしゃぐのがアジア系の留学生というのが耳に痛い)。岡田暁生が「音楽の聴き方」(中公新書)で同じような演奏や解釈を批判していたが、それと同じ文脈で地に根差していない芸術が批判される。
作中人物の会話に「神の存在が信じられなければ(中略)、人間に残されたものは芸術しかない」というのがあった。これは、ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)がいっていたことを証拠立てるような言葉。すなわち、ドイツでは宗教が世俗化して、宗教的な情熱の行き場がなくなったので、哲学と音楽がその代わりになったという。世俗化していうなら、プロテスタントになって教会儀式が簡略になったので、教会で行われるさまざまなお祝いやお祭り、行事がなくなり、別に情熱を傾けるものを見つけようとした。一人でいるときは聖書の代わりに哲学を読み、複数いれば音楽の演奏を楽しむというわけだ。そこにナショナリズムを加えたりするのが19世紀のドイツロマン派のやりかた。このような情熱の行方として芸術がある。
(以上を書いたのは、「犯人」の動機に触れているから。この奇妙な動機が成立するのはドイツであるからに他ならない。あとひとつは、国家のアイデンティティを芸術にも求めたソ連の社会主義リアリズムがあるところ。いずれも本作の重要なテーマです。日本の「新本格」と違うのは、このような社会と芸術の問題に青臭いながらも取り組んでいるところ。)