odd_hatchの読書ノート

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大西巨人「天路の奈落」(講談社)

 1950年のこの国の共産主義運動を自分の知っている範囲で書き出すと、大きなのはレッドパージ朝鮮戦争勃発後のGHQの指導方針変更(民主主義定着のために労働運動を隆盛にするから、反共へ)があって、公務員や企業労働者のうち党員が解雇された。内部では所感派(コミンフォルム批判)と国際派(コミンフォルム支持)に分かれて論争していた。党からすると、互いに分派闘争をするハネ上がりにみたのだろうね。あと、当時労働組合の組織率が高く、大衆の支持もあった。この小説からすると、地方や本部には「ダラ幹」のような腐敗分子もいたということになる。

 「時はまだ戦後の混乱が続く1950年、西海は鏡山県における日本前衛党でのことである。西海地方委員会議長杉坂一整が麻薬密売容疑で逮捕される。これに関連して鏡山県委員鮫島主税は、人間的なマルクス主義の観点から通達を発する。この直後から鮫島スパイ説が流され、遂には拡大地方委員会が開かれて多数派である「所懐派」が「万国派」を追放していく。」
大西巨人「天路の奈落」


 物語は書記の鏡子の視点で描写される。彼女は献身的な党員であるが、最近の党(レッドパージによって多くの党員が職を解雇され、生活困難に陥っている)の状況、運営方法などがマルクス主義に違背していると感じている。彼女は文学に造詣の深い鮫島と近しく、彼の意見を妥当で正当なものと考えている。しかし首脳部や多くの県委員は鮫島の提議を快く思っていない。なにしろこの事件のほかに、複数の委員が不祥事を起こしつつある。たとえば、ある石油工場の労働争議に際し、党員名簿と行動スケジュールを会社に提供し、代わりに50万円の金品を受け取ることを画策していたり(実際には5万円しかもらえないので担当の委員はうろたえる)、妻子を持っていながら不倫を起こし、子ができると「堕胎」を勧めかつ自分は本部に異動を願い出てうやむやにしようとするものがいる(愛人は部落出身者で、彼ら夫婦は部落に対する激しい差別意識を隠そうとしない)。ほとんどは、拡大地方委員会のやり取りにあり、多くは鮫島の発言で埋められる。結局のところ、「日本人民党」は鮫島をスパイとして除名にし、麻薬密売容疑にたいしては権力のフレームアップであるという説明を変えない。事件から30年後の日本人民党の幹部は当時のまま、あるいは当時の幹部に追随したものたちであり、この党の運営方法が変わっていない(であろう)ことを示唆している。
 健全な「マルクス主義」とは何か、党はどのように運営されるべきであるか、党員はどのような倫理を持っていなければならないのか。このあたりが主題であり、それがマルクス主義の論理と言葉でもって説明、展開されている。これをその外部の視点でみるとすると、ひとつには笠井潔「テロルの現象学」に書かれた「党派概念」の典型例が現れているということ。現実認識の仕方で観念優先であるような人々が、「革命」観念を得て、それが「党」観念に変わり、党の維持が手段から目的に変容した。そのため、党の維持拡大、およびその存在根拠を疑うことに対して、観念的に反発する(その点では、幹部の保守性というか保身などは、軍隊の幹部の行動によく似ている)。
 別の視点では、このような組織の不祥事が発生したときの内部コンプライアンスの仕方が非常にまずいこと。この小説の党の対応は、たぶん最近までの会社、企業の防衛方法としてよく採用してきたことと同じだ。すなわち犯罪、不祥事の存在をまず隠し、糊塗できなくなったときにごく少数のスパイ、裏切り者、倫理欠如者の行ったことで会社ないし組織には罪や責任はない(小数者を処罰することで責任を取ったとみなす)とするやりかた。組織の幹部や構造には影響が出ないようにする。内部に鮫島のような徹底究明を提案するものに対しては、組織化を阻み、仕事からはずすなどのハラスメントを行う。しかし、次第にそのようなやり方はまずい、むしろ組織の内部統制ができていないものであるとみなされるようになってきた。むしろ積極的な情報開示と外部への説明責任を行い、同じ問題が発生しない方法を組織に組み込むことが組織の健全性、成長性をみなすものであると考えるようになっている。
 1955年に構想して、1984年に脱稿したという。その後、著者が加筆修正したものをPDFで公開している(上記のサイト)。この粘り強さには感歎。あいにく時代が主題を追い越し、別の説明によって問題を解決する方法ができてしまった。組織の健全性は、外部によって評価されることと、自己批判・自己変革できるような内部監査の体制を持つことが重要であるということ。組織の目的や動機、意図は評価の対象にしてはならないということ。それは「党派観念」の持ち主には耐えられないことになるだろう。
(参考になりそうなのが、大島渚の映画「日本の夜と霧」。こちらは1955年の6全協の武力闘争放棄決議による混乱と1960年の安保闘争を背景にして、今度は党内部と党から離脱した者たちの間で「真のマルクス主義とは?」論争が行われる。後、それ以前に書かれていた林達夫「共産主義的人間」もあわせて読んでおこう。)