odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

羽仁五郎「君の心が戦争を起こす」(光文社)

 出版されたのは1982年暮れ。自分の見聞でこの年をまとめると、前年ごろにポーランドの「連帯」運動が非合法化され、韓国の軍事政権が別の軍事政権になり、中国の四人組裁判の影響が取りざたされ、イランのイスラム革命が混沌とした様相を示し、ゴルバチョフペレストロイカ政策も始まったばかりで、まだ米ソ冷戦の構図が残っていた。このころまでは日本は不況で大学生の就職先はあまりなかった(2000年からの状況よりはまだましだけど)。そこにレーガンサッチャー・中曽根の保守タカ派政権が相次いで成立した。大きな話題になったのは、西ドイツに核を配備する計画が決まり、そこから反核運動が起きた。翌1983年3月の代々木公園の集会に出かけたりした(髪は切らなかったけど)。こういう古い本を読むとき(しかもそれが時代状況を反映してかかれたものであるとき)、どういう世情が背景にあったかを把握しておかないと、作者の主張がわからなくなる。この本では、インフレの進行が経済の混乱、資本の収益悪化、生活の破壊というような危機につながると主張している。これは当時は不況とインフレが同時進行するスタグフレーションの時代であったから。1945年からそれまではほぼ一貫してインフレが進行していたのだった。

 作者の主張を自分の言葉でまとめると、資本=ネーション=ステートの国家(資本主義や社会主義国家にかかわらず)は常に人びとを管理し、収奪することを進めていく。とりわけ経済危機のときには、感情に訴えかけることによって、人びとの国家への奉仕を強要し、軍事動員体制をしこうとする。そのとき、人びとの基本的人権は「公共の福祉」を理由に制限される。これが「疎外」の最大の問題。そして、戦争に動員されて、社会的共通資本への投資は抑えられ、特定事業(まあ端的にいうと軍事産業だ)への投資しか行われない。そして人びとは、他者の権利を侵害し(財産を破壊し、人を殺す)、自分も理不尽な死を強制される。だから、国家に抗する運動を行わなければならない。主張することは、基本的人権の尊重と都市自治体による市民参加型民主主義の達成である。モデルにするべきなのはルネサンス期の都市国家。そこでは両親が育児放棄した子供を自治体が育て、そのための建物を都市でもっともよいところに最も美しい装飾で作った。このような他者の存在のために自分が役立つことをするというモラルは都市自治体でのみ実現される。
 そのために、現在のわれわれのできることは、「現在」をしっかり把握せよ(よい方向に向かっているのか、悪い方向なのか)、家庭をゆるい共同体程度に考えよ、暴力の意味をきちんと考える(ストレートにいうと国家への抵抗権を意識せよ、かな)、法の意識を変えよ(ストレートにいうと法は国家が行ってはならないことを規定し、基本的人権を尊重することを目的にしている。国民の強制や統治のためではない)、選挙では野党第一党に投票を集中せよ(自民党政権の交代というのは困難だと思われていたのだった)、労働者とくに公務員のストライキ権に理解を示せ、新しい型の労働運動を検討せよ(政党主導型ないし賃金闘争型の運動では駄目よ)、都市の自治について理解を深めよ(上記のように進むべき方向のモデルになるから)。
 事例や主張は古びてしまったなあ。もうすこし、あるべき自治の姿とか運用方法、成果やパフォーマンスの評価方法などの検討が必要と思う。この本とは別のところで行うべきこと。(この感想は2009/12/27に書いたのでこういう記述)