1986年初出。1960年代初めからさまざまな市民運動に取り組んできた著者の考えをまとめたもの。とはいえ、網羅するには枚数が少なく、岩波新書のほかの本も読んでおいた上で、この本に取り組むのがよい。21世紀にほとんどの著書は入手困難か高額になってしまったが。
哲学と名付けられているが、もちろんプラトンもデカルトもカントもでてこない。例外は「コロノスのオイディプス」くらい。それも「助ける」自由を行使したテセウスに焦点をあてるという独自の読み方。要は、哲学という学問で考えるのではなく、生き方を「根源的に(ラディカル)」考えるスタイルを表現するのにもっともふさわしいのが哲学という言葉だから。なので、学問の話よりも、具体的な現場のことが問題になる。
「現場」と「場」 ・・・ 人間は場に住んでいて、そこではたいてい問題は生じないが、「現場」になるとある緊迫感や緊張感が現れる。そこでは平穏無事がなくなり、ことばですら闘争性を帯びてくる。人によって同じ物理的空間が「場」にもなれば「現場」にもなる。例は差別する側と差別される側。一応確認しておくと、「場」と「現場」には無数のグラディエーションがあって、二項対立ではないよ。「場」が小さな現場に変貌するのは日常茶飯事で、行為者・運動者には特別な人間だけがなるのではなく、当事者になって否応なく現場の行為者になるよ。例は、救急医療、事故、自然災害など。
「運動」と「行為」 ・・・ 「場」は人間のピラミッドが強固にあって、そこの一員として物を見て考える。「現場」ではヒエラルキーが壊れて、人間の「個」が平等・対等となって現れ、問題は「個」が引き受けなければならない。そのときに弁舌の才や役職などは無用であり、「何をするか」「何をできるか」が人間の評価基準になる。おもしろいのは、「現場」ではその評価が長続きしないで、次々に別の人が現れること。あと、「現場」には他者が現れ、彼らとの交通(共感から反発まで)のやり取りがあり、過去と未来の、あるいは世界の隅々までの、そこにはいない人までも思いをいたらせなければならない。
「現場」の論理と倫理 ・・・ 「現場」が場と異なるのは、「天下の道理」や「人の世の情け」などの意識されない倫理が現れてきて、そこにおいて行為が選択されるから(という考えは、自分にはあまり役に立たないと思う。道理や情けのあいまいな感情やドグマよりも、希少性の制約で勘定をもとにしたほうが公平さや交換の正義がわかりやすくなるのではないか。道理や情けは基本的人権を侵害しないで十分ではないかしら。竹内靖雄「経済倫理学のすすめ」中公新書を参考)。現場の論理の特徴は、実践的・現実的で5W1Hが明確でないといけない、緊急性をもっていてすぐに決断・選択することになり、その責任を個が負うことになる。そこらを含めて「現場」では人間は行為者、運動者となって現れる。(とはいえ、勝手に関係者・当事者を名乗って、迷惑をかける運動者・行為者もいるので、そこはどうしよう?おうおうにして彼らには勘定の議論が通じない)
「現場」のなかの人間 ・・・ この章は自分には難解(いや1980年代には廣松渉の「事的世界観」など、「事」の優位を示そうとする哲学思想書があまたあったから、その文脈ではわかったのかもしれない)。まあ、図式化すると「もの」の優位な世界から「こと」の優位な世界へ、ということか。「もの」は使用価値より交換価値が高い商品や貨幣で、これにうつつをぬかすのが「場」の論理。「こと」は使用価値のみならず個との関係の多彩多様な意味を持つ関係にあること(自分が作ったものはいとおしい、自分の作った食事はうまい、とか)。ことを優位にすると、他者との関係がよりダイレクトになり共生・共感の関係が広がっていきますよ、そうして第三世界や先進国の抑圧されている他者との関係を築きましょう、ということが主張かな。
「助ける」人と「殺す」人 ・・・ 「場」のピラミッドは地域や国家に限定されるのではなく、経済や戦争によって他の国にもつながっている。この国で抑圧されている人が、他の国を抑圧する人になる。とくに戦争においては、被害者である自分が加害者である自分にもなる。まずはこの抑圧する/されるの多重な関係にあることを認識しよう。そのうえで、この鎖を断ち切るには「殺す」「殺される」を拒否し、「殺すな」と立ちはだかり、「助ける」(ピラミッドのヒエラルキーを無視して)行為にはいろう。そこから共生、協働の関係が生まれる。あと革命は思想やイデオロギーで現場を作り出すものだが、市民運動は先方から場に押し掛けてきて否応なく現場になり、問題解決にむけて自ら立ち上がるという違いがある(この文脈で「文革」「自己否定」を批判)。
「助ける」行為の意味 ・・・ 「助ける」行為を行うかどうかは自由。ということは、その決断について他者の力ははたかない者の、行為の結果は自分で負わなければならないというまことにやっかい。それでも「助ける」を選択する人々の「われ」は今より良い明日、天下の道理・人の世の情けを実現する運動のもとにある。そのとき、自立と連帯が同時にうまれるが、それの重要なことは「われら」という集団や組織を作る方向にはむかわない(集団や組織は「殺す側」「抑圧する側」のものだ)。「われ=われ」という自立した個の集まりであること。
結びとしての長いあとがき ・・・ 「現場」の行為者、運動者である市民には卒業も引退もない。
緊張感と切迫感があり、名無し同士が助け合う現場。それはこの本の書かれた1980年代に急速に見えなくなっていった。現場がなくなったわけではないが、そこにある強権の圧迫感が消えていたからだろうな。ベトナム戦争は終結し、文革は終わり、東欧諸国や中南米も平穏にみえた。ポーランドと韓国のことが気になるのだが、どうにも情報が少なく判断しようがない。反核運動はうわすべりした一過性の運動みたいだったし、チェルノブイリの危機も距離の遠さであまりリアリティがなかった。アメリカの経済が失速していたので、この国は求人にあふれ、簡単に金を手に入れることができた。かつて「学生叛乱」で「自己否定」を叫んでいた人が今度は政府や企業の側に立って、場のピラミッドを壊すなと主張していた。対抗する言論もなく、「ニューアカデミズム」あたりのおしゃべりにふけることにいそしんだ。まあ、そんな感じの時代だった(おれもその一員で、長時間の仕事にあくせくしていて、運動に参加する余地はなかったし、世界に目を向けることはまずなかった)。自分は1992年に読んだことになっているが、内容を思い出せなかったのは、そのような「繁栄を謳歌」する一人だったからだろう。
市民であることはしんどいことだ。笠井潔「群衆の悪魔」は、1848年パリ革命で労働者に「蜂起は市民の神聖な義務」といわせたが、あいにくそこまでに歴史と過去を持っていないこの国では、市民になるためには一歩の踏み出しが必要になる。そして卒業も引退もないとなると、それはまことにしんどいことだ。という思いがある。まあ1980年代と変わったのは、この国の中に「現場」が再び噴出するようになったことか。自然災害だし、環境汚染だし、格差拡大による貧困だし、ヘイトスピーチだし。住むこと、場にあることに否応なしに訪れる問題が市民を生み出しているように見えて、それが過去の労働運動や革命運動とは一線を画しているようなのは「今よりよい明日」を見出す曙光になるかしら。
ただ、うえでいくつかツッコミをしたように、この本はマニフェストにはならないし、実践のケーススタディにも使えない。そこはそれぞれの現場の創意工夫でこの本の可能性を見出さなければならない。
まあ、現場に出かけるのはしんどいことであって、暴言や暴力を受けたり、逮捕されたり、所持品をなくしたり、けがを負ったり、そういう目にあうことをある程度覚悟して臨むことになる。若いときには気軽にホイホイと現場にでかけ、暴言や暴力にであったり、公安の警察官に顔を覚えられて自宅訪問を受けたりした。もうこの年齢になると、そういう体力が足りなくなってきたので、できれば国家や企業などの組織(この本に即せば「われら」の論理が貫徹する集団だ)が、「現場」を作らないことを望む。しだいにそうなってはいるとは思うけど、まだ足りないか。一方で、「現場」に出会わないと、なんでもかんでも国家に依存するという倫理の不感症になってしまう。そうならないためには「現場」が場のすぐ横にあることも必要であって、どうにもさじ加減はむずかしいねえ。まあ、待っていても、国家は「暴力装置@ウェーバー」を使うだろうし、ひとびとは「市民」にはならないであって、もどかしくも面倒くさい現場への一歩を踏み出さないといけない。
(2013年に書いた記事なので、2015年の現状に合わないところがありますが、そのままにします。)