odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

小田実「「物」の思想、「人間」の思想」(講談社文庫)-2

 続けて歴史と現実について。

人間のなかの歴史 1969.1 ・・・  人間の中にある、人間に食い込む「歴史」を考える。それは時間の体積ではない。時間の堆積は切れ目折れ目のないのっぺらぼうなものだが、歴史は切れ目折れ目があって、人間の中を変える。たとえば、発展途上にあったり、自国の政治体制を変えたばかりの人たちの「歴史」は、時間の体積ではない。「人間の権利」を拡大・獲得する運動の中で歴史は人間の中に書き込まれていくのだろう。
(これも「戦後」25年で、敗戦の体験と占領期の民主主義の折れ目切れ目が人々から忘れていく状況が生まれていることに対する批判と、「人間の権利」を拡大・獲得する運動への誘い。)
「歴史を書く」ことと「歴史をつくる」こと 1969.2 ・・・ 歴史をとらえるには学・識・才が必要というが、識は思想であり、想像力。歴史の人物の体験を再体験することにより、日常性の外にはみ出すものをとらえる。そのような参加意識が重要。
歴史への参加 1967.2 ・・・ 生まれたときから民主主義がある若い人々にとっては、民主主義は「空気のようなもの」で、現状を肯定する理由で、無邪気な信頼を寄せるもの。そこには抑圧や差別を覆いかくす働きがある。それに抗するには、モラルのヴィジョンを持つこと(人間の権利とか個人原理とかに立脚)であり、人間としての怒りの感情、怒りの対象を見定めるための判断力と知識が必要。
人間・ある個人的考察 1968.2 ・・・ 日本の特殊を主張するときに、地縁・血縁(とそれに根差す「歴史」もかな)、そして現在(1960年代)の日本の豊かさに依拠することがあるけど、その考えだと全人類とか世界とかがすっぽりと抜け落ちる。それは自分と「祖国」を同一視する行為でも同じ。総じてこのような性向では、西洋の普遍を使って日本の特殊を図るのだが(西洋の民主主義や人権をだしに日本型経営や経済発展の優越を主張する方法ね)、そこからは「全人類」や世界全体の問題は見えなくなる。まあ、戦争でも被害者としての日本人から考えると、この国の国土にいた東アジア人や捕虜のことがすっぽり抜けるような具合。世の中には社会や国家のために不正や不義を実行する人もいれば、自分の原理を守る(ために国家と対決する)人もいる。その違いは「日常性」をどうみるかにありそう。で、「私」は後者の生き方をとりたい。
(後半では、森有正吉本隆明らの知識人批判。彼らは思想が世界を完ぺきに認識可能というが、そうじゃないだろ、どんなに思想がガンバっても世界にはあいまいなところがあり、そこを埋めようとする「運動」が必要だというのが著者の考え。同意です。)
無題の発想 1969.4 ・・・ 「日常性」は、人間の内的世界と外的世界の隔壁をあっけなく踏み越える、生き死にの問題に特設結びついているという特徴を持つ。そこで人間(抽象的な人類ではなく顔を持つ個人、この<私>)の死を通してみるとき、芥川や川端のみるような「末期の眼」は文学的・哲学的なものではなくて、日常性を保ったまま現れてくるものだ。
「物」と「人間」 1968.3/それを避けて通ることはできない 1963.11/沖縄のなかのアメリカ 1965.3 ・・・ 以上3編の「現実」編は、1960年代のルポ。1968年佐世保の空母エンタープライズ入港阻止闘争、軍事政権下の韓国、アメリカ統治下の沖縄。抑圧の状況とアメリカ依存の社会での貧困、民主主義の可能性など。最初の佐世保の件では、反対運動が労働組合や政党のものか、ゼンガクレンのものかで、そのどちらでもないあり方の模索。これらの運動は内部に対するパフォーマンスばかりで(ことばもうちわのものだ)、外からどのように見られるのか、外にどのように伝えるかの視点がないことが問題。入港阻止運動の時に、英語のプラカード、スピーチ、チラシが作られないとか、警察の暴力にデモは傍観しているだけとか。あと、自分はこの国の占領は1952年で終了したと思い込んでいたが、沖縄は1972年までだったのを失念していた。これは自分が恥ずかしい。


 このような論文で著者は、民主主義や平和などの論理と倫理を語る第一人者となった。それまでの論者はおもに書斎の人で、過去のさまざまな文献を使って、原理や歴史を語ってきた。著者はそれらの教養を持ったうえで、現場にいき、実際に起きていることを見聞きし、関係者のヒアリングを行う。関係者には、統治の担当者もいるし、抑圧の現場に出てくる人であったり、反対運動をしている人であったり、無関心に通り過ぎる人であったり、さまざま。行く先もまた多方面で、国内の主要都市から反対運動の起きているところにも、韓国や沖縄など当時渡航しがたい場所にも、機会を得れば赴く。このフットワークの良さがそれまでの論者の形式的、教条的なところを脱して、臨場感がある描写と柔軟な思考になった。とくに、さまざまな現場の困難なところでとまどい、言葉を失う体験を率直に語るところ。それによって問題の大きさや深刻さがわかる。
 どこで読んだか忘れたが、たぶん久野収が「反戦や平和の論文は今までずいぶん書いてきたが、小田実のような私らより若い人がもっと深く広く考えて文章を書いている人が出たので、もう私は書かなくても大丈夫(超訳)」と発言していたと記憶する。そういう期待のもとにあったのが、著者の存在とこれらの文章。なるほど、約50年を経過した文章であるが、今もアクチュアリティを持っているのに驚かされる。というか、50年の間に変わったところは劇的に変わったけれど、変わらないところは徹底してまるで変わらない。その変わらないところが、50年前と同じ問題を起こしている。それを克服するための方法や原理は、それほど変わらないし、過去の方法は今でもそれなりに有効。
 ただ、たくさんの考えを圧縮したこれらの文章は読解がたいへん。20世紀の世界史、人権や民主主義の思想史、戦後文学の知識、ギリシャ思想などなどさまざまな話題をふっていくので、それらの知識を持っていることを読者に要求する。これらの文章のターゲットは知識人や大学生(および卒業生)であって、そうでない人々にはなかなか通じがたい。文章の論理展開と使う言葉の難しさが、主張を伝えるときにネックになったのではないかしら。このあとの文章は角が取れて、もっとやわらかい文章になっていった(「世直しの倫理と論理」とか「世界が語りかける」とか)のはそのあたりの自覚かしら。