odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

小田実「歴史の転換のなかで」(岩波新書)

 1980年初出。1970年代の大きな運動であったベトナム戦争文化大革命が終了し、社会主義国家のいがみ合いや強権がみられるようになった。アラブ諸国ではアメリカやソ連の支配から離れ、自力更生の国家や集団をつくる試みが始まっていた。国内では、「ヨーロッパ」の一員に徹して金儲けにまい進し、自分らだけが良い暮らしができればよいと思うようになってきた。さまざまな市民運動は退潮し、社会の変革を構想する動きが亡くなっている。でも、世界では大きな歴史の転換が起きているのだから、われわれの未来を構想しなけれればならない。そういう意図のもとに書かれたと思う。

彼らは生き残ろうとする。さて、われらは… ・・・ 「天下大乱を行く」(集英社文庫)のまとめに相当。1970年代からの「アラブ・ナショナリズム」について。
歴史の転換が始まろうとしている ・・・ 次の章にでてくる「ヨーロッパ」は地理的な場所というだけでなく、資本主義や帝国主義の謂いでもあって、第三世界を収奪することで自らの富を増やすシステム。そこにはアメリカやソ連も入るし、日本もはいる。これらの国は第三世界を政治・軍事・経済・文化で支配していた。第三世界は労働力と資源を安く買いたたかれて、「ヨーロッパ」の支配から脱することができなかった。第二次世界大戦以後、軍事的・政治的な支配はやめるようになったが、経済と文化の支配は残している。1970年代からアラブ世界などから、ヨーロッパの支配から脱する考えとそれで運営される政治や国家が生まれてきた。最もラディカルなのはPLOあたり。
歴史の転換を阻む力としての「ヨーロッパ」 ・・・ そういう第三世界の自立自助の動きに対して、「ヨーロッパ」はさまざまなやり方で支配を保とうとする。重要なのは、「ヨーロッパ」が生み出したものが政治から文化までの支配で世界の隅々まで影響力をもっていることと、それに抗する原理原則や思想を第三世界はまだ生み出していない。毛沢東の考えは非ヨーロッパ的ではあっても、革命や戦闘の狭い範囲にしか打倒せず、生活や経済には考えが及んでいない。ほかの指導者の考えをみてもまだまだ。でも、イラン革命PLOに参加する末端の人たちは非ヨーロッパ的世界を建設しようとしている。
「天は人の上に人をつくらず」 ・・・ 世界認識の理論編。「ヨーロッパ」の支配は経済や文化なのだが、とりわけ石油と食料が重要。それがなくなると人が死ぬ。この二つは「ヨーロッパ」が支配していて、第三世界の独立や自主ができないようにしている。それに抗する考えの最初はヨーロッパの市民主義だが、ここには貧者が漏れていた。貧者を掬い取るための理念がマルクス主義の階級理論だが、ここには第三世界は漏れていた。第三世界の自主や独立の理念になったのは「民族主義ナショナリズム」。これは国内の支配体制(おおよそヨーロッパの支援を受けた傀儡政権)を覆すのには力があるが、国家間の対立の解消には民族主義はうまく働かない。そのときには力の権力がむき出しになり、解放と反権力の民衆の立ち上がりを抑圧するようになる。抑圧には3種類あって、1)収容所、2)虐殺(餓死を含む)、3)難民。このようにして批判者や弱者を物理的に抹殺するようになる。以上のようなヨーロッパ化、権力の抑圧、社会の監視化に抗する原理は「天は人の上に人をつくらず」 。そういう試みは長年解放闘争をしているところでは顕著にみられる。
ベトナム」と「文化大革命」の挑戦 ・・・ 1970年代の非ヨーロッパ化、自主独立の運動としてタイトルのふたつをみる。加えてチトー政権下のユーゴスラヴィア金日成政権下の北朝鮮をみる。
「市民」を考えることから ・・・ これからの見通し。「市民」ははたらく・くらす・たのしむ・たたかうを行う、自立と連帯を基本とする人。国家や資本主義は、この4つの活動を市民から奪うので、それに抵抗しないといけない。また抵抗する側もいずれかだけ優先すると袋小路になる。そのうえで、この市民の未来は以下のようになる。政治的には、平和・反戦非武装中立(一応念のためだが、住んでいる土地が侵略されたときには市民として抵抗することが肝要)。経済的には、自力更生(収奪しない経済、身の丈に合った暮らし)・環境破壊をしない・人口の適正化・平等と被差別。住んでいる場所の中で重要なのは、難民を受け入れること(移民や被差別者も含む)。周辺の国家や市民とは以上の理念の下に平等な付き合いをすること。


 まずこの本の欠点から。著者はこの直前にアラブ諸国ほかを旅して、多くの人と会い、多くの出来事をみてきた。それらの国で市民運動をしている人の話をきき、ほかの情報をすり合わせる。そうして世界や社会の行く末を見ようとした。あいにくのことながら、彼の見通しはその通りにならなかった。文化大革命は多くの犠牲者を出したし、その意図においても権力闘争の一部であった。ソ連邦の崩壊とともに、その援助で成り立っていた北朝鮮ユーゴスラヴィアはひどいことになった。前者は世界有数の監視・収容所国家になり、後者は民族主義のせめぎあいが内戦・虐殺になった。アラブ諸国の改革は宗教原理主義の台頭や開発独裁があって、おなじく差別が強化され、格差が開いている。PLO大義も承認を得られない。
 歴史的遠近法を使っているともいえるが、このような見通しの誤りや評価が、この本を今日(2014年)に読む意欲をそいでしまう。
 それらの見通しや評価の誤りの多くは、彼が運動や組織を意思や過程で評価したことにあると思う。人々の意識は善意や好意にあったとしても、集団や組織になると個人の善意や好意では働かない。別の原理や原則で運営されるのであって、善意や好意の人の行動が障害や損害を与えることがある。だから、運動や組織は成果やパフォーマンスで評価するべきだろう。そうすると、情報が少なく限られ恣意的であったとしても、1980年において文化大革命中越戦争アフガニスタン侵攻などを別の評価にすることができたのではないか。
 一方で、「天は人の上に人をつくらず」「市民を考えることから」の章にあるまとめは、今日でも納得できる。未来を描く具体的なモデルのない今日では、未来の見通しはこのような世界のどこにもないあり方に求められるだろう。まあ、著者は経済のことは詳しくないので、説明には不足がある。自力更生の社会モデルを高度経済成長の直前である昭和30年ころに設定するというのも、無理筋。あの時代の生活環境は意図してつくられたものではなく、経済成長の過程でたまたま生じた通過点だし。環境破壊と公害のひどかったのもその時代だ。エネルギー消費が少ないのは、供給が追い付いていないだけだったし。そこらのノスタルジー的な理想化は批判しないといけない。しかし、上にまとめた原理原則は今日でも重要。とくに難民を受け入れるという指摘。それはナショナリズムの弊害を回避するための重要な原則だ。
 「天は人の上に人をつくらず」「市民を考えることから」の章だけ読めばよい。