odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

小田実「「問題」としての人生」(講談社現代新書) オーウェルのような「1984年」にならなかった日本で、他人の問題のために切実なくらしとたたかいをしている人を参考にどう生きるかを考える。

 オーウェルの予言した陰鬱な1984年に出版された本。あいにく、その年のこの国は陰鬱どころか、好景気で消費は盛況、対外的な問題はなさそう。ソ連ポーランドは大変そうだなあ、韓国は内情はよくわからないが安定しているみたい。気になるのはレーガンの経済政策の失敗とスターウォーズ計画。そんな感じで、自分も含めた多くは浮かれていたのだった。まあ2.3か月も就職活動をすればどこかの企業に潜り込むことは難しくなかったのだし。
 そのようなこの国を著者は別の見方をする。なるほど人生は個々人のもので、生じる問題はたいていは個人が背負うものだろう。でも、他人の人生を見てそこから「問題」を引き出し、ともに考えることで、自分の人生に厚みを増すことができる。聖人や君子になれとはいわないし、そんなことを目標にするのもおかしいが、他人の問題のために切実なくらしとたたかいをしている人たちがいる。その人たちの生き方をみて、何かを感じてくれないか。という考えで本書は始まる。

 全体を三つの章に分け、「戦争」「戦後」「現代(1984年当時の)」に著者が体験したことを軸に、世界中を経巡った経験も加えて、彼の考える「問題」を取り上げる。「戦争と平和」「自由と民主」「参加とくらし」あたりかな。こうしてまとめると陳腐な言い草になりかねないが。
 考えの軸というかスタート地点は敗戦体験だ。彼は大阪市の真ん中に暮らしていたので、都市の壊滅を身を持って知っている。すると
・戦争になって、自分が無力ではだかのままで状況にほ織り出されるという感覚をもった。国の危うさが自分の危うさと同じに感じるようになる。
・戦争になって、この国の政府はとことん国民の面倒を見なかった(統制経済を敷いたのはドイツ、イギリス、アメリカなど多数あるが、食料の配給をまともにやらなかったのはこの国くらい)。これは自分の感想だが、1995年以降、自然災害や事故のとき、この国は国民の面倒を丹念にみるようになったが(そこはエライ)、平常時には国民の面倒はあんまり丹念にやらないなあと思う。
15年戦争には正義も大義もなかった。国民は被害をうけながらも、総体としてはアジア諸国その他に多大な迷惑を損害をかけた。むしろ「加害」していたといってよい。
・この正義や大義のない戦争を仕掛けた国を退治した国(アメリカやフランスやソ連や中国など)は、彼らの持っている倫理的問題を素通りすることになっている。巨大な「悪」を倒したから、自分らの非人道的行為は問題がないか、正当化されるとごまかしができる。
・それでも、非常時には、人間は他人を「助ける」ことがある。あるいは「助ける」人がいる。それは思想やイデオロギーに基づかない。たんに「助ける」。助けることによって自分が被害を受けたり、損害を被ったりすることがあっても(予測されても)助ける。そういう行為をできることが人間のよいところだし、世界を動かす力のもとになっている。
・助けることは、他とたたかうこともあるが、戦うことは目的ではない。あるいは何かのイデオロギー政治的主張を実現することではない(他人の正義や利害と衝突して交渉して妥協を探る作業は、イデオロギー政治的主張を曲げることもあるからね)。
・といって、くらしが大事だと言って、たたかわないのもよくない。みんなが傍観者でいたから、戦争準備が進められたのだし(非政治的は一つの政治的主張:現状政権に白紙委任することだからね)。
 というようなことが見出される。さあ、そのうえで君はどうするか、規範になるのは日本国憲法だ、ここには敗戦でかちえた反戦・平和の意思が結集されているから。
 という、部屋に篭もり気味な自分にはなかなか耳の痛いことが書いてある。この本の反応の典型は、本書中に書かれていて、ひとつは「この内容では生ぬるい、もっと××すべき」と主張して行動組織にいく「跳ね上がり」で、もうひとつは「そんなことをしても個人の力ではなんともならない」という「シニシズム」。これらは1960年代のべ平連の活動の時にもいわれたことで、おもしろいのは、どちらの批判者も数年たつとなんにもしなくなっている、という現実。まあ、311の直後には「なにができるか」「なんとかしなければ」というネットの書き込みをたくさん拝見したが、さて3年たって見なくなったのは彼らはどこに行ったのか。そういう点では50年前も30年前も現在もほとんど変わりはない。ことほどさように、自分は重力にとらわれていて、「助ける」とことにするのがしんどいのだ。いつでも「やらないいいわけ」を探しているし、やってみて無理解の壁に「挫折」するからねえ。
(2013年に書いた記事なので、2015年の現状に合わないところがありますが、そのままにします。)