odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

藤原帰一「戦争を記憶する」(講談社現代新書) 日本人は敗戦と占領を直視できないので、ナショナリズムの自己愛の物語で戦争責任を無化しようとする。

 2001年。1990年代にこの国でもホロコースト否定、南京虐殺否定、自虐史観脱却などの歴史捏造が言論界に現れてきた。ヨーロッパではヘイトクライムが目立って発生し、極右が移民や難民排斥を主張するようになる。

「歴史の記憶とは? 「国民の物語」とは? 戦後日本において、第二次大戦=〈戦争〉はどのように記憶され、日本人の心性に影響を与えたか。イデオロギーの呪縛をとき、気鋭の政治学者が真摯に問い直す。」
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000147000

第1章 二つの博物館―広島とホロコースト ・・・ WW2のホロコーストを記憶する施設がある。広島の平和記念資料館とワシントンのホロコースト記念博物館。しかし展示のメッセージは、広島が反戦核廃絶反戦論で、ワシントンはぜったい悪に立ち上がれ、暴力に対抗する暴力(War against War)という正戦論(WW2は戦争終結のために必要な戦争であったという主張が含まれている)。戦争の記憶が国や地域によって違う、ときには正反対の意味になることもある。
(でもホロコーストは見るべき・知るべき記憶であることは一致。一方で、否定論や小規模論なども出ている。なお、原爆やナチスホロコーストが問題にされるようになったのは、戦後しばらくしてから。被害者やマイノリティ社会の変化に由来するという。)

第2章 歴史と記憶の間 ・・・ 歴史を見る際に、書かれたものから語られたものを重視する流れがある。正史に残らない記憶の掘り起しであり、さまざまな意味の発見であり、体験の深化である。一方で、恣意が入ったり、一般性に疑問があったりと問題がある。でも戦争、戦時体験ではこの方法が使われるようになった。

第3章 正しい戦争―アメリカ社会と戦争 ・・・ ヨーロッパの戦争観でリアリズム(現実主義)は戦争を合理的手段として認めるものだった。なので敗戦国には周辺諸国からの統制・賠償が必須(ナポレオンが忌避されるのは19世紀に「世界戦争」を起こしたから)。アメリカは大統領を議会が統制する、常備軍がない、市民による自衛をモットーとしているので、戦争観のリアリズムは意味のない戦争はしないというもの。戦争するとなると市民には義務が生じる。しかし南北戦争、WW1、WW2の経験で「正しい戦争」と「戦争する意味」の内実のなさに失望する。決定的なのはベトナム戦争の敗北。レーガン以降、「正しい戦争」と「意味」を回復する物語やプロパガンダが盛んにおこなわれる(これはアメリカの自己愛とナショナリズムの回復)。
ベトナム戦争アメリカが感じた喪失や失望は、生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)に詳しい。)
2014/07/14 生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-1
2014/07/15 生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-2
2014/07/16 生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-3
2014/07/17 生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-4

第4章 日本の反戦 ・・・ 敗戦体験(の無化)と反戦論の立ち上がりを見る。自由の回復と見たが、アメリカは他者であり、幻滅と敗戦直視の回避が起きた。戦争責任(これも始めたことか、負けたことか、国民への責任か、非日本人被害者への責任かあいまい)を一部の軍人に押し付け、国民から除外することで、国民自身の責任を無化した。共有できる戦争責任は被害者・非戦闘員のもの。1950年代からの反原爆運動でヒロシマを共有体験にする運動が起きるが、非政治化が進んでむしろ沖縄がシンボルになる。反戦論は、被害体験、将来の戦争の危惧、対米関係で構築されている。
(敗戦と占領を直視できないのは日本人に共通している。そのためアメリカは他者であり外の力。反米であったり、憲法を押し付けと規定したりする心理的な理由はここにある。逆に対米従属するのもアメリカという他者を無条件で信頼・信奉する心理の現れ。21世紀の極右や歴史捏造は、広島や沖縄の戦争体験ですら反共の捏造として拒否するようになった。)

第5章 国民の物語 ・・・ 歴史を語ることは国民の観念やナショナリズムの表現となる。民族の根拠は同じ民族に所属するという人々の認識のみだが、認識の仕方は多様。統合のためにシンボルや伝統が必要で、関係者が共有する国民的経験があるとよい。戦争はそういう体験であり、戦争を語ることは身近な人の死を受け入れる方法になった。世俗世界の宗教の役割になっている。戦後、WW2はこの国でどのように語られてきたか。戦後思想、戦後民主主義の文脈では権力からの自由と言論の自由の喜びが多く語られ、権力への自由は重視されず、権力交代をあきらめているところがあった。これは占領期の特長。独立以後は、もっぱら啓蒙に勤めたが、文体や思考は硬直化して暗くなり、庶民や国民とは距離を置くようになった(主な発信者は東大出身)。庶民や国民の側からすると、ナショナリズムは自分探しの物語であり、自己愛の物語は受け入れやすいものであった。「自分に優しい祖父が兵隊であった戦争は正しい(加害の記憶は祖父の名誉を侵害し、祖父を愛する自分への攻撃である)」という物語が1990年代以降にめだつようになった。

 

 本書が目指すのは、ホロコーストをどう記憶するかや戦争責任をどう考えるかなどではなく、それらをこの百年の20世紀(初出は2001年)にどのように語ってきたかをまとめるところにある。一種のメタ分析。語りのサンプルとして、個々のオーラルヒストリーではなく、映画や文学、評論などを使う。いずれも制作主体によるバイアスがあるが、数多くあるので、ある程度の傾向をつかむことができるということだろう。結果はおもしろかった(とくに最終章の戦後思想)が、元の映画や文学、評論(ないしそれらの制作主体)を知らないとむずかしいのではなかったかな。

 戦後思想の概括は以下のエントリーが参考になる。いくつかは本書にでてくる。
2012/07/04 鶴見俊輔「戦時期日本の精神史」(岩波現代文庫)
2012/07/05 鶴見俊輔「戦後日本の大衆文化史」(岩波現代文庫)
2015/12/23 久野収/鶴見俊輔/藤田省三「戦後日本の思想」(講談社文庫)-1
2015/12/24 久野収/鶴見俊輔/藤田省三「戦後日本の思想」(講談社文庫)-2
2012/06/30 鶴見俊輔「語りつぐ戦後史 I」(思想の科学社)
2012/07/02 鶴見俊輔「語りつぐ戦後史 II」(思想の科学社)
2012/07/03 鶴見俊輔「語りつぐ戦後史 III」(思想の科学社)
2012/07/07 渡辺一夫「人間模索」(講談社学術文庫)
2012/07/11 真下信一「思想の現代的条件」(岩波新書)
2014/07/18 吉野源三郎「同時代のこと」(岩波新書)
2017/01/19 大江健三郎「ヒロシマノート」(岩波新書) 1965年
2017/01/09 大江健三郎「沖縄ノート」(岩波新書) 1970年
2015/12/22 日高六郎「戦後思想を考える」(岩波新書)

 また日本の右派ナショナリズムの検討のために西尾幹二小林よしのりの本も登場。この中身のない本から右派の主張を導き出している。代わりに読んでくれてありがとう。
 もう一つの特長は、戦争を記憶する方法を日本国内の事例だけで考えるのではなく、アメリカ、ドイツ、シンガポールの事例を参照しているところ。 ことにシンガポールは日本の被害を受けたところであると同時に、多民族への配慮や戦勝国(イギリス、アメリカ)への外交などもあって、記憶の仕方(博物館の展示方法や国内教育の内容など)は繊細になっている。それでも、加害した日本に突き刺さることは多いので、外部の表現を見ることは大事。