odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第4章創設(1)自由の構成(続き)、第5章創設(2)時代の新秩序

2021/11/16 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第1章革命の意味 1963年
2021/11/15 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第2章社会問題 1963年
2021/11/12 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第3章幸福の追求、第4章創設(1)自由の構成 1963年


f:id:odd_hatch:20211108085358p:plain

第四章 創設(1)自由の構成(続き)
3.フランス革命では憲法制定会議に権威をもたせることに失敗したが、アメリカ革命ではそんなことはなかった。13の州がそれぞれ独自に憲法制定会議をもち、それを連邦政府が集約する。可能であったのは、アメリカには自治組織があって、代表を憲法制定会議に送るようにしていたので、制定会議が権威をもてた。そうなったのはメイフラワー号(最初の入植期)からの伝統。イングランド人が共同の努力と自治を行ったていた。ロック「市民政府論」1690年をまさにアメリカ入植者は実践し、伝統になっていた。
(社会契約には二種類ある。ひとつは市民同士のもので、平等を前提。もうひとつは支配者と市民で結ばれるもので、強制力と同意の関係にあり、市民から権力は奪われ、孤立が保護される。権力を取り戻そうと決意しないかぎり政治的に無力になる。支配者と市民の関係は社会契約ではなく相互契約のほうが共和制の原理を含む。アメリカは相互契約の共和・共同を実践していて、アメリカ革命はそれを構成することになった。)
アーレントの重要な概念である「活動」が登場。
「活動とは、複数の人間を必要とする唯一の人間的能力である」。「権力とは、人びとが約束をなし約束を守ることによって創設行為のなかで互いに関係し結び合うことのできる、世界の介在的(イン・ビトゥイーン)空間にのみ適用される唯一の人間的属性である(P270)」)
アメリカは入植者が入った時には権力がないような状態だったが、「自然状態(@ホッブスやロック、ルソー)」にはならずに、共和的な自治がつくられ実践されていき、市民相互の社会契約や相互契約が人々を構成していった。西部劇映画でその様子がみられるが、自治や共和は自然状態から生成したのだと思い込んでたが、そうではなくてメイフラワー号以来の実践の伝統があり、訓練された人々が各所に散らばって実践と継承を重ねたとみるべきなのだね。ここは知らなかった。なお、アメリカの自治と共和はイングランド人とその後の入植者にのみ参加できたのであって、奴隷制と黒人やネイティブやヒスパニック排除が長いこと行われていたことに注意。20世紀初頭の映画その他を見ると、東欧・アジアなどの遅れてやってきた入植者や移民も排除されていたのだった。ここは繰り返し思い出すこと。)

第五章 創設(2)時代の新秩序
1.フランス革命では、国と議会の決裂によって国と市民の絆(特権に基づく)が消えていわば「自然状態」になった。権力と法の源泉は人民とされたが、構成体がなかったので、人民は組織されず、その結果暴力が解放された。アメリカでも国と議会は決裂してイギリスとの絆は消えたが、立法議会は残った。国王への忠誠心はなくしたが、共和・協合からは解放されていないと感じていて、互恵主義や相互性に基づく権力だけが正統であるとされた(第4章創設(1)自由の構成-3)。権力の源泉は人民、法の源泉は超越的な領域と区別された。
(このあと法の源泉に関してギリシャ、ローマ、中世、近世の考えをまとめる。古代では法は超越的な領域とは考えられていないとか、中世では法を戒律としていたとか、刺激的な話がたくさんある。でも自分には歯が立ちません。)
(互恵主義や相互性に基づく権力だけが正統であるという考えはアソシエーションの基礎であり、組織活動の原理として相互信頼があった(かつ実践があった)という指摘も重要。日本でもアソシエーション活動はあったが(NAMなど)、ヘゲモニー争いで分裂・解体。相互信頼と実践が欠けているからねえ。)
2.アメリカは植民の最初のころからヨーロッパの伝統神権を免れる実践を行うことができた。とくにローマ教会の神権と、絶対君主制の権力。なので、自らを統治体として構成していった。アメリカ革命の成功は彼らの統治体によるのであるが、とりわけ憲法が崇拝されるようになった。条文に疑義や異議があるようなときでも、創設行為そのものに権威があると認められたのである。当事者は新しい政治体による秩序を作ったというよりは、ローマの共和制の伝統を復古したとみていたのである。創設した政治体が永続するように努力した。
(以降、ローマの伝統や始まりの概念について。自分には歯が立ちません。)

 

 国民国家(ネーション=ステート)は国をつくる根拠や理由を必要とする。たいていは暴政からの解放だけど、それがないときは神話や伝統に依拠する(日本やプロシャが典型)。それらが民族(ネーション)を象徴することで国民の統一や忠誠心を作ろうとする。でも、アメリカはネーションを作らなかった。ルーツの異なる移民の集まりなので、神話や歴史を持っていない。そのかわりになるのがアメリカ革命でイギリス国王からの独立であり、それよりも重要なのは憲法を自分らの手で制定したこと。立法や制度の手続きだけではなく、市民が憲法制定にかかわって意見を述べ異論を聞き、代表を制定会議や立法府に送ったという実践があった。条文に異論があっても、憲法制定の過程には違和や反発をもたなかった。
 翻ると、この国の憲法は内容はともかく、憲法制定の過程で市民が参加したり議論したりする機会を持てなかった(大日本帝国憲法でも日本国憲法でも)。さらに国民が憲法をつくる機会そのものがなかった。明治10年代の自由民権運動のときだけ。法に権威をもたせる活動(@アーレント)をしてこなかった。そこがこの国の民主主義や自由主義の弱点なのだろう。
アメリカのような公的領域がつくられなかったのが大きい。それはフランス、ロシアも同様で、絶対君主制封建制で空間が権力の支配領域と私的領域だけだった。市民相互の社会契約や相互契約で構成される苦領域がほとんど作られない。自治の経験がなく、公的活動への敬意や喜びをもたない「市民」は権力の空白があったときに、群衆になって暴力を制御できなくなるのだよなあ。敗戦から占領期のありさまや学園紛争、災害時のパニックなどを思い返すとそういう経験ばかりになる。とても苦々しく重い気持ちになる。いろいろあって公的活動になかなか参加できない自分のことは棚に上げて。)

 

2021/11/09 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第6章革命的伝統とその失われた宝-1 1963年
2021/11/08 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第6章革命的伝統とその失われた宝-2 1963年