1990年前後の、東西冷戦構造の解体によって、資本主義もナショナリズムも議会制民主主義もむき出しになり、それ自体が問われるようになった。当時は「終わり」が語られたが、むしろなにかの「事前」なのである。なにかとは戦争であり、戦前を反復しないために「戦前の思考」が必要となる。ということで、当時に行われた講演を集める。
「探究」までで原理的な思考はいったんまとめ、歴史や制度などの具体的な問題を扱うようになる。
帝国とネーション 1990.11 ・・・ 前年の東欧革命やソ連の崩壊で、「東西」という観念的な対立がネーションの対立になってきた。一方で、ヨーロッパ共同体のようなネーションステートの統合もある。これは資本主義のトランスナショナルな性格(今ならグローバリズムか)で、ネーションの区別なしに「交通」があるため。1930年代の世界のブロック化のようであるが、当時の帝国主義的なブロックなのではなく、古代の「帝国」化に近い。帝国では普遍語(ラテン語、漢語、ヒンドゥー語など)を共有していれば勝手にやってよかった。一方ネーションは俗語(それはもとからあったのではなく、翻訳や官庁語としてつくられ、普及させられたもの)を使用する。いったん伝統を切断してできた俗語を使うことで、ネーション意識(そのために死ぬことが永遠に生きることという気持ちになること)を生んだ。その点で、ネーションは近代に形成された人工物。明治維新は西洋植民地主義の産物で、ネーションステートを作ったが、ネーションは作らない。それは「日本近代文学の起源」で対象にした時代の文字運動において形成された。ネーションができる一方で、トランスナショナルな共同体を構想する人々もいた。岡倉天心、夏目漱石など。
(とても粗いまとめ。そういえば言文一致運動のころに、合唱運動がおきて、日本人は初めて一緒に同じ歌を歌う経験を持つようになった。それはナショナリズムを普及し、高揚させることになった。これも文字=文学運動とみてよい。ちなみにそれ以前の日本人の歌は独唱に合いの手をいれるというもの。まあカラオケみたいな歌い方をしていたのだ。)
議会制の問題 1992.11 ・・・ 自由主義と民主主義は違うということ。民主主義は人民の同質性を求め、異質なものを排除しようとする(排外主義者やネトウヨはその意味で「民主主義者」。カウンターはむしろ自由主義的であって、それが「民主主義を守れというのはちょっと倒錯)。議会制の肝は秘密投票にあって、「私的」な部分をもつ。代議制には民意をどのように把握するかと多数は真理を把握できるかという問題をもっている。ときに代議制は危機になるが、それは民意を代表していない「腐敗した」議会を嫌い、別の「真の代表」を求めるところにある。通常、これをファシズムと呼ぶが、むしろボナパルティズムというべき(21世紀にはポピュリズムか。木下ちがや「ポピュリズムと「民意」の政治学 3・11以後の民主主義」大月書店を参照)。自由主義と民主主義と議会制は危うい基盤にたっていて、瓦解の可能性がある。それは資本主義経済の危機から生じる。
(1992年には可能性として書かれた事態が、2012年以降はリアルな危機になっていることに戦慄。あと、ここの議論は改憲阻止や反自民党の運動には使えないなあ。かなりの知識と理解が必要。ネトウヨが「民主主義」的というのはまず理解されないだろうし。)
自由・平等・友愛 1992.11 ・・・ フランス革命のこの標語は両立しない。どれも資本主義経済を基盤にしているので、その分析もいっしょにしないとダメ。自由では他人の恣意的な意思(とくに権力)に拘束されないことで、特に私的所有(労働含む)は自由と不可分なので私的所有を制度的に保証するのがブルジョア革命。平等は経済的・分配的平等であり、近代資本主義の中で見出される。これが両立可能かというのはずっと問題。イギリスは制度的な自由主義があって政府がコントロール。しかしフランス革命では権力の制限としての自由はなかったので、平等は実現されず、国家主義的独裁になり、ボリシェヴィキに継承される。政府や政党が国民や市民の意志を代表していないので( カール・マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」(岩波文庫))。国家や政府が実施できない平等の実現を目指すのが社会主義。それには国家による分配と、自由主義による分配の二通りが構想された。アナキズムは後者。でも、普仏戦争(1870年)やパリコミューンの敗北(1871年)で、個人の連合は組織(党やシステム)に敗北し、社会主義は民主社会主義へ、さらにボリシェヴィキに至る。ここでは国家の支配を強化し、ナショナリズムで統合をはかる。
友愛は感情的な規範で、18世紀後半以降に見出される(典型はフランス革命)。共同体が崩壊した後の個人によって見出される(例は野球場の応援)。想像的な共同体としてのナショナリズムの起源になる。友愛は起源においてインターナショナルでもあるが、国家が取り込もうとする。前者はアダム・スミスが考えたことであったり、アナキストの相互扶助になる。でも友愛の相互扶助は持続しない。制度化すると友愛ではない(この指摘は東日本大震災の支援やボランティアをみるとそのとおり)。友愛のナショナリズムが国家に制度化されると長続きする。すべての国民を救済し平等をもたらし、国家の自由と平等の矛盾を解消できると想像する(これは過激なナショナリストであるネトウヨの思想そのもの。あいつらはまさにこれを実現しようとする。そのための搾取や排除の対象をつくることを前提にする)。
資本主義の危機(進歩が止まって、信用の体系が崩壊するとき。恐慌)になると、自由主義が放棄され、不平等が露出される。貧困の拡大、格差の拡大、政府の機能衰えなど。1930年代の資本主義の危機で、対応できるのは、共産主義と自由主義、ファシズムとアナキズムとされた。前者は未来のために現在を我慢するという、進歩を信じる立場。後者は未来より今ここを重視する「性の哲学」に依拠。
(この論文で重要なのは、自由主義や民主主義、平等思想が資本主義経済の中で見出された考えや制度や想像なので、資本主義分析を抜きにする議論は、筋を見間違えるということ。結びでこういう。自由・平等・友愛は資本主義経済に依拠しているので、資本主義の危機のたびに矛盾が露呈する。そのときに、共産主義は幻滅されたのであらわれず、ファシズムしかでてこない。それはかつてのような国家資本主義や国家主義ではなく、民主主義として表れる。強く抵抗するのは社会民主主義者ではなく、頑固な自由主義者であると、著者は1992年に予言する。2011.3.11以降の市民運動を見ると、まさにその通りの事態になっている。自民党が選挙によってファシズムとなり、極右が友愛としてのナショナリズムで排外主義と差別主義を強行に主張し、それに対抗する市民運動は組織や党やシステムに依拠しない個人の連合で動く頑固な自由主義者ばかりになり、共産主義や社会民主主義は姿を見せないか運動の足を引っ張る。
著者のキーワードに「社会的」があるが、簡易で明快な説明があった。
「マルクスは「社会的」という言葉を、相互に異なった共同体で無関係に生きている人々が(そうと知らずに)貨幣による交換によって関係づけられてしまうようなことを指すときに使います(P91)」
あと自由主義がもたらす分裂や疎外(私的所有の自由は経済格差を生む)の克服は、感情の共有(相互扶助とかあソシエ―ションとか)とロマン主義的な復古(ナショナリズムも)がある。後者はファシズムになる。日本では京都学派の「近代の超克」に典型例。参加して人たちは未来に伸びる時間(弁証法)を否定した。自由主義や共産主義を国家資本主義で批判したといえる。この主題は次の論文で。)
以上の主題は、資本主義・国家・ネーションについて。通常は別々のものとされているが、不可分である。そのうえ資本主義経済の成長で作られたり、見出されたりする。フランス革命の自由・平等・友愛も、資本主義経済と不可分。
この主題はのちの「世界共和国へ」(岩波新書)でより詳しく見ることになりそう。その事前準備に以上の3つの講演は重要。論文でないので、読みやすい。
2018/11/13 柄谷行人「世界共和国へ」(岩波新書)-1 2006年
2018/11/12 柄谷行人「世界共和国へ」(岩波新書)-2 2006年
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2018/11/23 柄谷行人「戦前の思考」(講談社学術文庫)-2 1994年