odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ロス・マクドナルド「人の死に行く道」(ハヤカワ文庫)

 探偵リュー・アーチャーの登場第3作。初登場の「動く標的」はまだ読んでいないが、ポール・ニューマン主演の1960年代の映画は面白かった。小説そのままに、探偵が捜査しているのがほとんどで、暴力はときたま。たくさんの登場人物がでてくるので、観客は記憶をしっかりもたないを誰が誰やらわからなくなるし、犯人はもちろん真の姿を隠しているので、それを見破らなければならない。ほんのわずかな暴力描写でも、当時はとても危険なにおいがしたが、実は頭をつかわないと筋がこんがらがるのである。まあ、昨今のアクション映画は銃弾と爆発が10分おきに出てきて飽きさせない一方、悪人は冒頭から登場しているので、筋がこんがらがることはない。どっちがいいのやら。

 看護婦の娘が失踪した、ついては探し出してくれという依頼が娘の母親からあった。最後に彼女が看護していたのはギャングの仲間スピード。顔がまがるほど殴られている男は顔が広く、どうやら何人ものの知り合いが出入りしていて、そのなかでも大物のギャングと一緒に失踪したらしい。娘の行方はすぐにわかったが、結婚していたやくざジョオは失踪していた。それは双子の兄マリオが持っているヨットを持ち出してのこと。嵐の中を出帆したおかげで、メキシコに逃げるどころか、湊を出てすぐのところで座礁。近くで溺死体で発見される。このやくざの家を調べに行くと、アーチャーは頭を殴られて失神。とおりすがりの良い婦人に助けられたものの、彼女は結婚したばかりのハンサムが行方不明になったと嘆いている。死んだやくざにはキースという落ち目の俳優がいて、娘と何度かあっているから話を聞きに行くと、自宅で殺されていた。そばには盗まれたアーチャーの拳銃があり(失神したときに奪われた)、アーチャーに嫌疑がかかる。
 この地域はドゥザーというギャングのシマになっていて、娘の夫もその一味。娘のいた病院にいたギャングの仲間はドゥザーに敵対するところにいたらしい。こいつは、とおりすがりの良い婦人に取り入って、結婚したが、それは婦人の金目当て。3万ドル(1951年当時のこの金額は、現在価値に直すと1億円くらいかなあ)をもって、でかい取引をするところだった。アーチャーは町のヘロイン中毒やヤクの売人に会い、ジョオやキースがヤクの売買にかかわっていたことを知る。
 途中で中断したので、筋がこんがらがってしまって(あんまり頭を使わない読者であった、俺は)、中盤が混乱している。娘の失踪は町のやくざの麻薬取引にかかわるもので、そちらをどうするかという方向にも話が進んでいく。「ギャング」としているのは原文がそうだったからだろうが、やくざの関係者はイタリア系の名前なので「マフィア」のほうが正しいかもしれない。
 登場人物が多くプロットが錯綜しているのかなと思ったら、作者はいくつかの探偵小説的なトリックを仕込んでいた。いくつかの一人二役に、死因の偽装。まあ、1951年当時で科学捜査の初期だから、トリックが使えたのだろうけど。
 あんまり大したことないギャングの抗争ものかと思っていたら、最後に真犯人を見つけてからのセリフが秀逸。

「おれはただの平凡な人間なんだ。そのおれが、ほかの人間にかまってやらなかったら、ほかに何をかまってやるのだ? それに、おれがかまわなかったら、だれがやる?(P301)」(アーチャー)
「(犯人)は人に好かれたことがないんです。…ますます自分のなかに閉じこもってしまったのです。…(若いころには)夢の中の人生を生きていて、それですからめだたなくしたんです。事実はそういうことがかえって敵をつくってしまった(P318)」(真犯人の母)

 こういう省察観照は後の作品になるとまず見当たらないので貴重。
 現実逃避と承認欲求が、犯罪に手を染めて、成功すると抜けられなくなり、墓穴を掘って、より大きな犯罪を犯すようになってしまう。目立たない文章だけど、これだけで犯人の半生がわかり自暴自棄の様子が見えてくる。この観察力と確かな文章力が作者の魅力。後期の作に比べると浅いのだが、凡百のハードボイルドにはまずみられない。
 そのうえで、アーチャーは不幸な人に手を差し伸べようとする(犯人に対してではない)。これは「探偵」の役目ではないし、ビジネス契約の条項にも含まれていないが、アーチャーはそうする。これは珍しいアクションだった。