odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ロバート・ハインライン「失われた遺産」(ハヤカワ文庫) 1940年代の短編集。ストーリーテリングよりも著者の主張が先走った若書きの小説。

 1953年初出の短編集。1940年代の短編が収録。

深淵 1948 ・・・ 月から地球を訪れた男。税関をぬけたところでさっそくスリに会う。ホテルに入ると服が消えている。財布も入れ替わっている。男は月から重要なマイクロフィルムを運ぶという危険な仕事をしているからだ。その極秘情報は事前に地球政府その他に漏れていて、いくつもの陰謀団が彼を付け狙う。ようやくフィルムを指定のところに運んだかと思うと、上司に呼び出され任務に失敗していることがわかる。ここまではヒッチコックばりのエスピオナージュ。「39夜」とか「間諜最後の日」とか。彼を助けてくれた男の組織につれられると奇妙な話をされる。君は見込んだ通り、「超人」であるのだ(マンガや映画のスーパーマンではないよ)、われわれと宇宙的な任務に就いてほしい。というわけでしばらくは彼の特訓が描写される。おもに高速言語を使って情報交換を早くすること。パタリロの速聴術を思い出すし、同時期に書かれたオーウェル1984年」の人工言語を思い出す。で最後に、フィルムの情報(世界を吹っ飛ばす強力な爆弾)を握ったマッドサイエンティストを倒すためにアタック・アンド・エスケープの任につく。ショーやステープルドンなどのイギリスの超人テーマは暗く悲観的なのに、アメリカに移ると楽観的になるのは面白い。背景や設定には冷戦と水爆が反映しているのだろう。

時を超えて 1941 ・・・ 時間はおおざっぱには、1)ビッグバンから熱的死までの宇宙的なもの、2)時計で計測できる物理的な時間、3)生命が把握する生理的・主観的な時間。われわれは3の時間を経験しているが、互いに語れるのは2だけという不自由な状態に置かれている。で、博士は研究の結果、時間旅行を可能にしたのだった。実験に参加した学生たちのそれぞれ異なる多元宇宙。この種の傑作は、ブラウン「発狂した宇宙」、PKD「虚空の眼」なのだが、それらに先立つこと約15年。

失われた遺産 1941 ・・・ 大学で心理学その他を研究している3人組が、人間の潜在に備わっている、現在では「超能力」というしかない能力の開発研究に乗り出す。早速大学当局から嫌がらせがあるが、彼らはめげずにアメリカを旅行しながら研究を続ける。ある山に魅かれて登山すると、夏なのに吹雪にあい、不思議な老人に助けられる。彼は数十年前に行方不明になったアンブローズ・ビアーズだった(な、なんだってAA略)。かれら超人は昔から一定割合で存在し、小さなコロニーを作ったりして、修行しながら身を守っていたのだった。それは彼らに敵対する人間を支配する闇の勢力から防衛するためだった。この若い三人はその方針では不十分として、積極的な活動を開始する。若い少年少女には彼らと同等の能力の持ち主もいた。一方、闇の勢力はこの動きを察知して一大攻勢をかけてくる。どうする、スーパーマンたち? 主題はコリン・ウィルソン「賢者の石」やラブクラフトクトゥルフシリーズに通底する。なにしろ、人間はこうやって霊的に進化する余地があり、その意味では選ばれた生物であるから。まあ、社会の不正や大人の汚さに憤ったり、社会で不遇な人の考え付きそうなアイデアだな。ハインラインに特長的なのは、この種の能力や正義は社会に積極的に啓蒙し、遅れた人達を教育しなければならないという使命感だな。能力をもっていても人間の生活で十分という人への配慮はないし、彼らが動かないのは怠慢で怠惰なことだといいたいらしい。そして彼らに敵対する力や集団は実力でこれを排除せよ、なにしろ彼らは人間の進化を押しとどめ人間を奴隷にする悪だから。まあこういう主張のようで、そこから朝鮮・ベトナム・ハイチ・キューバ・中東その他の反民主主義勢力の進行に対して介入していく政策との差はまったくない。ここらへんの使命感とか正義感とか鷹揚さ、いっぽうの無神経で他者配慮に欠けるあり方はまさに「アメリカ」そのもの。あと、3人組の超人たちの疎外感はのちに「異星の客」に結実する。

猿は歌わない 1947 ・・・ 人工的に猿に知能を与え、労働用に使役していた。その会社の大株主の女性が義侠心を起こし、猿の待遇を改善する訴訟を開始した。通常の弁護士は腰が引けているので、ヤバイうわさのある弁護士に一任する。彼の採った法廷戦術とは。ほとんど同時期にチャペック「山椒魚戦争」があり、そこでは知能を持った山椒魚に「人権」を拡大していく過程が書かれていた。たしかに西洋中世では木を被告にした裁判もあるし、いまでも動物や樹木に人間と同等の権利があるかと議論されている。アジアの一員ではこの種のことをあいまいにしているのだなあ、西洋の合理主義はここまで徹底しないと気がすまないというのも厄介な話だなあと口ぽかんの感想。


 ここにあるのは、ストーリーテリングよりも著者の主張が先走った若書きの小説。ほとんどがあまりにアイデアを押し込めすぎて、ストーリーは窮屈だし、人物も十分に描かれたとはいえない。そういう点では不満足だが、のちの主題のほとんどがここにあることを見出せる。とはいえ、自分はハインラインとはいろいろなところで意見を異にするなあ。「異星の客」一冊のみが自分の評価できる作(これを書いたときには。今は不満足)。その他はどこかに不満が残った。若いときにクラークやアシモフほど興味をもてず、その後ディックやヴォネガットに熱中するようになったのだった。


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