2015/10/06 ロバート・ハインライン「月は無慈悲な夜の女王」(ハヤカワ文庫)-1
物語は三部構成。第一部が独立運動の組織化から叛乱、独立宣言まで(アメリカ合衆国の建国300年に当たる2074年7月4日に宣言を出した)。第二部が世界連邦との交渉。第三部が世界連邦との戦争。
独立運動の組織論も面白い。世界連邦の警察が居住民を監視しているから、組織は秘密が漏れないようにしないといけない。そこで一人の運動員は一人の上司と3人の部下を持つ。その単位を10から15くらいのレベルまで深くする。そうすると、どこか一人が逮捕されたとしても、組織への被害は極めて少ないし、すぐに再建できる。まあ19世紀の共産党員や無政府主義者のやり方と一緒だね。そうすると、トップだけが全貌を知ることになるが、情報の伝達が遅くなる。この国の戦前の共産党は情報伝達のときに誰かに接触するところを逮捕されて、組織が瓦解していったのだ。その轍を踏まないために使うのが電話。運動員は自分専用のコードを持ち、そのコードがそのまま電話番号になり、報告相談連絡は電話を使う。複数通話も可能で、録音したメッセージを聞くことができる。そんなのできないよと思いそうだが、独立運動組織のトップは、月世界を管理するコンピュータそのもの。彼は自律的にプログラミングできるので、情報伝達の管理のみならず、運動方針や作業指示を出せるし、世界連邦のスパイを監視し、ニセ情報を世界連邦に送ることもする。彼がすべての通話を管理・監視しているから、情報は<敵>に漏れないわけだ。なるほど、テクノロジーが運動員の物理的接触をなくすので、安全度が高まるわけだね。
(とはいえ、新規の運動員はオルグで獲得するので、そこで物理的接触があるし、非運動員の噂になるのだから、それが漏れ聞こえるはずなのだが。政治運動は公然運動や情報宣伝が必須なので、どうしても社会の監視の網に引っ掛かりそうなものだ。そこは華麗にスルーされている。あと、独立運動組織は実質的には4人と一つのコンピュータで運営されている。この強力な中央集権制は幹部らの人格で平等性や公平性が担保されている。それはちょっと脆弱な気がするなあ。さらに、最も高いリスクはコンピューターの故障と破壊だが、それに対する備えとバックアップは不十分だったし。まあ、でも21世紀には社会運動はこういうブランキ・レーニン主義的な秘密結社である必要はなくなったので、この組織論はもう古めかしい。)
独立を保障するために、彼らの組織がやったことは、ロケットの射出台を改造して、月の岩石を地球にぶつける装置をつくったこと。燃えきらない隕石をコンピューター管理で降らすことで、核爆弾なみの威力を発揮するのだ。そのうえで、小麦の輸出禁止。地球の人口は110億人にもなるので、多くの地域では月からの輸入に頼っていた。この二つを武器に月世界は世界連邦に対峙する。
ベトナム戦争のパリ会談のように(初出の1967年に進行中)、交渉は進展しない。その間に世界連邦は輸送船を改造して月世界の攻撃を準備する。返り討ちにした月世界は地球に岩石を降らせる。たがいに消耗戦となり、どちらが先に音を上げるかというチキン・ゲームの様相を呈してきた。月世界は持ちこたえることができるか、独立を維持することができるか。
なるほど政権を持たない居住民が自治の権利を獲得するというのは、独立と呼んでもいいし、革命と呼んでもいい。ハインラインの想像した「革命」はアメリカの独立戦争に近いが、容赦ないと思うのは、世界連邦の攻撃とその報復で死者が出ることを容認することだ。月世界の居住地への攻撃とその防御では攻撃側で2万人、防衛する月居住者にその3倍の死者がでる。隕石による攻撃では一発当たり数万人の死者が地球人にでて、それはアメリカの都市でも生まれる。この小説では世界連邦とアメリカは抑圧する側になっているから、地球人への憐憫や同情はない。アナルコキャピタリズムやリバタリアンでは国家や政府への忠誠はないので、これは「自然」といえるかな。それでも1967年のベトナム戦争中に書かれた小説で、アメリカを「敵」にするというのはなんとも大胆。
戦時中のような緊急事態では、無政府はできない。この小説でも議会が招集され、大統領や総理大臣、各種大臣が任命され職務を全うし、居住民がそれに従うことを求める。世界連邦の攻撃による負傷者は無償の治療がなされ、失業者は別の職務に就くことが命令され、死者の家族には補償金や年金が支払われるだろう。この業務には組織的な対応が必要になり、運営のために税金の徴収が行われるかもしれない。それらは戦後も続く業務になり、官僚制が生まれるかもしれない。国家の始まりでもある。小説では書かれていないこの「戦後処理問題」をアナルコキャピタリズムやリバタリアンは克服し、元の無政府に戻すことは可能だろうか。気になる。
ハンナ・アーレントは「革命について」(ちくま学芸文庫)で、アメリカ独立戦争(革命)を成功例とみなしている。それは、独立戦争が自立的に発生した民間の草の根組織の集まりで運営されたところを評価しているから。フランス革命を評価しないのは、その種の草の根組織が弾圧解体され、政治団体による恐怖支配が発生したからだった。さて、ハインラインの夢見る「革命」はアメリカ独立戦争にとてもよく似ているが、ハンナ・アーレントの評価基準によるとどうなるだろう。コンピューターに情報管理・監視と数名の合議による運営は、基準をクリアできないのではないと思うのだ。
(あと、アメリカ独立戦争と月世界の独立が成功した理由の一つは、宗主国がとても離れていて、大規模な軍隊派遣をできなかったところにあると思う。フランスやロシアの革命では、革命と敵対する国家は地続きで、周辺国の軍隊が介入して、そのために軍事組織を強力にしないといけない事情があった。軍隊は民主主義や市場とは相反するもので、その力を背景にすると政府は大きく暴力的にならざるを得ない。アメリカとこの小説の月はそうならずに済んだところが僥倖だった。中国、キューバ、イランなどの革命もアメリカやソ連の超大国からとても離れていたことが成功のひとつだったのだろう。ああ、この国の明治革命もそうだな。)
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