odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

イタロ・カルヴィーノ「柔らかい月」(ハヤカワ文庫、河出文庫)-1  Qfwfq老人(別の訳者ではクフウフクと表記)のホラ話。生命現象を語る自己の特権性を強調できなくなる。そうすると、語り手は自分を普遍的なお喋りシステムにするしかない。

 「レ・コスミコスケ」1966年に続く1967年の短編集。第1部はQfwfq老人のホラ話。訳者が変わったので、老人のイメージから中堅サラリーマンのようになった(一人称が「わし」から「私」に変更)。でも、底を流れるのは過去が回復しないことへの諦念。同類や仲間がいなくなってしまった孤独。現在への退屈。

第一部    Qfwfq氏の話
柔かい月 ・・・ 月の軌道が変わり、地球に近づく。すると月の柔らかい成分が地球に降り注ぐ。月はチーズでできているという西洋の伝承にあるイメージからなのだろう。Qfwfqはシビルという天文学者と結婚している中年になっている。

鳥の起源 ・・・ 爬虫類から哺乳類が分かれたのが2億5千万年前で、鳥類が分かれたのは1億5千万年前から2億年前とされる。「私(Qfwfq)」という哺乳類の代表が初めて鳥類と接触した。鳥類の女王と結婚することになる冒険譚がコミックのコマを読むように語られる。方法の勝利。

「だれがもっと進化し、だれが現状にとどまり、そしてだれが淘汰されるかは、われわれがわれわれ自身のなかから選ぶべきことだった(P24)」

「私(Qfwfq)」はラマルキスト

結晶 ・・・ 世界を構成している物質がでたらめにあつまる泥や岩石やガラスではなく、物質ごとに集まる結晶になっている世界を創造する。連鎖反復される原子の網目による規則的で対称的で秩序ある世界。それとはまったく異なる1967年の工業社会(蛍光管、テレビ、トランジスターなどの非結晶体ばかりで構成)。

血・海 ・・・ 生物が陸上に上がったとき、体内に海を取り込んだ。すなわち、かつての内部と外部が逆転したのだ。食と性は内部と外部の区別を一時的になくす破壊と再生の儀式であるのだ(ここからポストモダンの「内と外」の同質性に関する思索が始まったのである、嘘)。観念的な話が、実は無謀運転の事故報告であるという悲しみとおかしみ。

第二部    プリシッラ (「レ・コスミコスケ」は天文学と物理学の話題だったが、ここでは生物学(細胞分裂、生殖、進化、死)の話題になる)
I ミトシス(間接核分裂) ・・・ 間接核分裂という専門用語はみなれないので、体細胞分裂のほうが広範に知られている。さて単細胞生物の「私」が内と外の区別をもたないところから、自己意識を持つようになり、染色体が突如倍増し、「内部」で「シンメトリックな非対称」(なんじゃそりゃ?笑)を構成しながら、内部に幕が広がって裂けていき、「私」がふたつに別れるまでを心理的哲学的用語を用いながらしゃべる。ここから内と外、生と死、愛と憎悪などの二分法が始まり、種や性別が誕生するのだろう。そこに「愛」はどのようにありうるのかなども心理も問う。埴谷雄高は「死霊 III」(講談社文芸文庫)第七章 《最後の審判》で、単細胞に存在の欺瞞をかぎだしたので、東西の知性の在り方の違いに思いをはせよう。

odd-hatch.hatenablog.jp

II メイオシス減数分裂) ・・・ 「私」とプリシッラの性交を生物学的に描写。そうすると、愛や性は現在の個体同士の存在に関わる一時的な現象なのではなく、それぞれの父や母、それ以前の父や母などからのメッセージをシャッフルして交換し合う過程なのであり、存在や現在の優位はどこかに消えて、超歴史的なメッセージの伝達に存在は一瞬関わるだけなのだ。おお、これはドーキンスあたりが提唱する現代進化論のまとめであり(ドーキンスより前)、存在論の否定ないし解消なのだ。

III 死 ・・・ 生物を個体の群とみるより、メッセージの伝達プロセスとしてみるとき、死はシステムを安定にする機構とみなせる。個体は過去のメッセージを受け取ることに加え、独自の情報(ほとんどはクズなのだろうなあ)を追加して、メッセージを複雑化・劣化するのだから。個体の死は悲哀ではないが、捨てられる情報は惜しいと思うかもしれない。

 

 以上7編はQfwfq氏が語る物語ということになっているのだが、「II メイオシス減数分裂)」あたりから固有名や個性としてのQfwfq氏はいなくなる。宇宙論や物理学の用語とイメージを使っていた「レ・コスミコスケ」では異邦や異国のできごととして語ることができた。でも生物学の用語とイメージを使うと個性を当てこむことができない。おそらく、生命現象を語ることは自己自身を語ることになるから。ことに「I ミトシス(間接核分裂)」で自我や他者認識の起源を語ると、自己の特権性を強調できなくなる。そうすると、語り手は自分を普遍的なお喋りシステムにするしかない。

 

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2022/07/12 イタロ・カルヴィーノ「柔らかい月」(ハヤカワ文庫)-2 1967年に続く