odd_hatchの読書ノート

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横溝正史「恐ろしき四月馬鹿」(角川文庫) 作家がデビューしてから新青年の編集長になるまで(1921-1925年)の短編。モダニズムの文章は今でも古びていない。

 作家がデビューしてから新青年の編集長になるまで(1921-1925年)の短編を収録。ずっと絶版だったが(これは高校生の時に購入)、Kindle版が廉価で販売されるようになった。まずはそのことを言祝ぎたい。

恐ろしき四月馬鹿 1921.04 ・・・ 中学校の寄宿舎で格闘の跡が見つかり、生徒が失踪した。犯人と目された生徒は生徒による陪審官に裁かれることになった。19歳で作ったデビュー作。手本がわずかな時代によく書いたなあ。森下雨村(当時30歳)もよくこの若者を推挙したと、当時の新青年編集長もほめないといけない。

深紅の秘密 1921.08 ・・・ 外遊先ドイツで購入した5冊の洋書。カバーは赤、緑、紫、黄と変色した。ある夜、そのうち緑を除く3冊が盗まれ、翌日も赤が一冊盗まれた。なぜ緑だけもちださなかったのでしょう。富裕な青年の一人称の独白は、平成の「新本格」の文体にそっくり。まあ19歳で書いたものだ。ドイツ人の名が「ザーメン・ラーゲ」「ウワッサア」なんて、正史君、遊びましたね。あと(第1次大戦)戦後好況のおかげで西欧を外遊した青年はたくさんいたのだろうなあ(そういう人が外遊先で購入したものが1世紀近く経て「開運なんでも鑑定団」などにでると高値を付ける)。

画室の犯罪 1925.07 ・・・ 肺病患者の画家がアトリエで刺殺されていた。大量の血糊、粉々に砕かえた画材、混乱の極み。犯人を目されたのは画家と同棲しているモデル。刑事の伯父にくっついていった青年の最初の成功譚。二段落ちとは粋だねえ。あと肺病患者の描写がスーザン・ソンタグ「隠喩としての病」(みすず書房)の指摘そのもの。

丘の三軒家 1925.10 ・・・ 丘の三軒屋で井戸を掘り始めた親父がある。深くなったところで、親爺は落下して死んでしまった。事故と処理されたが、親爺の息子はなにか感づいたことがあったのか、井戸を掘りかえしてみた。最後の一行のインパクトは、もうないなあ。

キャン・シャック酒場 1925 ・・・ 失恋していらいらした青年が新しいバーに連れられて行った。友人が女給といちゃいちゃしているので、いらいらしてくる。作家の自慢げな顔が浮かぶようなジョークが大成功。

広告人形 1926.01 ・・・ 醜男の画家が浦島太郎のかぶりものをして映画館の広告を配るバイトをしていた。彼のチラシを受け取った女性が血相を変えたので、気になる。ああ、この時代(無声映画だ、もちろん)にはそういうバイトがあったのだ。あと、この画家の欲望は乱歩「人間椅子」の主人公と同じ。でも横溝の人物は街頭にでて人に話しかけ、乱歩の人物は引き篭もって沈黙する。そもそも横溝の人物は、引きこもっても数日で飽きて、外に出てしまうのだよな。ここは大きな違い。

裏切る時計 1926.02 ・・・ 詐欺師が同棲の女の懐から落ちた新聞記事に目を留めると、自分の事件のことが書いてある。これはいかんと女を押さえつけて殺してしまった。さっそくアリバイつくりにかかった。女の真実を知ることの苦さ、おのれの愚かさへの苦笑。あと大正9年1920年)に不況になったことが書いてある。

災難 1926.04 ・・・ 大阪に奉公にでたぼんさんが田舎から出てくる娘の世話をすることになった。駅に出迎えに行くと、それらしい田舎娘がいたので声をかけた。関西弁だと、恥ずかしい失敗譚も落語みたいになるな。

赤屋敷の記録 1926.06 ・・・ 赤屋敷、転じて幽霊屋敷と呼ばれる西洋館の家族に起きた悲劇。正妻と妾の息子たちで互いに憎悪している。こういう家族は何度も繰り返されるモチーフになった。小説内小説の仕掛けも行き届き、落ちも皮肉と辛みが効いている。ただ設定に問題あり。これは封印されてもよい。

悲しき郵便屋 1926.07 ・・・ 音楽家の令嬢に楽譜の暗号を手紙にしているのを見つけた郵便局員。恋する思いでニセの手紙を出した。乱歩の「算盤が恋を語る話」のバリエーションですな。楽譜の暗号は「蝶々殺人事件」で繰り返される。

飾り窓の中の恋人 1926.07 ・・・ 飾窓のマネキンに恋した青年が、窓を破って人形を盗み出した。チェスタトン「奇商クラブ」の会員。

犯罪を猟る男 1926.10 ・・・ 深酒をしている男にある青年がやってきて、Dビルディングの事件のことをしゃべりだす。4階の便所で女が殺され、「キネマ」の雑誌をもっていた男と一緒にいたと証言するものがいた。青年は別の解釈を持ち出す。えーと、当時の便所は男女の区別がなかった(1960年代までそういうのが残っていた)。このなれなれしい青年の語りは、谷崎潤一郎「途上」にそっくり。

執念 1926.11 ・・・ 吝嗇の義母が死んで金を残したはずだが、家のどこにもない。残された夫婦は互いに出し抜こうと角突きあわせている。ある夜、妻がかきつけのとおりに納屋の紐をひいたら。ロバート・バー「チズルリッグ卿の遺産」のバリエーションですね。もちろんもうひとひねりしている。

断髪流行 1926.12 ・・・ 同棲している男に髪の毛の包みが届く。そういえば女は最近はやりの断髪(まあ、ボブ・カットだな)にしたのだが、なにかあったのか。皮肉な「賢者の贈り物」。パーマもこのころ流行ったのではなかったかな。


 ここの大正時代の習作を書いていたとき、ヴァン=ダインもクイーンもカーも作品を書いていなかった。クリスティとクロフツ、フィルポッツくらいがパズル小説をかいていたくらい。お手本になるのは、ルブランやドイルで、人気のあるのはマッカレーやビーストン、ルヴェルの変格もの。そのような場所で作ったのが、ここにある短編群。
 俺は、横溝の作品ではデビュー直後のモダニズムのが好きだ。上にまとめたように、元ネタを思いつくような習作ばかりとはいえ、ここの横溝はとてもあたらしい。もしかしたら、同時期の作家の中でも都会とそこに住み人々をもっとも活写できたのではないかしら。
 たぶん生まれが神戸であることが重要で、同時代に今東光淀川長治が神戸にいたとおり、この都市が外国人の往来があり、外国の文化が直輸入されて、それを市民が楽しんでいたことが重要。映画もたぶんたくさんみていたはずで、以下のようなスターが注釈抜きで登場する。ロン・チェニー、ベン・タービン、ダグラス・フェヤバンクス(ママ)など。この人選もちょっとひねったスノッブなものだよね(フェヤバンクスを除く)。そういう新奇なもの、モダンなものが彼の好奇心にひっかかったのだ。
<参考>ロン・チェニー@オペラ座の怪人

 ベン・タービン

 そのうえで重要なのは、この若い作家の文章が当時において新しく、半世紀以上を経たいまでも古びていないこと。言文一致の文章は漱石、鴎外あたりで一つの規範をつくったけど、1920年代の新聞、論説では、古めかしい、漢文体の文章が残っている。そういう影響下にある小酒井不木角田喜久雄小栗虫太郎夢野久作、大阪圭吉、松本泰などの新青年出身の作家の文体の古さをみよ、あるいは鮎川哲也編「怪奇探偵小説集」(ハルキ文庫)に収録された素人の文体の古さをみよ。モダニストには牧逸馬地味井平造がいても、彼らの文体も古くなった。あるいは横光利一川端康成丹羽文雄などをだしてもよい。そういう中で、横溝はとても新しい文体を駆使できた。そこがこの作家の特別な能力。そういう文章をもてたのは、ほかには乱歩くらい。
 一応、念押しすると、この習作ではまだまだ青臭い文体はのこっているし、25歳までは一人称でしか小説を書けなかったという欠点はある。重要なのは、この後の「山名耕作の不思議な生活」と合わせた習作群から、特に戦後の40代後半の年齢になってからさまざまな可能性を引き出していったこと。そこにはストーリーテリングのうまさとアイデアの豊富さがあった。

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