北海道に生まれた伊福部昭(1914-2006)は幼少時代(1920年代か)に、家の近くにあるアイヌの集落にいって、彼らの音楽を聞き、踊りを見る機会があった。それから35年後の1954年(作中に洞爺丸台風の記述があるので、この年とわかる)には極めて難しい。クライマックスはトウロ(塘路:この小説では地名はすべてカナ書き)のベカンベ祭りであるが、古老くらいしか祭儀を采配できず、女たちはでたらめな振りで踊りだしている。劇的な変化は戦時中の動員体制にあったとおもうが、どうやらすでに松前藩の入植からあったらしい。北海道の産物を収奪しようとする和人がアイヌの労働力を安く使ったり、土地を奪ったり、貨幣経済を持ち込んで格差を拡大していく。寛政元年(1772年)のクナシリ騒動ではアイヌの暴動で和人が十数名死亡し、松前藩によってアイヌ37人が斬首されたりもしている。和人の収奪や簒奪に抵抗する運動はほかにもあっただろうが、アイヌは次第に和人の社会にはいっていく。さまざまな差別があったので、和人の仕事に就く際にはアイヌであることを隠すようになった。和人とアイヌは結婚することを忌避しなかったので、混血も進む。小説の書かれた時代には、純系のアイヌ集落はすでにないとされている。
小説の背景を推測すると、敗戦後の労働組合活動の活発化に触発されて、戦前からアイヌ研究をしてきた人々によって、「アイヌ統一委員会」を設立した。どうやら共産主義をベースにして、分断されたアイヌを統一することをめざすらしい。中心にいるのはアイヌ研究者の池博士と、アイヌの壮年風森一太郎。前者は穏健派で、後者は対立関係を強めるのとアイヌの自立を目指すという考え。彼らの活動は敗戦後約10年を経過すると、支持者が減少する。すなわち経済成長の反映で自立した経営者が生まれ、アイヌと和人をことさら敵対するのが困るものがでてきた。多くのアイヌは工場他の労働者であり、出自を隠したい希望を持っているのである。近年起きた炭鉱事故では組合が被害者と家族の支援にいち早く乗り出し、政治色のない労働組合に期待するようになっている(しかし援助を受け職を得たものも、差別にあって苦しんでいる)。一方で、老人、病人、障害者などの弱者を支援するのは統一委員会(のうちの一太郎)のみであり、頼りにせざるを得ない。そのような経済関係に加え、アイヌと和人の混血の具合が彼らの心情を複雑にする。和人で在る自分からは民族に同一性を見出そうとする偏見を持ちがちであるが、実際はそうではない、自分が所属する社会と同じくらいに複雑で、多様であることを思い知らされるのである。
そのうえ、舞台は北海道の西部であってさほどの苦労なく旅行できるところであり、関係者は「日本語」を母語にしている。自分の社会の地続きで、差別や格差があることを知るのはつらい。まして「解決」を考えるにもt係がなく、どこに向かえばよいのかもわからない。それが読書の最中の困惑となって表れる。なるほど、アイヌの習俗は新鮮な驚きと好奇心をもたらす。でも、この本はレヴィ―=ストロース「悲しき南回帰線(熱帯)」やマクフィー「熱帯の旅人」のような「文化人類学」のフィールドワークや研究報告書ではない。彼らのように距離をもって「観察」することなどできない。自分のような和人と母語を同じにする集団との差別や蔑視や嫉妬の関係を意識せずにはいられない。辛い。
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2016/05/16 武田泰淳「森と湖のまつり」(新潮文庫)-2 1958年
2016/05/13 武田泰淳「森と湖のまつり」(新潮文庫)-3 1958年 に続く。