odd_hatchの読書ノート

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大江健三郎「洪水はわが魂に及び 上」(新潮社)-2

2016/02/01 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 上」(新潮社)-1


 核シェルターに引きこもっている大木勇魚はなにものかに監視されている。遊園地の中で警官が襲われるのに遭遇したり、深夜にシェルターのコンクリートの壁になにごとか書かれていたりして、彼が近づいてくるのに気が付く。壁に書かれたいたずら書きに手を加えたら、翌日、外出中に核シェルターは若者たちのグループに占拠されていた。喬木と名乗る若者に率いられたグループ「自由航海団」は、車を盗んだり、街中でいたずらをして交通渋滞を起こしたり、クルーザーを占拠して外洋に出られるように改造したり、警官などから拳銃その他を奪い武装を開始していたり、軍事訓練を行ったりして、非社会的・反社会的な行動をとっているグループであった(ただし左翼運動や市民運動などとは関係を持たない、孤立したグループ)。とりわけ深い思想を持っているわけでも、社会変革の志をもっているわけでもないグループに、勇魚は魅かれる。グループの一人の女性・伊奈子が障害もを持つ息子人の世話をして、しかも短期間で言葉の少ないジンと交流したあたりで、勇魚は「自由航海団」の「言葉の専門家」になる。
 喬木は自衛隊員の指導による軍事訓練を計画する。勇魚は政治家の父のつてを使って西伊豆の開発放棄地を借り、伊奈子が基地で誘惑して調達した。マシンガンや銃剣などを使った訓練はハイキングのように進んだが、「自由航海団」の一員である元カメラマンの「縮む男」が策略を謀る。すなわちこのままでは子供の遊びである「自由航海団」に、危機を入れることで、一気にヴィジョンとミッションを達成するよう推し進めるというのだ。訓練の様子の写真を週刊誌に売り、それを「自由航海団」に公開する。多麻吉という武闘派の未成年が「縮む男」にリンチを加え、査問する。「縮む男」は自由航海団を挑発し、リンチ死される。薄笑いを浮かべて見ていた自衛隊員は逃げ出し、神奈川のどこかの海岸で拳銃自殺する。週刊誌に記事が載り、「縮む男」と自衛隊員の死体が発見され、彼らは「武装テロリスト」と指名手配される。
 「自由航海団」はつぶれた遊園地の撮影所にクルーザーを保管していたが、撮影所が取り壊されることになる。一人のメンバー(「ボオイ」)がクルーザーに残り、破壊を目前にしたクルーザーもろとも爆死する。勇魚とほかの「自由航海団」は、勇魚の核シェルターに立てこもり、機動隊が彼らを包囲するのを待つ。
 このあと約100ページ(新潮社の全作品第2期第5巻の場合。文庫だと200ページになるかな)は、核シェルターを巡る籠城戦。初出当時(1973年)には、事件の推移が浅間山荘や東大安田講堂に酷似しているので、感情移入しやすかったと思う(ぎりぎりでそれらの事件のニュース映像の記憶を持つ自分には臨場感充分)。どんどん追い詰められていって、生還の見通しのない戦いに向かう悲壮さ(しかし残ったものにはビジョンとミッションに対する達成感が充溢)に、胸締め付けられる思いがあった。作家は難解な純文学作家と思われているだろうが、このような冒険小説、戦争小説を書ききるエンターテイメントの力量ももっているのだよ。この小説は意図して冒頭から200ページあまりは事件の起こらない退屈なシーンにしているが(とどこかのエッセイだったか対談だったかでいっている)、後半に入ってからの怒涛の展開に手に汗握ってしまう。
 さて、20歳前後にこの小説を読んだときには、とても強い感情移入をしたものだ。それから四半世紀以上を経ての再読では、もはや人物たちに同化できない。いくつか理由があって、
1)勇魚は自分を鯨と樹木の代理人であると規定する。そう思う根拠は世界が崩壊や壊滅にむかっているからだという。同じく喬木も故郷の「鯨の木」を通じて宇宙的な意図との霊的な交感があると考えている。きわめて個人的な理由で彼らは自分らを選ばれた者であると自己規定し、それゆえに大崩壊や壊滅が起きても自分らは優先して生き延びていいと考える。
2)社会や世界に住む人々よりも鯨や樹木が優先されるという考え。そう考えてはいても、彼らは鯨や樹木と活動を共にするわけではない。保護の活動をするわけでもない。彼らが大事にしている鯨や樹木はビジョン、幻想のなかにしかない(だから彼らのビジョンは「自由航海団」の中でも共有されない)。具体性を欠いて観念の虜になっているのは、対象の鯨や樹木にも無責任ではないの?
3)鯨や樹木が優先されるという観念があらわにするのは、ほかの人間や社会生活への嫌悪。あるいは憎悪。「自由航海団」は大崩壊や壊滅の際には、パニックになった人々を殺戮したり、外洋に出たクルーザーに助けを求める人を排除しようと考える(そのための武装であり軍事訓練)。活動においても窃盗や強盗、障害を躊躇しない。機動隊や警官には暴力で敵対する。世界や社会の危機が訪れているという認識があっても、啓蒙や変革などのアクションを起こさない。
4)死の観念に取りつかれた人々が多数いる。勇魚、喬木、多麻吉、縮む男、「怪(け)」などなど。彼らが死に誘惑され、死への衝動が強まるにつれて、ほかの人も同調して、死に向かう。この小説には多数の死者が出るのだが、どの死者も死の誘惑によって自ら死を実行したように見える。小説全体では、とりわけ死の衝動の強い勇魚と縮む男と多麻吉が周囲を巻き込んで自殺したのではないかと思えるほどに。
 まあ、とても強い選民思想を持ったカルト運動に見えるのだ。それに同調するのは難しい。それに武装テロリストに認定される前に事態の悪化を回避するタイミングがあったにもかかわらず、停止することができなかったというのも。将来に予想される死を前にして、祝祭をぶち上げて踊り歌っている感じ。作品中で「自由航海団」は「子供」「役立たず」「非順応」と揶揄されるのだが、その通り。
(カルト運動の危うさは、「治療塔」「宙返り」にもみることができて、21世紀になってからの再読で閉口したものだ。振り返れば、「芽むしり仔撃ち」「われらの時代」のグループも似ているといえそうだ。)

    

2016/01/28 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 下」(新潮社)-1
2016/01/27 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 下」(新潮社)-2
に続く