odd_hatchの読書ノート

エントリーは2200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。

堀田善衛「美しきもの見し人は」(新潮文庫)-2

2016/04/20 堀田善衛「美しきもの見し人は」(新潮文庫)-1 の続き。


「愛するものについて語り出せば、やはり尽きせぬ思いがある(P224)」という作家が古今東西の芸術作品を眺め歩き、語る随筆。その後半。
 海老原喜之助の作品を見て、「手応えのある人生を送った男の一生」を見る。これにはわが身を顧みて、背筋を伸ばさねばなるまい。

アルビにて 陸上軍艦とロオトレック ・・・ フランス・アルビの町。13世紀のアルビジョア十字軍。異端審問のためのラ・ベルビー宮殿。この地出身の異風な画家・ロートレック
美し、フランス LA DOUCE FRANCE ・・・ タイトルはフランス人が自分たちの国をたたえることば。クリュニイ美術館の一角獣のタペストリー。へえと思うのは、タペストリーの職工は農民で、王侯貴族に招かれては、そこでタペストリーを作る流浪の職人であること。そのため、タペストリーは北フランスに集中して在る。
間奏楽 人と馬 ・・・ 現実の馬には閉口するが、描かれた馬には興味がある。ということで、マリノ・マリ一一と海老原喜之助の馬を紹介。あと、馬上像というのはたいてい上に乘っている人物が貧相で、印象に残らないという。この皮肉とお茶目にくすっ。また彫刻はどこに置くかは大事(最悪は長崎の平和記念像)。
クロード・ロラン 泰西名画について ・・・ 「西洋画というものの基礎であり、基本である」泰西名画について。泰西名画は物語を持っていて、それを知らないと鑑賞に困るものである。17世紀の職業画家としてのクロードの経歴も面白い。
二つのドイツ ・・・ 宗教改革及び農民戦争の時代のドイツの画家について。クラナッハとグリュネヴァル卜(ここではとりあげないデューラーとホルバインの4人が重要)。「ドイツという国は極端な国であるとつくづくと私は思う。卑俗さにおいて、愚鈍さにおいて無慈悲さにおいて崇高の念において(P263)」。
一つの極限について フランシスコ・デ・スルバラン ・・・ 「白」、絵画のなかにある永遠に沈黙をしている彫刻。「《物というものは、なんと孤立しているものなのだろう!〉という感動(P271)」
夜の王国、あるいは乱世の画家 ジョルジユ・ド・トゥール ・・・ 夜と蝋燭の画家であるラ・トゥール(1593〜1652)。「伏せ目の画家」。夜に敬虔な絵をかき、昼は苛斂誅求な悪代官であったという稀代な画家について。絵の静謐さと、他人への厳しさにめまいがするほど。人物と作品の乖離を見事にとらえた一編。
モナリザには眉がない ・・・ 「この絵は未完成なのではなくて、おそらくあまりに完成しすぎてい、モナ・リザが表現しているものが画家自身の期したものを越えてしまっていたが故に、身辺からはなすことが出来なかったのである。(略)さまざまに矛盾し錯雑し、しかもキワメのつかない、ほとんど慎悩とさえ言いたくなるようなところへ、このモナ・リザは人を追い込んでしまう(P297-8)」「人間の世界の優しさと不気味さの双方に、時につめてつきあうことは、本当に、心臓にわるい(P300-1)」。この絵の数々の謎を指摘し、見るものに懊悩と不安を呼び起こす稀代の傑作について。これも優れたエッセイ。
肖像画 対話あるいは弁証法について ・・・ 肖像画を描くことの困難について。中世〜絶対王政と、近代以降の画家の在り方の違いについて。歴史的な人間の面の変遷とはからずも現れ出る「内面」について。これも示唆に富む好エッセイ。
常識のために 絵の具の話 ・・・ 絵が描かれるについての材質から見る美術史。特に19世紀半ばの絵の具の革命(チューブで持ち運び可能になる)による絵の描き方の変化(工房から個人へ、室内から屋外へ、下準備から即興へ、線から塗りへ、社交から孤独な制作へ。など)。同時期のカメラとの競合。
AVE MARIA 受胎告知画 ・・・ 受胎告知は「無茶苦茶であればこそ、受胎告知画における多くのマリアが、人間の謙虚さというもののほとんど絶対的なまでの原型を示しえている」と考え、あまたある受胎告知画を読む。なお、受胎告知画にはいくつかの約束事があるとのこと(マリアの衣装、書物、天使のもつものなど)。


 後半には作家の芸術論がある。いくつかを引用。

「絵を見る、あるいは見たということは、実はそういう自分一個では処理も始末もしかねる部分を、相手によって、自分の内部にもたされることをいうのである。芸術経験とは第一義的にも最終的にもそういうものであって、何にでもすぐに処理し始末し、説明までをしだす三文批評家のようなことになってはならないのである(P281)」

「芸術作品から抱かされた謎は、実は謎のままでわれわれが胸に積極的に抱いて墓場にまでもって行けばそれでよく、またそうすべきものなのである。それ以上のことも、またそれ以下のことも必要ではない。けれども、そういうことがあると、われわれはまたいっそうにその謎について何かを知りたいという欲望にかられるのもまた自然であろう(P285) 」

「『美しいもの……』というものは、本来的に言って、またその実物に接するとき、それは決して”美しい”ものなどではない(略)、むしろ逆に、私に人間存在というものの、無限な不気味さを、まことに、不気味なまでに告知をしてくれたものであった(P339-340)」

 いずれも傾聴するしかない。こと芸術や創作では、簡単に、短時間で断定するのではなく(あるいは点数をつけてランキングをつけるのではなく)、関心を持続して、繰り返し見ることが大事。時間をおいて、自分の生活や経験に照らして、もう一度見直すこと。そういう繰り返しや振り返り。