2022/09/05 堀田善衛「ゴヤ 2」(朝日学芸文庫)-2 1974年の続き
有力な支援者(であり愛人)を失い、聾疾ははかばかしくない。老いもやってきて憂愁にふける。
作者の目によると、ヨーロッパの肖像画、とくに貴族の女性のそれ、は見合い写真であった。なんとなればそれをもって縁談を進めるのである。男性の肖像画は自宅や職場に飾って威勢を見せつけるためのもの。しかも画家によって値段が違い、サイズで値段が変わる。さらにゴヤは手や指を描くと値を吊り上げるという交渉もしていた(ゴヤは指を書くのが苦手。安い肖像画では手はポケットにつっこまされている)。というから、芸術や美の観点だけで絵画をみることはかなり不十分であることがわかる。
絢燭たる悪意 ・・・ 1802-08年のゴヤ。肖像画の注文が次々と舞い込む。
「人間、人間だけに無限の興味と関心をもつこの人は、自分の前に立つ男女を観察して飽きることがない。モデルの存在そのものを画筆を握った手から画布へと吸いとって行く(P21)」。
そうして制作されたは人間存在の大群は「人間の歴史のなかにあっても類い稀な壮観」。ドストエフスキーやバルザックに並ぶ。
職人としての画家は肖像画を描いたが、自立した芸術家になった画家は肖像画を人間を描かなくなった。あるいは人間を書くことから解放された。
着衣のマハ・裸のマハ ・・・ この「悪名」高い絵画のモデル探し(一般にはアルバ公爵夫人とされる)は不要。裸体画の歴史でも性が描かれた特異な例。当時は裸体画は禁制(異端審問所があったくらい)。なので所有者、画家、モデルを秘匿できる権力者で書かれ、その持ち家に秘匿された。
一人のブルジョアとして ・・・ ゴヤ50代のおしまい。息子(唯一の生き残り)の結婚式。家族の肖像画。順風満帆にみえるが、隣国ではナポレオンが1806年に大陸封鎖令(イギリス制裁目的)を出す。戦争の予感。
巨人の影に ・・・ 巨人とはナポレオン。ヨーロッパを制覇する野望をもつ。イギリス封鎖を完遂するためにポルトガルを占領。その際にスペインに軍隊を常駐させる。ここでスペイン王家に内紛が起き、王位継承をめぐってどたばたがあり、ついに全員がフランスに亡命。ナポリから王を派遣したところ、民衆と聖職者の大反発となり、1808年5月2日マドリードで大衝突が起きる。封建制の人々がフランス革命と無神論にふれて、スペイン人のナショナリズムを芽生えさせることになる(日本やロシアやイタリアなどに似ているなあ)。ゴヤは「巨人」のタイトルの絵を描く。近世は宗教の時代、近代は暴力の時代。フランスの国民軍(食糧などは現地調達)に対して、スペインはゲリラで対抗。
民衆蜂起・五月の二日以後 ・・・ その後、フランス軍を標的にしたゲリラ戦。フランス軍兵士の虐殺、殺戮多数。英国軍、自国民などの暴行、略奪など。この時の内乱は、1936年の市民戦争まで継続したといえる。
戦争の惨禍 ・・・ 英国はスペインに貸し付けを行い、容赦なく取立て。そのためにスペイン国内で飢餓、インフレ、物資不足など起こる。これはその後も続く。スペインは英国の植民地扱い。
フェンデトードス村・砂漠 ・・・ ゴヤは宮廷画家の称号でスペイン側にもフランス側にも行ける。そして「戦争の惨禍」というスケッチを制作する。
続・戦争の惨禍 ・・・ 会戦で負けたスペイン兵はゲリラになり略奪する。フランス兵は現地調達のために略奪する。撤退するイギリス兵はついでに略奪する。そして市民やゲリラや兵士の惨殺。報復のテロとレイプ。ナポレオンは布告を出して、旧制度を一掃し「民主化」を進める。フランス革命の輸出。これにスペイン人は抵抗する。
ゴヤが60歳近くになるまでは、ほぼスペインの中でだけものごとが描かれる。スペインの封建制や君主制、カソリックなどが人々の行動を制約している。ゴヤはそういう近世の社会に適合することができて、宮廷画家という画家としては最高の地位に上り詰めることができた。スペインの王権や政治家などと親交を結び、彼らの人間関係の中にうまく入っていく。齢60になったとき、栄達の最高位につく。
異変は外からやってくる。フランス革命が起きて、封建制や君主制を打倒して民主主義社会をつくり、カソリックを追い出すような科学的な思想で社会をまとめる。いままでになかった国が生まれ、郷土とは別の民族概念が形成される。やっかいなことに、この国家は新しい理念をヨーロッパ中に広げようとした。革命の輸出というやつ。それはイギリスとロシアの抵抗によって最終的には阻まれたのだが、影響はとても強い。そのような国家を隣国にもったので、スペインはフランス軍の進駐を許す。それまでもっと小さな地域の人というアイデンティティを持っていたのが、スペイン人意識に変容する。軍に対する抵抗と、報復の略奪と強姦その他。混乱と殺戮の時代になる。
(このような体験は、君主制の後進国が民主政の自由主義経済の先進国と接触したときに起こる。スペインのみならず、ドイツもロシアもイタリアもフランス革命の影響を受けて民族国家に転換したし、遠く離れた極東の日本でも起きた。)
ゴヤのような民間人からすると、平穏な社会が戦闘と飢餓と略奪と強姦によって不穏で不安定な社会にいきなり転換したことになる。乱世が訪れたわけだ。堀田善衛が関心を持った鴨長明や藤原定家同様に、ゴヤも乱世を冷酷に監察する。文筆ではなく、画業によって。それこそ堀田善衛が19世紀初頭のスペインに送りこんだスパイのようにゴヤは大量の記録を残す。
2022/09/01 堀田善衛「ゴヤ 3」(朝日学芸文庫)-2 1975年に続く