odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「ミシェル 城館の人2」(集英社文庫)-2

 隠棲して1572年ころから「エセー(試み)」を書き始める。以後約20年書き継がれ、全部で3巻を出版した。加筆を繰り返したので、時期によってテキストはa、b、cに区別している。いくつかの邦訳がでているが大冊。体系的な書き方をしていないので、俺のような「まとめ」を求める読書には合わないので、本書の著者のような優れた読み手によるてびきはありがたい。
 当初は古人の書き物(前エントリーにあるようにローマ時代のラテン語文献)に自己の見解を肉付けするやり方で書いていた(これは中国の古典を注釈をつけていくという方法に似ている)。次第に、自己を省察する文章を書きながら、思想的な書き物になっていった。この巻では1572-1578年までの初期「エセー」を読んでいるので、著者(堀田善衛)はミシェルの考え方に注目する。キーワードは懐疑主義。これも古人の言い分を並べてのもの。新たなできごとや概念に直面したとき、人がどう対応するかというと「見つけた」「見つけられない」「探している」に分けられる。ミシェルは最後の「探している」を採用する。前二つでは独善であったり、不可知論になりうるから。そうすると懐疑主義は(できごとを集め)検討し探求し(観察する)吟味するという作業を繰り返すことである。

「ものを考えるとは、多くの場合、自分の外で起っていることを、自分に引き移して、あるいは自分自身に引きつけて、自分ならば果してどうするか、という判断から発するのである(P373)」

 

「あらゆるものを疑ってみるためには、堂々巡りのようなことを言うことになるが、あらゆるものに興味をもち、かつ観察をして行かなければならない。(P380)」

 単に「探している」では、どのできごと概念にも判断不能をいっていれば立場は守れるが(無知を示すことはないが)、精神的な貧困・危機に陥る。といってミシェルは理性万能論にも批判的である。というのも、ミシェルの時代は大航海時代博物学時代であって、ヨーロッパの外の情報がたくさん流れ込んでいた。それを見ると、キリスト教圏は世界(地図)の中では狭いし、キリスト教圏の外に人の行動に高い倫理や道徳があり、争いやいさかいのない社会があることがわかるのであるから。ミシェルは人間の優越性を重視するけれでも、キリスト教道徳に依拠しない(なにしろ教義書よりもローマの古典のほうが親しいのだから)。
 そうした思考は、人権尊重の考えに至る。ほとんどフランス革命時に書かれたとみてもよい文章がエセーの中に現れるのだ。
 16世紀、キリスト教圏はルネサンスの時代であるが、フランスは遅れていた。イタリアやスペインのように富を蓄積することができず、地方の諸侯の力は強く(というか王権が常に金がなく、戦争・内戦で離散集合を繰り返し、ろくなトップがいないので信用されていなかった)、おりしもプロテスタントの勃興があり、カソリックの異端審問もある。世俗権力の右往左往は1572年の聖バルテルミーの虐殺に至ったが、プロテスタントが多数殺戮されるが、事態の収拾にあたってプロテスタントの要求が実現するという事態になるのである。そしてプロテスタントの多い都市をパリの国王は攻撃し(金を払う傭兵を使う)、内戦状態になっていた。イタリア、イギリス、スペイン、ドイツのプロテスタント諸侯はフランスで実権を握ろうと虎視眈々としている。
(このような体験、内乱と虐殺と暗殺と飢餓と迫害と差別など、がフランスをして信仰の自由を宣言するに至らせたに違いない。翻ってわが国では前半の非人間的は行為は数多くあれど、信仰の自由・内心の自由をたからかに謳うには思考の量と質がたりないのではないか。)
 混迷深き時代。ミシェルは本を読み、文章を綴ることに専念できず、1578年ころに後にアンリ4世となるナヴァール公の侍従武官すなわち最高顧問となるのである。

 

  

 

2022/08/05 堀田善衛「ミシェル 城館の人3」(集英社文庫)-1 1994年に続く