odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「ゴヤ 2」(朝日学芸文庫)-1

2022/09/08 堀田善衛「ゴヤ 1」(朝日学芸文庫)-2 1973年の続き

 

 作家はいう。

「ヨーロッパ文明の受容についての、少くとも従来の受容の仕方についての、われわれの側の不備、不幸の一つは、主として一九世紀以降のそれを、あたかも折れた矢を一本の完全な矢であるかのようにして見て来たところにあったであろう(P61)」

 これはまさにそのとおり。近世から近代への移行をヨーロッパの中心でみるとうえの「あたかも折れた矢を一本の完全な矢であるかのようにして見」ることになるが、辺境のスペインや域外のロシアなどからみる(日本というアジアでもよい)と、紆余曲折があることがわかる。それを指摘する作家の眼と文に多謝。

“私は幸福だ”(Soy feliz) ・・・ 1783年、ドン・ルイース殿下一家の肖像画を描く仕事を任せられる。以後、実業家、銀行家からの依頼が相次ぐ。馬車を持つくらいのブルジョアになる。

肖像画の場合は、まず似ているかいないかからはじまって、モデルとして立った人物、男ならばその男の社会的地位にふさわしい威を帯びているかいないか、女ならば適当に美しくかつ時代風に出来ているかどうかなどの諸与件をめぐっての、それは画家とモデルとの絶えることのない、内的な対話、あるいはそこに一種の弁証法的な争闘、と言っては大袈裟かもしれないが、ともあれ一つの緊張した関係が生じる。/その緊張の質そのものが、実は肖像画というものの本質であろう(P28)」

 写真はその緊張をなくす。同時に肖像画というジャンルと画家の仕事をなくす。

「ダゲール以後、画家たちは人間を描くことをやめてしまった。人間を描くことをやめてしまって、人間がもつ、あるいは画家自身が絵画についてもつイデーだけを画布の上に追求しはじめたのである(P28)」

友人マルティン・サパテール ・・・ ゴヤは40歳を越してからおのれ自身に到達した。

「作家にしても画家にしても、人は一応のぼりつめたその頂点でとまってしまうことが多いものである。いや、大部分の作家や画家は、そこでとどまってしまう。後は、成功作の自己模倣がはじまる。/(略)始末におえぬのは、成り上りのぼりつめたその頂点での名声をバネにして他の分野へと転業をして行く連中である。他の分野とは何か。転入して行くのにもっともやさしい分野は、この際、政治の世界である/(略)頂点で、人は精神的、また社会的なバランスをほとんど必然的に失うものである。(略)したい放題のことが出来るさびしさ(!)というものを訴えることの出来る友人が必要なのである(P96-97)」。

 そのような友であるサパテール氏について。
(芸術家が頂点にのぼりつめたあと、どうなるか。作家の観察は手厳しい。自己模倣(それ自体は悪いことではないと作家はいう)を繰り返すものや、他の分野に転業していくものは枚挙にいとまがない。頂点をのぼりつめたあと、さらに変化をし続ける芸術家、作家、画家のいかに少ないことか。その極めてまれな事例としてのゴヤ。)

砂漠と緑 ・・・ 故郷の自然である砂漠と人工都市のマドリッドの緑。時に憂鬱にとらわれ、その後に精力的に仕事するゴヤ。1788年。

もう一人の公爵夫人 ・・・ 1786年、タピスリーの下絵作成再開。新婚の親王夫妻の寝室用下絵を見る。スペインの有力貴族アルバ侯爵夫人(章のタイトル)との関係。自己顕示欲を抑制し始めたゴヤ

スペイン・光と影 ・・・ 1787年ゴヤ夫婦体調不良、子の死亡。1788年カルロス三世死去。息子カルロス四世と妻と近衛将校(妻の愛人)の奇妙な三位一体。

宮廷画家・ゴヤ ・・・ 1789年1月カルロス四世戴冠式。カルロス四世下でスペインは混乱したというが、作家が見るには遠因はイエズス会士の追放。異端審問所が洋書輸入を厳格化したので、上層部の道徳の退廃と下流志向が生じる。下層民はそのような退廃に無関係なので、上層部(ただし外国から来た占領軍相手)に闘争する。1789年7月フランス・バスチーユ監獄襲撃。フランス革命とスペインの異端審問所が同時に存在している。スペインの異端審問所は知識人、高官までを異端の嫌疑で逮捕する(いちおう、異端審問所の被害者は膨大とはいえ、宗教戦争による被害を防いだとはいえる、フランス革命の恐怖政治の被害者と比較せよ、とのこと)。

肖像画を見るということは、生者としての死者に出会うという、まことに異様な事態である。そうしてゴャの描くもの及び人々は、一時代のほぼ全体なのであって、われわれは歴史においても生者としての死者に出会うのである。その死者が、肖像画においてであれ、書物のなかでの、ただの活字の羅列としての名前だけであれ、それらの死者を生者として見ることが出来れば、それこそが歴史というものである(P213)」。

 ロラン・バルト「明るい部屋」(みすず書房)でも同じように、画像の中の死者を見ることを指摘していた。

 43歳には宮廷画家の称号まで獲得し、サラゴーサの悪童が己の腕でもってここまで出世した。収入も極めて多い。敵も多いが味方もいる。およそ20年で世俗的な成功を獲得した。

 

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2022/09/05 堀田善衛「ゴヤ 2」(朝日学芸文庫)-2 1974年に続く