加行僧の生活を終え、穴山との決闘(@「異形の者」)もどうにかすました柳、当年19歳は、父が住職である浄土宗の大寺に戻る。かような経験をしたからといって、柳はなにかを得たわけでも悟ったわけでもなく、もちろん仏教の教義には背を向け、社会主義に興味はあってもうわべの理解のままである。それこそ、「絶えず恥ずかしさ、強がり、自己弁明にとらわれながら行動するが、同時にきわめて無反省、無意識な状態にとどまっている」のです。無垢であるともいえそうだが、性欲が強く、自尊心は強いが、なにかアクションをするわけではない。傍観者、観察者であろうとする。まあ、頭のいい「のび太」が大きくなったと思いなせえ。
そうなるのは、小説が515事件の直後の1932-33年を背景にしていて、この国の議会政治が機能しなくなり、軍部のなかの過激な青年将校が政治に介入するようになり、満州事変以降戦争が収まらず戦時生活の様相になり(ただし経済統制はまだない)、労働組合運動・共産主義運動は大弾圧を受けて、町には排外主義者・国粋主義者が幅を利かすようになっていたからだ。どこに頭を突っ込んでも、たとえ学問に埋没しようとしても、出る杭は国家とそのエピゴーネンに強く叩かれるのである。そうすると、柳のありかたは当時のインテリのごくありふれた処世術であるかもしれない。
さて、そのような「無反省、無意識」な柳ではあるが、大地主で大寺の息子であるためか、美青年であるためか、イデオロギーに懐疑的であるせいか、彼のもとにはさまざまな人間がやってきては話をし、いろいろなところに連れ出すのである。柳は傍観者、観察者に徹しているせいか、自分に起きたことを誘発された感情を合わせて克明に期するのである。おおまかには以下のようなグループに分けられるであろうか。
(1)江戸時代からの学問僧養成所として機能してきたこの寺は跡継ぎがないために、佛教大学の優秀な生徒が養子になる。それが柳の父であり、佛教大学の学部長を務めるまでになるが、実務や世俗は大嫌い。人嫌いでもあって、本を読むか畑仕事をするしかない。しかし貨幣経済の浸食ははなはだしく、母の社交と経営でもって食っていけるまでになっている。そのうえ、軍のちからはこの宗派にも及び、翼賛体制をとる一派が出てきて、青年僧に人気を集め、のうのうとしていられない。そのような両親の思惑に柳は冷ややかである。
(2)柳の母および柳は子年生まれで、叔父も同じであるという奇縁は、薬屋の占いと一致することとなり、ことさらに優遇される。そのような男を迎えれば、店はつぶれないと信じるから。世俗の経営者も美貌の夫人には頭が上がらず、その妹・久美子17歳もちかごろ青春の美がほとばしる。そのふたりは柳に注目し、それぞれが柳に深い関心を持つのだ。姉の夫人は肉欲の誘惑によって。妹は精神的な自己犠牲的な愛によって。それぞれが自分の快楽を追及する結果、柳の前で全裸になり混浴までしたあと、姉の夫人は数度の同衾にまで至るのであり、妹は仏教に傾倒して社会の平等を徹底するために「日本革命党」のハウスキーパーになることを志願するのである。
(3)加行僧時代に、決闘することになった貧乏寺出身の穴山は、その後(ただし決闘の結果はどうだったっけ?)も柳の周辺をうろつく。彼は人間はもとより平等であるから不平等をこの世にもたらすとうそぶいて、フィクサーとして「日本革命党」にも、浄土宗集団のトップにも近づき、挙句の果てには陸軍にも取り入るのである。そして、革命党の核心を握ったのち、浄土宗集団を愛国主義団体に変えようと内部分裂を画策するに至る。
(4)父の代わりに貧乏人の葬儀で読経したのであるが、そこは「日本革命党」のアジトであり、どうやらリンチ殺人があったらしい。加行僧になる前から組合や党の機関紙を極秘に入手してそれが発覚していた柳は、たちまち10日間も留置されることになり、拷問もうける。なにも知ることのない柳は何もしゃべらなかったのであるが、それが党員の信頼を生むことになり、穴山の依頼によって、「A計画」の実施の可否について同じく拘留中のリーダー・西口から暗号で知らされることになる。その結果、柳は党のリーダーから定期的に連絡を受けるまでになり、ときにレポを務めるまでになる。そのうえ、穴山にそそのかれた久美子は西口のもとに走り、革命党のハウスキーパーになる。
そのうえ父の代わりを務めることもあって、柳は関東のさまざまな場所を遍歴することになる。大地主で大寺を根拠地にして、上は宗派の本山や資本家の大邸宅であり、熱海の大別荘に格式の高いホテル、銀座や目黒近辺の繁華街、本郷あたりの学生街、連隊のある街中を兵士が訓練で疲弊させられ、工場とその周辺の長屋と次第に下に下降して、失業者や朝鮮人の住むスラムにいき、留置場に1か月も留め置かれる。その場所の描写からほうふつされるのは昭和初期にこの国の風景。作中にもあるように、不況と軍国主義の雰囲気は、人々を疲労させ、考える力を失わさせるものである。おそらく同時代の文学はそこを書くことができなかったので、30年も過ぎてようやくあの時代を描くことができたのであろう。
(ほぼ同時代を描いたものに埴谷雄高「死霊」があるが、「快楽」ほどの広範囲で昭和初期を描いているわけではない。)
(昭和初期の風俗が注釈なしで書かれる。雑誌連載当時にはたかだか30年前のことだったので、読者にはそれで大丈夫だったが、21世紀になってそろそろ百年前のこととなると、背景の知識が必要。1910-40年のこの国のできごと、戦前の労働運動や社会主義運動、軍部の勢力拡大と議会主義の退行、関東震災から昭和不況、などを大まかに知っておいた方がよい。)
おおむね上の4つのストーリーが同時に進行する。それぞれの物語の中心人物は異なり、彼ら/彼女らにフォーカスすることによって浮かび上がってくる。柳はいずれの事件にも登場するが、観察者や傍観者であり、ときに連絡係をするくらい。なので、柳にフォーカスした読書では、何が起きているのかを把握するのはむずかしい。
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2016/04/28 武田泰淳「快楽 上」(新潮文庫)-2 1972年
2016/04/27 武田泰淳「快楽 下」(新潮文庫)-1 1972年
2016/04/26 武田泰淳「快楽 下」(新潮文庫)-2 1972年 に続く。