odd_hatchの読書ノート

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ドミトリ・ショスタコービッチ「ショスタコービッチ自伝」(ナウカ)-2 DSが生きていた時代の「政治と芸術」論争はもはや無効。今は「思想・表現の自由」問題で考えるべき。

 ここではDSを離れて、政治と芸術について。
 ソ連共産党の考えは、経済体制の下部構造のうえにある芸術活動は下部構造の変化に対して積極的にかかわらなければならない。すなわち資本主義から社会主義への変化が歴史的必然であり、それが疎外された民衆、人民の解放を促すのであるから、あらゆる人間の活動は人類の解放すなわち「革命」にささげられるべきである。そのような「革命」参加と支援の芸術は社会主義リアリズムにのっとっていなければならない。いたずらに複雑で難解なものは民衆、人民の革命の理解を妨げるものであり、革命運動の参加を押しとどめるのである。あるいはブルジョアや王侯貴族の生活を華美に描くことも、革命の気分を貶めるものである。なので、そのような「形式主義」の、「修正主義」の芸術は正されなければならず、その判断は革命運動を主導し、民衆や人民の前衛である党が行うべきなのである。あたりにまとめられるか。
 党とか芸術の位置づけとか、さまざまな批判をすることができるが、そのような共産主義批判の文脈で考えることはおいておく。むしろ、上のような議論は、ほんの少し変えただけで、全体主義社会、監視社会で権力が使ったのだ。共産主義諸国の「革命」の代わりに、ナチスでは「アーリア人」が、この国では「国体護持」や「天皇」が当てはめられて、芸術に対する監視と批判が行われた。そのような排外主義や国粋主義がなくても、「未開」や「野蛮」とされた人々の創作が貶められたり、迫害を受けたりすることがあった。「証言」が出たときの多くの議論は、政治が芸術に介入することについてだった。芸術の範囲や目的を政治が決めたり、作品のよしあしをもっぱら政治目的で判断したりすることに反対し、政治に合致しない表現をしたり作品を作るものを政治が弾圧したり粛清することを批判していた。まあ、ソ連共産党文化政策社会主義リアリズムの批判というところでは、ここらは妥当なところ。1950-70年代の「政治と芸術」論争はだいたいこんな文脈で議論されていたと思う。
 では、DS没後40年を経たときに、この議論で十分かというとそうはいえない。芸術は政治から独立した活動で政治的な介入は不要というのは、現在のできごとにあわなくなった。例。芸術と宗教儀式を合体した芸術家が動物虐待の「芸術」祭儀を執行して逮捕された。宗教批判画を描いた漫画家や出版社がテロルの標的になった。性表現に寛容になりかつては処罰の対象であったものが許容されるようになった一方、暴力表現や差別表現には規制が働き、流通過程のゾーニングが行われる、など。「芸術」がさすものがかつてほど明確ではなくなった。まあ、「芸術」概念が18世紀末のドイツに由来し、当時の貴族・聖職者・ブルジョア・高級官僚のなじんでいたものだった(だから「芸術」の対象になるのは、詩・小説、絵画彫刻、音楽、演劇、宮廷舞踏などになる)から、それらの階級が芸術のパトロンになれなくなって彼らの美意識で芸術の範囲を設定できなくなったのだから、拡散とあいまい化は当然といえるか。芸術のパトロンが企業になり、商品として流通するようになったとき、古い芸術概念は無効になるだろう。「芸術」だから政治の介入は不可というのは成り立たず、商品として市場で売買されるようになるとき、政治は別の理由で芸術商品に介入できる。最近の例では「公序良俗」を理由に出版や展示を差し止めたこと。
 そうすると、判断の軸は芸術か否かではなくて、「思想・表現の自由」に移る。「思想・表現の自由」は重要な人権概念のひとつ。ただほかの人権と異なるのは、その使用が他人の人権を侵害することがあること。差別や排外主義などがマイノリティの自由と権利を奪う。なので、「思想・表現の自由」の理念は尊重されるべきであるが、社会の現実で不利や被害や差別が発生しているので、一部の「思想・表現の自由」は制限される。もしかしたら、<この私>の自由が制限されるかもしれないが、その自由を行使することにより他者に被害や差別が生じているならば制限を受け入れなければならない。
 さらに注意するのは、「人権」の範囲は拡張したり制限ができたりするなど、流動的であること。古いジョン・ロックの「市民政府論」では主に所有権にフォーカスしていたが、21世紀にはそれだけでは不十分。17-18世紀には「人間」とみなされてこなかった人にも人権は拡張されている。そのうえにアマリティア・センの主張する「人間の安全保障」の考えもあって、個人の人権尊重のみならず社会的な制度の確立まで広がる話になっている。
 政治は芸術に介入できるか、芸術は政治に何ができるかという問いの立て方はもう無効であって、「思想・表現の自由」と「人間の安全保障@アマルティア・セン」にどのように参加できるか、みたいな立て方に移ったほうがよい。とまあ、雑駁な議論をDSに関係ないところでやってみた。

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2016/06/15 ソロモン・ヴォルコフ「ショスタコービッチの証言」(中公文庫)-1 に続く