odd_hatchの読書ノート

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ドミトリ・ショスタコービッチ「ショスタコービッチ自伝」(ナウカ)-1

 1979年にヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」がでた。その反響はとても大きかった。そのあとに、ソ連側からショスタコーヴィチの書いた文章を発表年ごとにまとめ、その年にDSに起きたことを説明する文章を加えた本がでた。それがこの「自伝」。原著は1982年で、日本版は1983年4月1日に出版されている。

 晩年のDSは疾病や障害を抱えていたために、自伝を書くことはなかった(それよりも作曲することを優先した)。なので「自伝」とタイトルはついていてもその種の振り返りはない。テーマは、1)若いころの回想、2)自作解説、3)音楽家の紹介/時評、4)ソ連文化政策について、などにまとめられる。面白いのは1と2。ローレル・ファーイの大部な「ショスタコーヴィチ」には、ときどきこの本あるいはもとになった文章に由来するエピソードを収録している。ソレルチンスキーとの出会いとか音楽院時代の思い出とか。2では、「自伝」と「証言」で評価の異なる作品の注目。たとえば交響曲第5番は自伝では「人間の波乱の生涯とそれを乗り切る強靭なオプティミズム」とされる、など。ソ連では芸術家は進行中の作品について説明することが求められていたのか、次作や構想中の作品のことが繰り返し語られる。そこでは実現しなかった作品に注目。「レーニンにささげる交響曲」、ソ連の女性を描くオペラ三部作など。3になると、友人たちの話が面白い。ムラヴィンスキーオイストラフへの信頼。ソレルチンスキーやトハチェフスキーへの感謝など。作曲家の同僚には遠慮がち。この本を読む限りではプロコフィエフとの関係は良好そうに見える。好きな作曲家にロシアの19世紀作曲家のほかでは、マーラーストラヴィンスキー、ベルクがあげられている。4になると、ほぼそのまま文化政策の代弁者となり、まったくおもしろくない。その種の文章は1956年以降に急速に増える。総じて、DSは文章の人ではない。あまりに簡潔に書き、音楽のようなイロニーやグロテスク風を持ち込まない。個人の感情や心理も書き込まれない。音楽作品のような興味を持つのは難しい。
 個人の向き不向きだけでとらえるのではなく、DSの状況も見ておいたほうがよい。革命後のソ連政権は一貫して検閲制度を保持していて、何を書いたか、何を訴えたかは監視されていて、時に過去に遡って非難される。スターリン時代にはしゃべった言葉でさえ監視の対象であり、うかつな軽口で収容所送りになる人が続出した。そのような時代にDSは生きていて、文章を書いていた。当然、保身の感情が働き、表現に抑制がはたらき、あたりさわりのない文章になる。若い時に父を亡くして、17歳から家族を養わなねばならず、結婚後も家族のほかに面倒を見る人がいたという事情もあった。そのせいなのか、DSは常に仕事を必要としていて、オファーが減るようなことはやらないようにしていた。
 そうやって注意深くはあっても、DSは2回のパージにあう。1934年から1936年までと1944年から1956年までの2回。そうすると、この本の構成に注目。全体は500ページもある大部なものだ。1934年から1936年までは文章は一切収録されていない。1944年から1949年までは26ページ、1950年から1956年までは46ページ。パージを受けていた時代は収録された文章が少ない。一方、1959年から1975年の没年までの文章は220ページもあり、全体の40%を超える。DSは1959年から右手の障害が起きて、音楽作品の制作数にむらが出てくるのだが、ここに収録されている文章のページ数は年ごとにそれほど変わらない。そのうえ、1960年代からDSは様々な公務を担当し、国の芸術家を代表して式典やイベントに参加してスピーチする機会が増えていく。体調が良い時には多忙であり、そうでないときには体を動かすのが厄介だった。なので、そのころからDSにはゴーストライターがいたのではないか、ないしはソ連の文化官僚が代筆しているのではないかという憶測があった。真偽はわからない。
 社会主義リアリズムがなにかはよくわからないが、wikiの「社会主義を称賛し、革命国家が勝利に向かって進んでいる現状を平易に描き、人民を思想的に固め革命意識を持たせるべく教育する目的を持った芸術」を採用しよう。この本では「芸術に携わる者の人民に対する責務」を強調する。このあたりから見えてくるのは、芸術の目標とか規範とかがきわめてあいまいでどうとでもとれる内容でありながら、芸術家の仕事の範囲を狭く限定しているところ。芸術家は責務を持っているので参加しなければならないが、評価の基準があいまいになる。ソ連ではたいていは権力者の趣味にあうかどうかだけで判断され、あいにくスターリン以下の権力者は芸術には無縁で、悪い趣味をもっていた。そのために彼らがわかるかどうかだけで作品と人が評価され、前衛的なもの・実験的なもの・きわめて個人的なものが排除された。「社会主義リアリズム」のお題目がどうこうではなく、芸術家を国家目的に統制し監視しようとする仕組みとその運用が誤ったというのが重大。
 DSは社会主義リアリズムを受け入れ、その主張に沿うような作品を書いた。その作品には成功もあれば失敗もあった。その頃の事情を「自伝」に収録された文章で読むときに、彼の中では「人民」とか「革命」がとてもあいまいで具体性を欠いているのを読み取れる。
 DSは引っ込み思案ではにかみやで、友人にすら本心を明かさない内向的な性向にある。サッカーの試合を観戦するほかは、めったに路上にでることがなかった。多分その性向はわかいときからあり、13歳からペトログラード音楽院に入学するくらいで優秀であったが、自伝やほかの評伝では同年齢の知人、友人と一緒にいたという記録がない。そういう同年齢が彼の周りにいなかったのだろう。ハイティーンでようやく同年齢の友人ができるが、その後は疎遠になっている。このようなギフテッド・チャイルドとして経歴がDSを民衆や人民から遠ざける。「森の歌」「祖国に太陽は輝く」「ゾーヤ組曲」のようなわかりやすい(薄っぺらい)人民から、交響曲第9番のように皮肉と道化の民衆もいると具合。それは実態と適合しないで、期待に応えないものになり、彼をますます鬱屈させる。あるいは公務をもつことで人民や民衆との接触を試みる。エリートとしてのDSには人民や民衆への嫌悪と憧憬が共存している。
(「自伝」に収録された自作解説では、「人民」「民衆」が主題になることがほとんどない。主題になるのはもっと普遍的な「人間」だ。もしかしたらDSにとって「社会主義リアリズム」は借り物であって、サイズの合わない服を無理やり着こなしていたのかもしれない。むしろこの内向的な人物の生涯にわたるテーマは普遍的な「人間」であったのかもしれない。それを知ろうとしても、作品に寄り添った「社会主義リアリズム」を剥がすのは困難ではあるのだが。)

2016/06/16 ドミトリ・ショスタコービッチ「ショスタコービッチ自伝」(ナウカ)-2 に続く