odd_hatchの読書ノート

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ウラジミール・ナボコフ「ロリータ」(新潮文庫)-1 最初にすべての解決が示されているのに、「読者への挑戦」の後の解決編で驚愕してしまう驚きのストーリー。

 550ページの長い小説を読み終えた後に、充実感ではなくて、読み込み不足を感じて、即座に最初のページに戻り、もう一度読み直さなければならないと読者に思わせる小説。今度は、作者の仕掛けをきちんと読み取ろうと思って読んでいても、たぶんまだ見落としがあって、もう一度読み直さなければと思わせる小説。そういう読書のウロボロスの環を形成する稀有な書物。では、今回四半世紀ぶりの読み直しで自分はどうなったのか。もう一度読み直さなければという思いがあるが、この晦渋な文章(しかしとても明晰)をきちんと読み直すのは難しいとも思ったわけだ。なので、「序」だけを読み直すことにする。それだけでも自分の読書(5日間かかった)で読み落としたことがたくさんあり、実のところ、この小説の探偵小説的なところからすると、「序」にすっかり解決が書かれているのに、それにまったく気付かなかった。最初にすべての解決が示されているのに、犯行の詳細が書かれているのに、「読者への挑戦」の後の解決編で驚愕するなんていう探偵小説を読んだことがあるかい。信じがたいことにここにあるのだ!。

 とりあえず1956年初出のこの小説のサマリーを示すと(このなんという反ナボコフ的な試み!)、
第1部: 少年時代に愛しあったアナベルが夭逝する。その思い出に深く影響されたハンバート・ハンバート(仮の名)は20代の短い結婚生活の後、妻が死別したので、アメリカにわたる(書かれていないがナチスから逃れてのことだ)。大学などで文学の講義をして暮らすのだが、アナベル・リー(@エドガー・A・ポー)に代表されるニンフェット(ニンフ=妖精の子供のこと)への思慕が募る。ある田舎町で、下宿を探しているとき、理想のニンフェットとであう。嫌悪したくなるような管理人の誘いにのって契約し、ニンフェットであるドロレス(ロリータ)から離れがたいために、管理人である未亡人と結婚さえする。思慕はノートに書き留めていて隠していたが、妻に見られ、けんかに。家を出た妻は自動車事故で死亡。葬儀を行った後、サマーキャンプに出ていたロリータを連れ戻し、モーテルの中でロリータがハンバートを愛していると告げる。官能と魅惑と陶酔の一夜。
第2部: それから約一年間(1947年8月から翌年8月まで)、二人は自動車に荷物を詰めアメリカ中部を北から南まで動き回る。モーテルやホテル、ときに民宿などで40歳の中年男性と13歳の少女の「官能の王国」がつくられるわけだ。この王国の奇妙なのは、13歳の少女の側が主導権を持っていること。ハンバートはロリータの気まぐれに激怒し、嫉妬し、腕をつかんで振り回した後、膝を折って許しを請い、皮肉を言いながら、傷つき、愛しながら憎悪するのである。ここの心情、そしてロリータの姿形や服、ときにはテニスのフォームの優美さについて、微に入り細を穿つ描写をする。文章で舐めるような、執拗で、官能的な叙述。その旅に危機が訪れる。ロリータが反応を鈍らせるようになったこと(それにニンフェットである年齢の上限が近づいていること)、そして彼らを追跡する何者かがいること。その象徴としての赤いコンヴァーティクル。1950年7月4日、ロリータはハンバートの前から失踪。2年間、ハンバートは30歳の女と同棲しながら、ロリータの行方を捜索する。1952年9月18日、ロリータから突然の手紙。その4日後に再会。ここで彼らを追跡しているものが「読者もご存知の人物」であるといわれ、驚愕する。そんな人物はどこにいたのだっけ? 9月25日、ハンバートは決意をもって追跡者を追い詰める。そしてこの自叙伝を書くことになった事件を起こす。
 ああ、なんて貧しいサマリー。取りあえずの読み方は、探偵小説、特に1930-40年代に傑作を出した倒叙推理小説とみる。バークリー(アイルズ)の「レディに捧げる殺人物語(というかヒッチコックの「断崖」)「殺意」などは主題と書き方がそっくりではないか。そうすると、この小説の表層の「謎」は、ハンバートという犯罪者を追い詰める探偵は誰か、ということになる。そこにロリータの真意もまた隠されていて、「官能の王国」「犯罪の楽しみ」の奥にある謎を解くことが要求される。上に書いたように「序」に明かされている「犯罪」は日付と人物を明確に示しているのだが、この晦渋で、回りくどく、細部に拘泥した文章はプロットを隠している。ちゃんと読み取れば、断片的で不正確と思われる内容から、日付と人物の正確な動きを明らかにすることができるのだ。たとえば、ロリータの正確な生年月日とか(本文には1月1日としかないけど、ほかの情報と突き合わせると正確な生年がわかる)。ただ、犯行の日付は本文と序で一致していない(ここは若島正訳の註を読んでようやくわかること)。そこで、またさまざまな解釈が生まれているという。読者はリュウ・アーチャー(@ロス・マクドナルド)のように、この調書を疑いを持って読み、ハンバートが隠そうとしたプロットを見つけないといけない。
ウンベルト・エーコは「ロリータ」のパロディ小説「ノニータ」を文体模写までして書くくらいなナボコフのファン。彼の「フーコーの振り子」の主人公は自分を「サム・スペード@ダシール・ハメット」になぞらえる。テキストの山からメッセージを解読しようとする行為は探偵行為に重なるからなのだろうね。)
 小説の文章には、言葉遊びに、引用、ほのめかし、メタファーなどなどがたくさんあって、明示されているものもあれば、隠されているものもある)。それの元ネタを探すのも文学の楽しみのひとつ。ただ、引用されるのは西洋文学ばかりなので(当然!)、この国の読者には難解。自分はそれらを読み取るのは難しいのでパス。自分の妄想じみた印象でいうと、全体はメリメ「カルメン」だし、第1部はE.A.ポオ「アナベル・リー」で、第2部は同じく「ウィリアム・ウィルソン」だなと。まあ、これらの小説は本文に書いてあるから、独自な発見でもなんでもない。

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2016/10/06 ウラジミール・ナボコフ「ロリータ」(新潮文庫)-2 に続く。