odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジャック・プレヴェール「プレヴェール詩集」(マガジンハウス) レジスタンスと映画にかかわった20世紀前半のフランス詩人。ナンセンスと路上の人たちへのやさしい視線。

 ジャック・プレヴェールは1900年生まれ。10代に第1次大戦で動員され、20代にシュールリアリズム運動にかかわり、30代に映画界にはいって脚本をかいたり挿入歌の歌詞を書いたり、40代にレジスタンスにかかわったり、そのあとも映画にかかわり詩を作った。マルセル・カルネ監督と組むことが多く、「霧の波止場」「天井桟敷の人々」などの脚本を書いた。あと有名なシャンソン「枯葉」の詩を書いた人。1977年没。没後40年もたっているとなると、知っている人はあまりいないかな。
 フランスの詩人というと、トゥルバドールやフランソワ・ヴィヨンまでさかのぼるのはよすとして、19世紀半ばのボードレールヴェルレーヌランボーマラルメヴァレリーといった人々が思い浮かんで、どうしても難解、近寄りがたいというイメージを持つ。事前に勉強しておかないと鑑賞と解釈ができないとも思う。でもジャック・プレヴェールは違う立ち位置にいる人。別に勉強はいらないし、読めば即座に楽しめる(「鑑賞と解釈」することではないよ)。

 プレヴェールの詩はざっくりいうとふたつの面がある。ひとつはシュールリアリズムとナンセンスの詩。似たような人にレーモン・クノーがいて、どちらも読者の物理現実ではありえないことを平気な顔をして書く。そこに在る奔放なイメージとそこはかとないユーモアを楽しむ。今回はこちらはあまり紹介しない(自分が理屈っぽいので、シュールリアリズムについていけないから)。シュールリアリズムといっても、舞台は地上にあって、地上に起きることに関心を向ける。こんな感じ。

天にましますわれらの父よ
天にとどまりたまえ
われらは地上にのこります
地上はときどきうつくしい(われらの父よ)

 もうひとつは、路上の人たちへのやさしい視線。まずはこれを読んでみて。

あなたは十五わたしも十五
ふたりあわせて三十歳
三十になればこどもじゃないわ
人には働く時もあるけど
人にはキスする時もある
あとではもうおそいの
わたしたちのくらしは今なのよ
キスして!(キスして)

 この女の子の表情と口調と動作がすっかり見えてくるよね。夜の路地裏か、納屋の中か、消灯後の学校の寄宿舎か、灯火管制中の地下室か、どこだろう。あるいは、

ピエールほんとのこと言って
わたしすべてを知りたいの
ほんとのこと言って……
女の帽子が落ちる
ピエールわたしすべてを知りたいの(セーヌ通り)

 深夜の街灯の下か、夕暮れの橋の欄干か、アパート近くの公園か、カフェの屋外テーブルか、バーの止まり木か、出征する男の実家の前でか、いろんなシチュエーションを思いつく。あるいは、

三本のマッチ 一本ずつ擦る 夜のなかで
はじめのはきみの顔を隈なく見るため
つぎのはきみの目をみるため
最後のはきみのくちびるを見るため
残りのくらやみは今のすべてを想い出すため
きみを抱きしめながら。(夜のパリ)

 深夜のアパートか、終電のでた地下鉄の駅か、森の中の散歩道か、空襲下の防空壕の中か。
 恋人のことをうたったものを引用してみたが、ほかにもいろいろな人が出てくる。それぞれの情景はふつうで、ありきたり。でも、詩人のまなざしを通してみると、そこにある生活、感情などがどっと沸きだしてくる。詩人はただ描写しただけなのに。読者が日常で見逃がしてしまう情景を、鮮やかで特別な一瞬に変えてしまうのが詩の役割のひとつ、それをこのフランスの詩人は見事に達成。
 この詩の訳者は、自身が詩人でもある小笠原豊樹。引用したように、さまざまな文体を使って、詩の表していることを日本語で表現している。こちらの仕事も見事。

  

 2017年夏、岩波文庫で再刊。