odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

道浦母都子「無援の抒情」(岩波同時代ライブラリ)

 著者の大学生時代は全共闘運動と重なる。東京の大学で学生運動に参加し、デモか別の件かで逮捕された経験があり、紆余曲折があって、大学を離れた。その間、短歌を詠み、1980年にタイトルの歌集を出した。過去には学生運動の短歌を作ったものもいたが(岸上大作など)、昭和の終わりになってからのは珍しいと思う。これはその後の発表作も抄録して1990年に出版社を変えて出たもの。

 左翼の学生運動の退潮期・終焉期に参加したことのある自分は、初読のとき、とても共感した、というより感情移入した。たとえば

迫りくる楯怯えつつ怯えつつ確かめている私の実在
稚き手白き手選ぴてビラ渡すその手がつかむものを信じて
何が起こるかわからぬ不安とある期待交互に体を貫きけり

あたりに。自分は1970年前後の学生運動のような機動隊とぶつかり合うような行動には参加しなかった(ずっと後の世代なので)が、書かれた不安や怯え、その一方の高揚とか熱気などは、ここに書かれたものに代弁されていると思ったのだ。ああ、あのときは人に伝わらないことに苦悩していなあ、それでもビラをもってキャンパスや地域に出たのだっただなあ、と、20歳前後のことを思い出す。
 さて老年に入ってからの再読だと、高揚や熱気とは無縁になったので、別のところに注目する。そうすると気になるのは、次の一句。

今だれしも俯くひとりひとりなれわれらがわれに変りゆく秋

 作者もさまざまな経験(個人的なものもあるし、連合赤軍事件の衝撃もあった)で運動から離れ、地方で暮らすことにする。生活のために働きだし、それでも運動を継続するごく少数の「仲間」の音信を聞きながら生活と労働だけしか行えない。その後ろめたさや空虚な感じもまた、自分も経験したこと。その点では句の感情はわかるのだが、2015年安保運動を経験した後になると、感想が変わる。どうして「われら」と「われ」に二分してしまうのだろう、というところにひっかかる。運動(アーレントのことばだと活動)のとき組織やグループをつくるのは、ステークホルダーを拡大し、権力や体制に圧力を加えるときに必要。でも、当時の運動は「われら」の権威がとても強くて、「われ」は「われら」にあわせるものだし、「われ」が「われら」に及ぼせる力はとても小さかった(「われら」にあたる運動体は、集団には自由があり集団間では民主主義が働いていたが、集団の内部では個人の自由は制限され民主主義は使用されていなかったということだ)。だから「われら」から脱落したり離反したりしたときに、「われ」は周囲との関係を持たない単独者とみなされてしまう。そこらへんで「われ」になったときに孤独や挫折の感情は強くなってしまうのだ。
 2015年安保運動のさまざまなグループの面白いのは、「われら」に強い拘束力を持たせないようにし、「われ」のことばを大事にするところ。そうすると、単独である「われ」と、あるビジョンとミッションを共有する「われら」の間に、さまざまな関係がつくられる、というか作って「われ」を孤独にしないで、「われら」に拘束されないで、運動(活動)をやることができる。この国では運動(活動)に限らず生活でも労働でも「われら」を強調して、「われら」に参加することで「われ」が生かされるという仕組みだったからね。最近の運動(活動)の在り方はとてもよい。
参考エントリー:
高橋源一郎「ぼくらの民主主義なんだぜ」(朝日新書)
高橋源一郎×SEALDs「民主主義ってなんだ?」(河出書房新社)
 そこではたぶん作者の短歌のような詠嘆の感情は生まれないだろう。そこらへんが、今回の再読で違和になったところ。
 あと堀田善衛「定家明月記私抄」で言っているように、短歌は恋愛の感情を書くのに適しているがそれ以外のことは苦手なのだと思う。そのうえ、女性の感情はおれにはよくわからないので、上の短歌(われらがわれに・・)よりあとの生活や感情のもつれを読んだ句はよくわかりませんでした。よい読者でなくて、申し訳ないです。