odd_hatchの読書ノート

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ガブリエル・ガルシア=マルケス「族長の秋」(集英社)-2

2016/12/05 ガブリエル・ガルシア=マルケス「族長の秋」(集英社)-1 1975年 の続き。


 最後の章に簡単に触れらているが、大統領はわかいときに前大統領ムニョスをクーデターで追放していたのだった。そのあとは、自身の手で国内改革に熱中する。全国を行脚し、生産を高める工夫をする。ときには住民の古いミシンを手ずから修理したりする。そのような生活と政治を数十年続けたのだろうと推測。その際には、ライバルを打倒し、反対派を弾圧し、外国の介入を拒否したり有利な取引をしたり。まあ、第三世界によくある開発独裁の類型。その成果はあまり上がらなかったとみえる。なので、中年以降の大統領に、生活嫌悪と民衆嫌悪が生まれる。彼の国の改革が思うように達成できないこと、国民が彼の意図通りの反応をしないこと、周囲の無理解と追従に飽き飽きすること。そこらへんにあるとみた。宮崎駿風の谷のナウシカ」(マンガ版)にでてくる複数の王がそういう経歴の持ち主。彼らの改革が思うような成果をあげないとき、原因を民衆の側に押し付け、彼らを嫌悪することによって自分の観念を守ったのだ、ということになるだろう。
 さて、そのような大統領は老年に至り、若い時のような運動能力と判断を失うようになって(と自覚して)から、孤独な権力者への道を歩む。そうなるのは二つの道から。ひとつは、自分が他者(国民)から見られることに耐えがたくなること。若い時の颯爽とした姿態を失っているとか、過去の発言や命令を忘れてしまうとか、そういう他者の視線にさらされるのが恐怖になるのだ。もうひとつは老化による痴呆・怠惰・不精・無関心など。まあ、面倒だ、疲れるが先に立ってやる気が起きなくなるのだよね(とそういう年齢にきた自分にはよくわかる)。加えて、過去の悪政のつけか。たくさんの死体の記憶。自分のやったことは他人がやるだろうという恐怖と怒り。醸造された猜疑心がいやまして、他人を遠ざけ、避け、思い付きで行動を変える。それは他人の理解の範囲を超えるので、追従以外の反応は帰ってこない。それにも飽き飽きしている大統領は追従者すら信じることができず、家族・親族だけを周囲にはべらし、彼らが死ぬとひとりになる。これもまた、20世紀のさまざまな独裁者にみられたこと。ファシズム国家や軍事国家の独裁者にはこの種のエピソードが満載している。
 そういう点では陳腐な類型ともいえるのだが、小説中で大統領に親近感を持つのは、権力や王権のさまざな形態が圧縮されているからだろう。軍隊の支持を基盤に大臣や兵士に暴虐の限りを尽くし、少年二千人を拉致監禁のうえ海浜で爆殺するという非道などは20世紀の権力の醜悪な部分。一方で、牛やメンドリが大統領府を闊歩し、後宮にたくさんの妾をかこい、全国を行脚するというのは中世西洋の王様のよう。殺しても死なず、その結果、身体に触れることで病気や疾患が治療できといううわさがたち、彼の着ているものや髪の毛が崇拝の対象になり売買されるというのは神話の王の権威の表れ。これらの矛盾する性質が一人の独裁者に集約されているのであって、おのずとゆがめられた笑いをもたらすことになる。寝室を持たず階堂の床にうつぶせになって眠り、皿とスプーンを持って歩きながら飯をくう。生まれたときから睾丸にヘルニアがあって、前立腺を圧迫しているのか尿の出が悪い。手のひらには線がない。高齢のためか癇癪持ちになり、頑固。身体にきざまれたスティグマも彼を憂鬱にし、傲慢にする。
 多少彼に同情的になるとすれば、愛が不在であるところか。生まれたときは孤児。のちに実母を対面するも、この無学で庶民的な女性はたくさんの男と寝たために、大統領の実の父を覚えていない。成人するまでの過程は書かれていないが、最初のクーデターをするときには、初恋に破れ、権力だけが自分のもとにあった。権力を獲得するまでは、戦いや敵の打倒が精神の空虚を埋めてきたが、国の権力を掌握してからは、心を埋めるものがない。埋めようとするのが、実母への過剰な奉仕であり、初恋の人への過剰な饗応。まあ、それは彼の期待を裏切るようにしか反応しないのであって、彼はいつまでも初恋に敗れ続けるし、巨大な金玉は生殖能力を持たない。そのせいか、彼の老化が進むにつれて、不能を否応なく思い知らされるように、国家もまた貧困と低生産性にあえぐ。その解決はイギリスやドイツ、アメリカなどに海を売ること(繰り返すが、このイメージには拍手喝采。そして大統領の死体に海の寄生物が付着していることにつながるというイメージのアクロバットにもなる)。
 大統領はついに氏名が明かされなかった(はずだが、どうだったっけ)。それは「大統領」が個性をもっているのではなく、存在した/する/これから生まれる独裁者のアマルガムであり、カリカチュアであるため。この小説に登場するとんでもなく暴力的で残酷な所業や、いっぺんして卑屈で愚かしいほどの小心さや猜疑心(おまけに大統領周辺の追従者や家族親族の傲慢さなど)には、現実の独裁者にエピソードに当てはまるのをいくつも見出すだろう。そういう典型にしてプロトタイプを見つけてしまった。
 それをストレートに書くとプロパガンダか告発の書になるところを、さまざまな語りの文体と誇張と非現実的な描写でもって、読むこと自体を楽しませる稀代の傑作になった。読後数日たってもいくつものイメージが万華鏡のように脳裏にフラッシュし、独裁者の政治と経済にも思いをはせ、中年米という場所の豊饒さをしることになる。こんな読書体験はめったにない。