odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ガブリエル・ガルシア=マルケス「エレンディラ」(サンリオSF文庫)

 最初の6編は大人のための童話と銘打たれた短い物語。カリブ海に面したコロンビアの町や村がたぶん舞台になっていて、リアリスティックでありながら幻想的なイメージがたくさん出てくる。人呼んで「マジック・リアリズム」であります。これは中南米の湿気が多くて温度が高く、町のすぐ横にジャングルが迫っていて、昆虫から動物まで、羊歯から常葉樹まで、インディオから西洋移民まで、が雑多にまじりあった、その土地だからこそのリアリズムなのだろうな(といったこともないのに断言する私)。

大きな翼のある、ひどく年老いた男 ・・・ 雨が降り続け蟹が大発生した街に、表題の天使が落ちてきた。夫婦は天使を鶏小屋に閉じ込め、観覧料をとる。イサベラ神父は天使の扱いをめぐってローマと手紙のやり取りを繰り返す。一冬を過ごした天使は飛翔の練習を始める。

失われた時の海 ・・・ 不漁続きで蟹ばかり食べている海辺の村にバラの香り(天国に匂いだ)がただよい、老いた妻は生きたまま埋葬してくれと頼み、人々が帰ってきて狭苦しくなった村に、世界一の金持ちが来て特技を教えてくれれば悩みを消すだけの金をやろうといい、誰も耳を貸さない神父は透き通って地上40㎝に浮かぶようになり、長いこと眠っていた金持ちはあくびをして村を出ていき……。日常の淡々とした風景がたった一語の言葉を加えただけで、ファンタジーの世界になり、しかしそれは読者の日常に地続きで。たぶんこの村は言葉で作られた「天国」そのものなのだろう。愛し合う比喩が「ミミズのように」「兎のように」「海亀のように」(P28)って、いったいどういう情景なのだろうねえ。

この世でいちばん美しい水死人 ・・・ 巨躯で偉丈夫の見知らぬ男の水死体が寒村に流れ着いた。その美しい顔に村の女は魅了され、「エステーバン」と名付け、神話的な葬儀を行い、村が活気を取り戻す。

愛の彼方の変わることなき死 ・・・ 死の病に侵された上院議員は昼の演説で空疎な未来の構想をぶちあげ、夜には政治的スキャンダルを目的にした19歳の娘の裸にだかれて、6カ月と11日後(なんて律儀な正確さ)に死ぬことに涙する。愛することができなかった男が初めて向かい合った愛されていない孤独。

幽霊船の最後の航海 ・・・ 巨大な幽霊船の沈没をまじかに目撃した少年。まるで幻想的な出来事。解説を読んでようやく分かったのだが、少年の母親は11年の侘しい孤独な後家暮らしをして亡くなったのだった。その背景があっての幽霊船の目撃になるわけで、少年の側の心情をいろいろと図りたくなる。

奇跡の行商人、善人のブラカマン ・・・ 稀代のペテン師、いかさま師、行商人のブラカマンの悲惨で、滑稽な一生。尾羽打ち枯らして最後の奇術を実行しようとするが失敗。このペテン師に弟子入りして、信じられないほど残虐な仕打ちを受けた「僕」がブラカマンに施した意地悪い仕返しは、墓の下で永遠に生きながらえろということ。

 愛の欠如と死のさまざまな形態、ユーモアと信じがたい残虐さ、生のはかなさと死の確実さ、そんなところがこの「童話」のモチーフ。この国にいると、中南米のタフさにはなかなかついていけない。物語ですらこの国の大半の製作物のスケールを遥かに超えている。


無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語 ・・・ 巨大な体躯を持つ祖母(鯨にたとえられる)にこき使われる14歳の少女エレンディラ疲労困憊して蝋燭を蹴倒した夜から彼女の運命は一変する。100万ペソの負債を祖母に負わされ、娼館に売られ、長い行列ができる。次の街への移動中に伝道僧に拾われるが、僧院でも激しい労働を課せられる。祖母は町長などに働きかけ、エレンディラの夫を見つけて結婚させて、僧院から連れ出し、再び娼婦の仕事をさせる。オランダ人とインディオの混血の少年ユリウスとであい、エレンディラは祖母を殺そうとする。殺鼠剤を飲ませても死なず、ダイナマイトの爆破にも生き延び、ユリウスの振るう長刃で3度切り付けられ緑色の血を流して死に絶える。エレンディラはその騒ぎのあいまに、祖母のためた金の延べ棒を入れたチョッキを奪って逃げてしまい、その行方は誰も知らない。
 正確に書いてしまうと悲惨で陰惨な家庭内暴力とセクハラと犯罪の物語になるのだが、この小説ではむしろ明るい希望を持てるような話に思えてしまう。それはおもに作者の言葉にあって、誇張が過ぎたり、背景なしで超常現象もどきが起きたり、一切内面のない神話的な人物たちが象徴的な会話をすることであったり。ああ、この小説には「大人のための童話」の作中人物が集まる一部があって、奇矯な人たちの奇抜なふるまいがごく自然に書かれているのもその印象を強化するのに役立つ。解説によると、「具体的なものを抽象的に、抽象的なものを具体的に描く」というのが方法のひとつとあって、なるほどと思い立った。加えると、作者の文章は極めて圧縮されたものであって、ふつうならこの4-5倍の文章を書いて説明するのを一行にまとめてしまう。それは小説のテンポを速めていくと同時に、ありえないものをありうると読者に納得させる仕掛けになっている。
 こちらのほうがより知的で込み入った仕掛けがあるけど、みかけはチュツオーラ「ブッシュ・オブ・ゴースツ」のような素朴な物語。あわせてどうぞ。
 主題は愛と孤独か。祖母はだれも愛したことはなく(だからか金に執着する)、エレンディラは性技を知っていても愛する人を持たない。金とものがたくさん集まった祖母の部屋や荷車なんかに孤独の影が差している。という具合の「主題」は自分には後付の感想。読んでいる間は、その豊穣なイメージに酔うことになる。文章に入り込むまでに時間がかかるが(なかなか集中できないが)、いったん物語に入るとそう簡単には抜けられないという稀有な読書体験をもたらした。そんな本はめったにない。