2017/06/30 イサベル・アジェンデ「精霊たちの家」(国書刊行会) 1982年
2017/06/29 イサベル・アジェンデ「精霊たちの家」(国書刊行会)-2 1982年
2017/06/28 イサベル・アジェンデ「精霊たちの家」(国書刊行会)-3 1982年 の続き
物語は第3・第4世代に。エステーバンの癇癪はますますひどくなり、その暴君ぶりは家族の紐帯を壊す。この世代はそろって家をでていき、孫娘だけが家に残る。
第10章 凋落期 ・・・ クラーラの死のあと家族の紐帯はばらばらに。エステーバンは保守政治家として忙しくなり(人気もあるが、労組や社会主義者には目の敵)、ハイメは診療にかかりきりになり、ニコラスはヨーガの会をつくった後エステーバンに国外追放にされ(しかしアメリカで同じような宗教団体をつくって性向)、ブランカは乏しい家計費をやりくりするのにおわれ、アルバは英国風の寄宿学校に行かされる。邸宅は寄宿人がいなくなり陽気さを失い、手入れが不十分になり、関心をもたなくなったので荒廃し、数年で廃墟同然になる。ラス・トレス・マリーアスの農場も利益を産まなくなる。
(1950年代に重なる。エステーバンはクラーラの墓を数年かけて作り、姉で元の許嫁のローサの遺体を秘密に持ってくる(亡くなった時のままの姿のローサが外気に触れた途端に粉々になるという悲しい挿話)。孤独なエステーバンは友達と娼館にでかけ、久しぶりにトランシト・ソトに会う。)
第11章 目覚め ・・・ アルバは18歳で少女時代に別れを告げる。大学にはいって法学部4年のミゲルと出会う。大学のバリスト。アルバが体調不良で脱落するとき、警官のエステーバン・ガルーシアと再会。アルバとミゲルは首都の家の地下室に愛の巣をつくる。その後二人は社会人に。ミゲルは革命運動を目指す。ハイメと会って、議論を交わす。ミゲルに助けを求められて行くと、アマンダと20年ぶりに再会。麻薬中毒の痕。
(1960年代に重なる。この直前まではひとつの章の時間経過はゆっくりだったのに、ここでは駆け足。バリスト中のアルバの出血、ミゲルとの愛の巣の様子がとても肉感的。)
第12章 陰謀 ・・・ 選挙で社会主義政党が勝利。すぐさま保守系はアメリカ人の支援を受けて反撃を開始。インフレと物不足。ブランカは食料をため、エステーバンは武器を集める。アルバはいずれも秘密に取り出し、ハイメの協力で隠匿する。ペドロ・テルセーロは新内閣の閣僚になり多忙な日々。ブランカと別れるが、使用人に払い下げられたラス・トレス・マリーアスを襲撃しようとしてとらえられたエステーバンをブランカといっしょに救出にいく。そこでアルバは父を知る。モら三姉妹が精霊になったクラーラと一緒にエステーバンを訪れ、すぐに不吉が起こると予言する。
(たぶん1970年のアジェンデ政権樹立のことと思うが、アルバがまだ学生のような描写もあり、時間の経過が不分明。保守派はアメリカの支援でメディアを買収し、官制ストを起こして、経済不安をあおり、デマを流し、武装グループに騒乱事件を起こさせる。いずこの「愛国者」もやることはいっしょ。)
第13章 恐怖 ・・・ 1年後、経済破綻した国の首都で、火曜日に軍事クーデターが起こる。大統領府が空爆され、立てこもった30人が砲火を浴びる。大統領は惨殺、ハイメは逮捕され、空港で銃殺されダイナマイトで吹き飛ばされる。ブランカはペドロ・テルセーロを家にかくまい、エステーバンに頼んで、カナダに亡命する。エステーバンは投資でこれまでにないほど大儲け。アルバは命が危険にさらされている人を助ける活動をする。一度ミゲルにあい、別れる。ある夜、憲兵がやってきてアルバが逮捕。監獄にいるエステーバン・ガルーシアのもとに連れてこられる。
(ピノチェトのクーデターは1974年。それから1990年まで大統領の座にいた。軍事独裁であるが経済は新自由主義の放任政策という珍しい形態。それは1980年代に破綻。作者が書いていた時、チリの人権抑圧はなまなましい「現在」であった。この章でも、軍隊と憲兵の凄まじい弾圧が描かれる。さらに、社会主義政権を支持した民衆からファシストが現れ、暴力をふるうようになる。)
第14章 真実の時 ・・・ 逮捕されたアルバは(エステーバン)ガルーシア大佐の命令で、拷問・リンチ・暴行・屈辱を受ける。それらがないときは騒音で休ませない。男の囚人を見かけたとき、女の囚人は歌を歌って励ます。数週間が経過したのち、ミゲルのアドバイスでエステーバンがトランシス・ソトに救出を依頼に行く。二日後に釈放が決まる。
(獄中のアルバにクラーラが現れる。彼女の言は収容所で生き抜く知恵を授ける。すなわち、安易に死を望まないこと、生き延びようとすることこそ奇跡。頭でものを書け、証言を残しなさい。これはフランケル「夜と霧」、ソルジェニツィン「収容所群島」などの教えと同じ。)
エピローグ ・・・ 釈放後、女だけの収容所で休息。同じような獄中体験をした者たちの相互扶助の場所で、官憲も中に入れない。しばらくして自動車で連れていかれ空き地に放置される。一晩過ごした後、名無しの女性に助けられて、アルバは家に帰る。エステーバンは亡命できると薦めたが、アルバは国に残ることにする。エステーバン死去。アルバは邸に一人残り、祖母クラーラのノートを借りて、証言を書くことにする。最後の一文は冒頭にもどり、円環が完結する。
(女性だけの収容所は獄中体験のトラウマをもつものにこう告げる。すなわち、愛する人のことを考えない、壁の外のことを考えない、心の中にわだかまっていることをノートに書きなさい。日常にもどったとき恐怖や不安に襲われないようにいつもと変わらない暮しをしなさい。これはフランケル「夜と霧」、高杉一郎「極光のかげに」などの教えと同じ。)
霊能者クラーラの死後、一家は凋落し、それは国の在り方にも反映される。すなわち、選挙で社会主義政権が誕生したが、その数年後に軍事クーデターが起こり、関係者の虐殺と拘留が行われた。第13章からエピローグまでの100ページの記述は圧巻。息苦しいほどの恐怖と不安が起こる。ただ既視感になるのは、同様な市民の不当逮捕・勾留・虐殺は西洋の近代史で頻出したこと。ファシズム政権が行い、軍事政権が行い、共産主義政権が行ってきた。それにこの小説が書かれたとき、チリの軍事独裁政権は継続中であり、市民や学生が突然行方不明になる事件が起きていた(ただし報道されないし、行方不明者がのちに生還した事例もなく、死体も発見されなかった)。同じく、中南米の多くの国でも軍事独裁政権ができていて、恐怖政治が敷かれていた。なので、この100ページの記述は同時期に別の国で書かれた小説とテーマを同じにする。たとえばプイグ「蜘蛛女のキッス」、ガルシア=マルケス「族長の秋」など。それでもなお、この小説の迫真性はそれらの諸作より強い。
ふたつの理由があると思う。まず、被害者が女性であること。軍人や警察が男性組織で強いマチズモが貫徹していて官僚主義が徹底している。なので、差別が強化され、マイノリティである女性に対して過酷な処置が行われた。留置所や監獄のなかでは暴行にくわえて強姦も日常茶飯であり、アルバも逃れられない。その被害の過酷さ、および屈辱を与えるシステムの醜さがきわだつ。(もちろん男性囚人に対して甘いというわけではない。多数の虐殺者が出ていることを暗示させる描写がいっぱい。それにハイメと大統領の死が軍隊による虐殺であること、そのうえで犯罪隠ぺいが行われたことに注意)。
そのような過酷な被害を受けてもなお、女性には集団で克服するような<生き方>ができるというところ。サマリーのあとの注書きに記したが、収容所や留置場を生き抜く知恵を女性は持ち、見知らぬ人であっても共感や連帯や支援をとるところ。留置場や監獄の中でも、その外での体力回復の施設でも女性らは傷ついた人たちを慰め自立できるまでの支援の体制をつくる。さらには男性囚人を励ますために、歌を歌うことまでする。収容所の記録を男性が書いたものを読むと、拷問や屈辱などから生き延びる知恵はたいてい内面化されて、精神の強さを測るものになる。囚人の間でネットワークをつくることがめったになくて(たぶんスパイ恐怖のため)、個人ばらばらに抵抗することになる。それがこの小説の女性たちは緩いネットワークをつくり、支援や共感を広げていく。そこが感動的。
(ああ、だからマヌエル・プイグ「蜘蛛女のキス」(集英社文庫)では男性囚人から情報を取得するために、ゲイを近づけたのだな。女性的な内面をもっているから、男性の孤立状況を解消できたのだった。)
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<参考エントリー>
ガルシア・マルケス「戒厳令下チリ潜入記」(岩波新書)
開高健「もっと広く! 上下」(文春文庫) 1981年
2017/06/26 イサベル・アジェンデ「精霊たちの家」(国書刊行会)-5 1982年