1965年の乱歩生受賞作。このとき作者西村京太郎は35歳。エンタメ作家としては遅いデビューだが、この15年後から屈指のベストセラー作家になって、毎年の高額納税者(文芸部門)で赤川次郎とトップを分け合っていた。すでに税務庁が発表しなくなったので、21世紀ではどの作家が高額納税者なのかはわからない。閑話休題。
武蔵野の雑木林でデート中の男女が殺人事件に遭遇した。瀕死の被害者は「テン」とつぶやいて息をひきとった。意味不明の「テン」とは何を指すのか。デート中、直接事件を目撃した田島は新聞記者らしい関心から周辺を洗う。「テン」とは天使と分ったが、事件の背景には意外な事実が隠れていた。第11回乱歩賞受賞。 (講談社文庫
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000139370
タイトルは「てんしのしょうこん」と読むのだそうだ。半世紀も「きずあと」と勘違いしていた(10代の時に既読)。被害者はトップ屋(死語)でゆすりの常習者。彼が残したメモに「天使は金になる」と書いていたのが、タイトルの由来。実際、彼の口座には頻繁に10万円、20万円の高額が振り込まれている(当時の大卒初任給は1万円に満たなかった)。トップ屋の交友をみると、関係のありそうなのは、エンゼル片岡というストリッパー(パスポートとビザを入手して沖縄に出稼ぎにいくのが時代を感じさせる)と、エンゼルというスナック。あいにくどちらの線もつながらない。そのとき、事件に遭遇したデート中の新聞記者があることにひらめく・・・。
ここで半ばあたりなのだが、この先を続けると解決編に触れてしまうのでここまで。本作でデビューするまでにたくさんの習作を書いてきたと思うが、のちの作品を思い出すと、まだまだ技術は不足。容疑者が少なくて事件の構図がわかりやすいとか、案山子や捨てられた握り飯などの伏線があまり思わせぶりに登場しているとか、刑事たちの捜査が単調でほとんど興味をひかないとか。当時の推理小説は社会派全盛であって、庶民的な刑事が歩き回るのを書くものだった。作者も受賞を目指して、当時の流行に作風を寄せたのだろう。うまくいっていないのは、俺の書きたいものはこれじゃないという叫びがあったからのよう。この後の作品で記憶に残るのは(このブログで取り上げるのは)、社会派推理小説から外れたものばかりだ。そういうものが彼の書きたかったものだろう(でも15年後にベストセラー作家になったら、社会派風になってしまった。どういう心の動きがあったかは不明)。
さて、本作の眼目は犯人あてにはなく、「天使」が示すものの正体。この小説の発表の数年前にあった大きな社会的事件が反映している。そこを取り上げたのは慧眼(というか、当時のメディアは社会悪や不正を権威や権力におもねることなくきちんと批判していた。いまの権力に追従するようなメディアとは志が違う)。そこはたとえば宮部みゆき「パーフェクト・ブルー」などよりはずっとましな所に立っている。でも、21世紀から見ると、正義漢の新聞記者がやっていることは被害者のアウティングであり、カミングアウトの強要。まあ、当時の社会運動は被害者を表にだすものだったので仕方がないのだが、今読むと居心地が悪い。
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