odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

星新一「進化した猿たち 1・2・3」(ハヤカワ文庫、新潮文庫)

 どんなにつまらぬ、くだらぬものでもたくさん集めれば意味が生まれてくる、ということをいったのは荒俣宏さんだったか。その典型がエドワード・モースのコレクションで、明治前期の日本で使われたものを片っ端からコレクションしていてそのかず数万点。当時のこの国の人からすると、なんでそんな変哲もないもの、ありふれたものを集めるのといぶかられた。それをボストン美術館の倉庫に収蔵して100年たったら、すでにこの国には保存されていないものばかりになり、民俗学社会学の貴重な資料になった(醤油や梅干し、焼きのりなどはいまでも賞味できる保存状態だとか:1980年代の話)。
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エドワード・モース著『日本陶器モース・コレクション目録』]

  

 そのようなコレクションのひとつのありかたが、星新一アメリカマンガ。雑誌に載るヒトコマ漫画を集めていって、10年もかけて一万点になった。もともとは孤島マンガだけを集めていたらしい(この国では秋竜山のが有名で、旺文社文庫に「おーいたすけてくれ 秋竜山無人島まんが1000展」全4巻がでていた)。

雑誌やアンソロジーには孤島マンガだけが入っているわけではないので、おのずとテーマは広がっていく。そこで1965年から「SFマガジン」で連載を開始。のちに単行本になり、ハヤカワ文庫と新潮文庫に収録された(後者のほうがマンガの画面が大きくなり、点数が増えた)。
 以下は文庫版の目次。単行本では第1巻が「無数の孤島」で終わり、第2巻が「世の終り」から始まった。
第1巻: 死刑を楽しく/ぬれ手でアワ/番号の男たち/静粛に願います/非常の際は/働かざる者は/安らかな眠り/結婚の修理屋/たまにはスポーツを/アダムとイブ/水晶球の周辺/銀行をねらえ/決闘/首つりの足/壁の音
第2巻: 大きなケーキ/クサリとムチ/箱の効用/頭のねじれ/無数の孤島/世の終り/コンクリート学/国とのかけひき/弁護士事務所で/おしゃべりな食品/88分署にて/お金のある店/死体のある風景
第3巻: 宇宙人たち/雲の上の連中/社員採用係/サンタクロースの季節/手術室/ノアの箱舟/拳銃でひとこと/戸棚か窓/ベッドと三人
 博物学者はコレクションが増えると分類を始めるものだが、著者も同様。とりあえずテーマで上のような区分をつくり、さらに細分することを考える。生物学の分類同様に、機能でわけるか、形態でわけるか、行動様式でわけるか、大いに悩む。何かの基準をたてると、どうしてもハイブリッドやみそっかすが生まれてしまう。それを解決する分類を考えると、最初に設定した基準に抵触し、やり直しているうちに収拾つかなくなって…。という苦しみや悲しみはデータベースをつくるものにはつきまとう。まあ、うまくいったときの喜びはとても大きいのだけどね。
 著者のあとがきによると、アメリカのヒトコマ漫画は1970年代になるとつまらなくなったらしい。黄金時代は1950年代と60年代の前半。著者の考えではたいていのアメリカ人は「良識」を持っている。「既成の慣習というかモラル」「健全な家庭」などの規範を共有していた。当時には高度経済成長があり、個人や家族の目標と国家の目標にはそれほど差がなくて、安定した秩序があった。それを前提にしているから、マンガの規範破りがおかしさを生むのだろう。笑いになることで、良識や秩序などがやぶれることを避けることになったのだろう。
 それが1960年代後半から公民権運動や女性解放運動、反戦運動などで揺さぶられる。良識や慣習、モラル、健全な家庭などの意味が問い直され、新しいステージに移っていく。そうなると、1950年代の安定した秩序の笑いは有効でなくなる。実際に、収録されたマンガを21世紀に読むと、ざくとしたつかみで20%くらいのマンガは、性・人種・民族・障碍者などの差別を扱っていて、不適当な表現になっている。逆にいうと、1950-60年代のアメリカの良識や慣習、モラル、健全な家庭などの裏には差別があり、それを差別する側は見ないで済む(見ても笑いのめす)ことができたわけだ。40年前の初読時には笑えたものが、21世紀に読み直すと苦さと痛みを感じることになる(まあ、少しはこの社会がましになったとことの裏返しであるので、良いことだ)。