odd_hatchの読書ノート

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堀淳一「地図のたのしみ」(河出文庫)

 小学校高学年のころから地図帳や地球儀を見るのが楽しくなって、たとえば授業の休憩時間に飽かずに眺めていた。ときに、クラスメートがやってきて「○○ページに『××』の地名があるから探してみろ」などと問題を出し合う。そうすると、最初は小さな文字を、当てられるとページの隅やごちゃごちゃしているところにある文字を出題する。ときに、とても大きなフォントで書かれているのを出題してみる。江戸川乱歩はそれを、「盗まれた手紙」の隠したいものはよく見えるところに置けというトリックだというが、あいにく自分の出題したのはすぐに見つけられた。
 高校の地理の授業で、2万5千分の1地図や5万分の1地図を買って、地元の地形図をつくれという課題がでる。そのために大きな書店にいって、地図専門のコーナーにいき、巨大なラックの引き出しから欲しいエリアの地図を買い求める。A2版くらいの巨大な地図は扱いは厄介だった。
 そのような紙の地図の驚きは、IT技術の進化で別のしかたで覆される。なるほど、web地図で縮尺を自在に拡大縮小したり、方位を自由に変えたり。あるいはカーナビにポリゴンによる3D映像がでてきたり。欲しい情報(ガスステーションとか駐車場とか)をプロットしたり。取引先の数や規模などの情報を地図に重ねたり。現在地から目的地までのルートをさまざまに検索したり、渋滞情報を取得して移動時間を計算したり。そのうえこれらが、片手で持てるデバイスでできるようになっている(目的地を定めずにサイクリングしているとき、現在地を知るのに便利。なんども助けられた)。

 というような枕を書いて、この本を数十年ぶりに読む。戦前からの地図マニアがうんちくを語るというエッセイで、1970年のベストセラー。前回、中学生くらいのときに読んで、とても面白かった記憶を思い出す。
 しかし、今回(2015年)の再読では数十ページたらずで挫折。たぶん上記のような地図の「革命」が起きて、紙媒体の地図にはもう思い入れが起きないことと、情報が古すぎるためだろうなあ。
 冒頭にある著者の思い出話で気付いたこと。1936年ころまでは、この国の地図は(それなりに)正確で美しいものだった。それが1938年ころから事情が変わる。まず細部が省略される。等高線がなくなり、土地のデコボコが見えなくなる。古い版を印刷にかけたために細部がつぶれたり、文字が読めなくなったりする。1943年には民間向けの地図の販売が停止。これらの事情は要するに戦争遂行のための情報秘匿の一環。敵国に流出して内情を知られるのがまずいとかの判断なのだろう。
 結果として地図の記載があいまいになり、民間では使い物にならなくなる。
 戦争とか国策とかの名目で、地図のような情報も勝手に操作されるということだ。あくまで戦争遂行者や政府官僚の都合によいように恣意的に決められる。人々の生活や民間の事業にどのような影響を及ぼすかを一切考慮しない。戦時下の秘密保護というのは、そういうこと。
 マニアの昔語りがおもいがけず時代の証言になっていた。