odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

フィリップ・K・ディック「ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック II」(サンリオSF文庫)

 ジョン・ブラナー編「 The Best of Philip K. Dick (1977)」 の邦訳。二分冊の第二巻。一時期「時間飛行士へのささやかな贈物 /ディック傑作集 (2)」のタイトルでハヤカワ文庫にでていた(一部新訳)。ハヤカワ文庫はPKDの短編集を再編集して6分冊にし、巻ごとの収録作を変えた。

「おとうさんみたいなもの」 The Father-Thing 1954.12  ・・・ チャールズの父親がなんか変だ。二人いたのを見たことがある。「そいつは父さんじゃない」といったとき、みたいなものはお仕置きしようとしてきた。隣の家の中学生のところに逃げ込み、退治する相談をする。その間にみたいなものが追いかけてくる。家族ですら信頼できなくなる恐怖、大人が子供を襲う恐怖、子供のいうことに誰も耳を傾けない恐怖。ロバート・マキャモン「赤い家@ブルーワールド」が似ているが、こちらの方がより怖い。

「アフター・サーヴィス」 Service Call  1955.07・・・ アパートに「スウィブル」の修理人がやってきた。何のことやらわからないので追い返したが、修理報告書には未来の日付が書かれていた。もう一度修理人が戻ってくるのを待つ。機械が人間を支配する(よくある中央集権化された主人-奴隷システムではない)、機械と生物の区別がつかなくなる、管理を管理を思わない内面化されたパノプティコン。怖い。

「自動工場」 Autofac 1955.11  ・・・ 水爆戦争のあとの地球。自動工場のつくった製品が人間に自動的に供給されている。それは人間の自立に無用であり、資源の浪費であると考え、破壊をもくろむ。成功したかにみえたが、自動工場の一部は稼働していた。機械が生物のような自己保存と自己複製と進化の機能をもっていたら。映画「マトリックス」のはるかな先取り。

「人間らしさ」 Human Is 1955冬 ・・・ 科学者の夫はあまりに他人に無関心。しかし惑星レクターに行ってから、「人」が変わってしまった。とても柔和でつきあいやすくなり細やかな配慮をして。それはレクターの生物が科学者の体を乗っ取ったものだった。破壊するべきか。「おとうさんみたいなもの」の別バージョン。人間らしさって何?
「ベニー・セモリがいなかったら」 If There Were No Benny Cemoli 1963.12 ・・・ 水爆戦争の後の<不幸>で地球は衰退していた。プロテウス・ケンタウリから復興担当と戦犯追及の担当者が来る。最初に行ったのはホメオタシス機能を持つ新聞社の再建。最初の新聞にはすでに死んだ狂信的政治家が活動を開始したことだった。調査をしても政治家は見つからないが、痕跡が残っている。「キージェ中尉」のSF改変版。

「おお! ブローベルとなりて」 Oh, To Be a Blobel!  1964.02 ・・・ かつて戦争の敵であったブローベル(ゼリー状の体形)になってスパイになった男。戦後、人間の体に戻れず、定期的にブローベルの姿になる。精神医に相談したら、人間に改造されたブローベルの女性と結婚することを薦めた。夫婦生活はうまくいくかに思えたが、子供が生まれてからはしっくりこない。二人の取った決断。ヘンリー「賢者の贈り物」を逆さにしたようなストーリー。作者は二人ともハッピーになったというが、どうかしら。途中の生活は差別のありかたを鋭く提示。

「父祖の信仰」 Faith of Our Fathers 1967 ・・・ 世界戦争で中国共産党が勝ち、主席が毎日テレビで訓話する。それはモニターされ、ちゃんと見ていないと叱責される。ハノイの一党員が街中で薬売りに何かを押し付けられてから、生活が一変する。上級試験を受けることになり、嗅ぎたばこに幻覚剤を見つけ、モニターの主席の顔が何かおかしなものに変容し、秘密結社の女に主席の顔を見てくれといわれ、党幹部だけのパーティで主席に「私は君だ」といわれ、結社の女がまっている。1960年代のPKDになると、世界の構造や成り立ちを個人で把握することができなくなり、個人の周囲には監視の網の目があり、正邪の区別があいまいになり、麻薬を常用しているがそのことに無自覚で現実と幻覚に境がなく、つまり世界は狂っている。「暗闇のスキャナー」まであと一歩のところにある佳品。ここには起承転結はなく、カタルシスもなく、ハッピーやバッドのエンドがない。

「電気蟻」 The Electric Ant 1969.10 ・・・ 目覚めると彼は電気蟻--有機ロボットであると知らされた。会社の経営者であるらしいが、それは株主の手配のせい。胸を開けると、穿孔テープが見える。彼は穴を塞いだり、開けたりして、「現実」が変わる実験をする。そしてテープを切る。認識はテープの穴の有無によるのであり、存在は発話機能をもっていることであるという極端な唯我論の世界。そのとき自由は自殺することのみである。「悪霊」のキリーロフの主張だな。さらに重要なことは、それを見る視線もだれかの認識機関の末端で、だれかに操作されているかもしれないこと。すなわちこの小説を読んでいる<この私>もマシンのひとつであり、誰かがスイッチを切ると、「存在」機能を失うのかもしれない。

「時間飛行士へのささやかな贈物」 A Little Something for Us Tempunauts 1974 ・・・ アメリカ発の時間飛行士。帰還のとき、禁じられていたのに荷物を過重に積んだために「いま」に戻るときに、爆発事故を起こし飛行士は死亡した。しかし、船外活動中の3人は「いま」にもどり、自分の葬儀をみることになる。それは永遠に繰り返され、時間の輪から逃れることはできない。これが何回目になるのかわらかない帰還準備作業。PKDでは、永遠や無限は空虚や空漠なのではなく、がらくたにまみれた退屈で単調な繰り返しで疲弊することになる。現代人にはそちらの方が恐怖。

「著者による追想」 Afterthoughts by the Author 1976 ・・・ 自作解説(上を書くときの参考にはしなかった)。


 ネット情報を見ると、PKDの全短編はリストアップされたらしく、半分以上が訳されているらしい。自分がどのくらい読んだのかは見当もつかないが、ともあれ手持ちの分を読んでいく。その中ではジョン・ブラナー編のこの2冊の短編集はとても質が高い。短編集にはときに低調なものが収録されるものだが、この2冊は選りすぐりだけあって、駄作・凡作はなかった。
 さて、PKDは世界核戦争とその後の荒廃を短編でよく描く(長編には見当たらないと思う)。1950年代の東西冷戦や核兵器開発競争があり、核戦争の恐怖が喧伝されていた時期で、それに影響されたと思うが、これほど執拗にさまざまに描いた作家はめずらしい。そのうえ、PKDのアフター・ハルマゲドンの風景はとても異質。核戦争によって環境が破壊され、資源が枯渇し、生産が落ちてときに狩猟採集の暮らしに戻り、国家機能が失われて部族社会程度の集団に縮小するというのは共通するモチーフ。通常(たとえば1970年代のエコロジーSFなど)では、そのような退化や縮小は近代や現代、資本主義などの批判機能として肯定的に描かれ、新たな社会の創出(国家の揚期を伴う)は希望であるとされる。あるいは、近代以前の知恵が復活して、社会のモラルの再編を推進するものとされる。PKDにはそのような希望や復興の可能性が極めて乏しい。人間はあれほどの目にあっても、反省しないし、偏見は払拭されないし、公正や正義のことをきちんと考えていないし、猜疑心が強いわりに、間抜けだし・・・。なんとも苦く、つらい認識を人間にもっている。