odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

アンドレ・ジイド「背徳者」(新潮文庫) 主人公は家族・宗教・国家から疎外された余所者だが、植民地主義や性差別から抜け出せない

 ギムナジウムで優秀な成績をとったミシェル君は教師の勧めで、古典学・文献学の研究を続ける。実家は南フランスの大地主で、そこの上りで十分に暮らしていけたのだ。25歳の時、20歳のマルスリイヌと結婚。式のあと、ミシェルは妻を愛していないことに気付く。新婚旅行はアルジェリア(当時フランスの植民地)。熱風吹く北アフリカの気候で結核を発症。マルスリイヌの看護で助かったが、彼は「肉体」に目覚める。すなわち、アルジェの黒人の子供たちの健康な肢体。彼らをはべらせているうちに(金でつったのだ)、生への意欲が戻る。容体が安定し、帰国すると、次には荘園の農民たち(おもに男子)の肢体に魅かれる。彼らを束ねる管理人の頭ごなしに、農民や労働者を雇用し、好き勝手に使う。とくに、罠をしかけての密猟。深夜、彼らと一緒に待ち伏せすることの楽しさといったら。マルスリイヌとはただ一回だけの性交。子供を懐妊するが、ミシェルはあまり楽しめない。そのうち、荘園の使用人たちはミシェルに反旗をあげ、口喧嘩のあげく、ミシェルは荘園を売りに出す。行く先は、快楽の園であるアルジェリア。そこにいくまでに南フランスや北イタリアを旅行したために、マルスリイヌは流産し、結核に感染する。強引にアルジェリアに行き、妻はとうとう衰弱して死亡する。そのときミシェルはかつて手なずけた黒人のこどもといっしょに、小旅行に出かけていたのだった。アルジェリアの田舎都市でホームレス同然になったミシェルは「存在理由を与えろ」「使い道のない自由がある」と訪ねてきた友人たちに語るのだった。

 1902年、作者33歳の時の作。おぼろげにし書かれていないが、ミシェルは同性愛者。結婚まで気付いていなかったが、それに目覚めたあと、快楽を求めるうちに、家庭と資産を失うまでに至る。当時は、同性愛の告白録とみられたのか、その方面からの非難があったそうだ(序には、ミシェル=作者とみられることに抗議しているから、そのような非難もあったのだろう)。1960年代後半からのセクシャルマイノリティの人権運動があり、それが各国の婚姻制度に反映された21世紀に読むと、どうにも居心地が悪い。ミシェルはそのことで悩んだり、肉体美の賛美をする必要はないからなあ(そこまでの社会の寛容を生むまでに100年かかった)。むしろ妻をネグレクトして間接的に死をもたらしたことに無反省であることが気になる、黒人の子供らを金でつって侍らせるのも帝国主義植民地主義の差別感にもとづいているだろう、経営者の能力がないのにやりたい放題のあげく管理者の注進に逆ギレするのはお門違い、などなど。この青年には好感を持つのが難しい。勝手にやってろ、って気分。
 とりあえず別の視点を持ち込めば、
・同性愛であることを自覚することは、ミシェルに三重の疎外を生み出す。家庭において妻や親族から、宗教においてプロテスタント(彼はここに所属)の規範から、国家においては婚姻制度から。この三重の疎外形態が彼を意固地にさせ、排除されるように動く力になったのだろう。そのうえで、家族や宗教や国家はミシェルを内的・外的においつめ、自分が悪いと告白・懺悔させるような力をもっている(なので「背徳者」と自己規定しているわけ)。ここはほぼ同時代の島崎藤村「破壊」にあるような被差別者に土下座謝罪させる圧力と同じ力が働いている(だから、LGBT運動はセクシャルマイノリティを孤立・疎外させないための仕組みつくりになる)。
・ミシェルは古典学・文献学の研究者で、大学の講師。この経歴はニーチェに似ている(西尾幹二ニーチェ 第一・二部」ちくま学芸文庫に詳しい)。当時、大学に「哲学」の講座はなくて、神学か古典学、文献学だったということの反映。
・肉体のあこがれが南への憧憬に重なっていること。北の知性は唾棄するもので、南の肉体に憧れる(小説と同時代に、ギリシャの男の子たちのヌード写真を撮ったフランスのカメラマンがいたと記憶する。二人の欲望はよく似ている)。しかし自分は北の知性の側にいて、貧弱な肉体しか持たないことに嫌悪。それが転じて、貧乏人や非知識人への憎悪に転化される(貧乏人を馬鹿にするために、手持ちの金がないのに小銭をばらまいたりする)。ここらの西洋知識エリートの倒錯とか俗物性を摘出することになる。ミシェルが自己弁護するほど、自身と所属する階級の批判になるという転倒ぶり。
 ジイドは高校生の時に「狭き門」を読んで、なんだかよくわからなかったが、これを読んでもよくわからない。1930-50年ころはジイドの小説が盛んに読まれたらしいが、なんでだろう。この国ではめったにない心理の描写、エリートの自意識あたりに注目したのかしら。
 新潮文庫版は、石川淳の翻訳。たしか、彼の唯一のフランス語文書の翻訳ではなかったか。日本語の小説を書く前の仕事なので、うまいまずいはよくわからないし、のちの小説に反映したかどうかもよくわからない。なんで、この小説を翻訳しようとしたのかも含めて。

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〈追記2024/1/5〉
上山安敏「世紀末ドイツの若者」(講談社学術文庫
アンドレジードが一九〇二年に「背徳者」を書き、同性愛への憧憬を描き出した。しかし二七年後になって、それは自己の体験であったことを告白している(P204)
 この文庫が出た時には知られていることだから、解説に書くべき。(文庫の初出は1952年。改版や増刷のときに追加すればよいのに)。1971年に 川口篤 (翻訳)ででた岩波文庫がどうなっているかは不明。