odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「スフィンクス」(集英社文庫)-2

2022/09/23 堀田善衛「スフィンクス」(集英社文庫)-1 1965年の続き

 

 実は主人公の二人は様々な人やグループに目をつけられて、つかず離れずの監視を受けながら、利用されていたのであった。というのも、1962年のヨーロッパと北アフリカ、アラブの情勢をみると・・・。米ソの冷戦は当然の前提として、まずエジプトのナセルが企業の国有化を図り、米英支配の構図から脱却しようとしていた(なので同時代の大江健三郎「われらの時代」「叫び声」の若者はエジプトに行きたがる)。アルジェリアもフランス支配から独立する運動が起きている。フランスでは独立支援派と制圧派の対抗が起きる(フォーサイス「ジャッカルの日」の前史)。チェニジア、アンゴラなどでも独立運動があり、主に共産主義者が指導していて、西側諸国は何とか抑えようとしている(独立・革命の旗頭のコンゴのムルンバが暗殺された)。スペインはフランコファシスト政権があり、antifaの地下運動がある。旧ナチは西独・東独を離れ、各地で闇社会・裏社会の稼業をしている。ドイツとイスラエルは戦犯逮捕の秘密組織を使って旧ナチを摘発。大物アイヒマンをアルゼンチンで逮捕し、イスラエルで裁判が始まろうとしている。各国とも秘密の諜報組織があり、情報収集と摘発にいそしみ、ときに暗殺や拷問も厭わないらしい。これらの関係すると、どこか一つのイシューや組織に閉じこもることはできず、別の組織を協力したりされたりするのである。
 それが若い女性の主人公(菊池節子)の遍歴が起きた理由である。若い女性はイノセント(なふう)に地下運動をする人たちの間を行き来する。当時の西ヨーロッパや北アフリカでは中国人やベトナム人のほうが多いが、中国やベトナムの植民地支配の歴史から差別を受けやすい。その点で日本人は有利であったのだ。
 でもイノセントや差別を受けないという有利は、「スフィンクス」を理解や体得しがたいという問題を受ける。彼らの現在の運動もそうであるし、20年前の戦争が精神的に継続していることもそう。

「わたしたち(フランスのアルジェリア独立運動支援組織)は、彼ら(アルジェリア独立運動)を財政的にも援助し、また彼らは軍に入っているフランスの若者たちが軍隊から戦場から脱走するのを助けてくれています」(略)彼女らは、ドゴールに弾圧されながら戦っているのであったが。(P443)」
「西欧のもっている高貴な諸価値を守ってやっているのは、いまとなっては、実は、彼らと戦っているわれわれ(アルジェリア独立運動)の方なのだということに、いったい彼らはいつまで気がつかないままでいるつもりなのでしょうか?」(P480)

という発言にショックを受けるのである。
(敗戦と占領によって、日本人は戦争行為と戦争犯罪を語らなくなった。ときに語る者がいても、自慢話にして、周囲は咎めも戒めもしなかった。語るには厳しい行為であったのは理解。でも語らなかったことが、戦争の記憶と犯罪の反省をしっかり継承できなかったことにつながる。上の引用のような発言や思考は日本人のインテリから出てきたことはまずない。)

おそらく二十世紀の歴史のなかでの、もっとも輝かしく太陽に照らし出されている部分はしいたげられ搾りあげられていた植民地の独立であろうけれども、それが独立するについて、何とまた、それまでの歴史の暗い、あるいは最悪の部分を利用し、その歴史の暗渠のようなチャンネルを通って行かなければならぬことか。(P578)

 そのような独立を果たしていない日本は、彼らのようなチャンネルを通っていない。なので、通って行っている人たちを前にして立ちすくむ。「スフィンクス」の謎に答えられない旅人に似ている。(その主題において、本書は前作「歴史」「時間」の延長にある。乱世や激動の渦中にある人々や地域を、日本のインテリがみていて、手出しできないというところ。)
 みかけは素人巻き込まれ型のスパイアクション小説。まあ、民間人が主人公なので007のような拳銃の打ち合いはないし、暴力沙汰もめったにおこらない(菊池節子がアルジェリア独立運動の指導者と自動車に載っているときに、襲撃を受けて一命をとりとめるが、記述はのほほんとしたものだ。それも日本人のイノセンスの表れかもしれない)。それに地下運動や諜報組織の暗躍もクライマックスを迎えない。スパイも地下運動もすでに始まっていて、小説中では終わらない。なので、スパイアクション小説としては、不満だらけ。とはいうものの、ビジネスや政治をみれば、こういうだらだらとしたプロセスになるので、こち他のほうが「リアル」であるといえるだろう。
 かわりに、登場人物たちの知られていない関係が明らかになり、主人公たちに生活におけるハッピーエンドがつけられているとなれば、この奇妙な小説は小状況においては完結している。
 小説の構成からすれば欠点だらけであるが、むしろのちの作家の方法になった評伝と見たほうが良いのではないか。適当に抽出して引用したような省察が全編にちりばめられていて、それを拾い集めて作家の歴史と時間と「スフィンクス」の思想を見るべき。

 

 

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