odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ヴェルコール「海の沈黙・星への歩み」(岩波文庫) ナチスに対する非暴力不服従のレジスタンス。でも野蛮な権力には対抗できないので使い方に注意。

 作者ヴェルコールについては、wiki記事(ヴェルコール - Wikipedia)を参照。この文庫の解説で補足すると、イラストレイターだったのが、1940年夏のナチスドイツによるフランス占領から抵抗(レジスタンス)の活動を行った。収録された短編はそのときに公開されたもの。秘密出版編集と小説書きとして。以下の小説(物語=レシ)は占領下に発表された。戦後も抵抗文学の書き手として活動。なお、占領下での抵抗文学の書き手にはポール・エリュアールジャック・プレヴェールの詩人もいた。

海の沈黙 1941.10 ・・・ 占領下のパリ。「私」と姪が暮らすアパートの部屋を占領軍の将校が接収する。昼の任務を終えて部屋に戻ると、将校は「私」と姪にさまざまなことを語る。作曲をしている、バッハの第8序曲とフーガ(たぶん平均律の「前奏曲とフーガ第8番」)をピアノで弾く、フランス文学を語る、ドイツとフランスの文化に融合が必要、などなど。「私」と姪は口を開かない。海のごとく深い沈黙。将校は東部戦線への移動を志願し、部屋を出ていく。消極的抵抗のすすめ。
(ここで現れる敵は、インテリで、占領地の文化に深い尊敬と敬意をもっている。なので、家主への対応も礼儀正しい。でもそのような将校や兵士が来ることはまれで、フランスを占領したドイツ軍は市民を徴用し、美術品を強奪したりした。フランス人の中にはおべっかを使うものもいた。海のごとく深い沈黙を行いえたのは少数。なので、このおとぎ話を戦後70年を経て読むと、PKD「高い城の男」に似ているように見える。さて、フランスではそうだったのかもしれない。翻ってこの国が朝鮮や中国を占領したとき、われらの先祖の兵士や将校はこの物語の将校のように礼儀正しく、他国の文化に敬意を払っていたか、人権を尊重していたか。現地の人の食料や資材などを強奪しなかったか、婦人や子供や老人や病人を正しく扱ったか。我らの先祖の兵士や将校は海のごとく深い沈黙に衝撃を受けたのか。もちろん全部「No」。もうひとつ。この国で海のごとく深い沈黙で消極的抵抗があったとすると、国内(植民地、占領地をふくむ)で日本人が日本人の帝国主義や排外主義に対抗するときであると思うが、それはあったのか。あったとして、日本人の帝国主義者や排外主義者は海のごとく深い沈黙に自らを恥じ入ったであろうか。ヴェルコールの「海の沈黙」に対応するのが、永井荷風断腸亭日乗」になりそうで、荷風が消極的抵抗者に加えられるのを読んだりすると、自分はこの国の抵抗・レジスタンスの底の浅さに恥じ入りたくなる。)

星への歩み 1943 ・・・ チェコモラヴィア)出身のトーマ・ミュリッツの半生記。20歳ころに徒歩でパリにやってくる(この長い移動をトーマは「星への歩み」と呼んだ)。なぜかというとフランスは自由と正義(ジャスティス)の国であり、その市民(シトワイヤン)であることは誇りだから。人種差別にもあったがフランス人女性と結婚して、名実ともにフランス人となる。中年にいたって戦争と占領。抵抗レジスタンスに参加したトーマは、ほかの仲間とともに逮捕され、銃殺される。それまで平常心でいたトーマは、銃撃隊がフランス人の憲兵(当時はナチス傀儡のヴィシー政権)であることに驚愕、「ちがう・・・ちがう・・・」といって事切れる。
(逮捕から銃殺までの間には、サルトル「壁」フチーク「絞首台からのレポート」のような不眠の夜があったはずだが、ここではカットされた。ここで重要なポイントは、抵抗を示す人の中には、「移民」もいて、彼らをフランス人とみなす公正と反差別の考えはごくあたりまえのことであった。トーマはフランスの国家理念に深く共感していたので、自由と正義が当のフランス人によって裏切られていることを了解できなかったのだ。重要なのは、その失望や不快や驚愕を沈黙しなかったこと。叫び、つぶやき、うめいて、ほかの人に伝えようとした。)


 22歳で読んだときには、よくわからなかった。抵抗(レジスタンス)の文学だって? レジスタンスは敵に対してデモやビラまきやストライキやゲリラをすることなんじゃね、そういうことが一切書かれていないのになんで「抵抗(レジスタンス)」なの? ユゴ―「レ・ミゼラブル」第5部の蜂起こそが抵抗(レジスタンス)なんじゃね、と青臭く、観念的なことで批判できたつもりになっていたのだ(おまけに言うと、そのころある住民運動にかかわっていたので、当地の公安に氏名住所がばれていて、マークされていたのだった。ときに公安に不意の訪問を受けて、ビビったことだってあったし。そういう経験を「抵抗(レジスタンス)」に重ねたいとでも思ったのだろう。)
 それを初老で読み直すと、感想は変わる。これは体が俊敏に動けなくなった中高年の抵抗(レジスタンス)なのだ。ナチスと傀儡政権の暴力や不寛容が生活・労働を覆いつくしているとき、人々は活動@アーレントによって暴力や不寛容に対抗できる。レジスタンスのもっとも耳目を弾くのはゲリラや殉教であるかもしれないが、そのような個人的な「蛮勇」をふるうことではなくて、抵抗(レジスタナス)のもっとも重要なのは広範な人々が非暴力不服従で意思を示すことなのだろう。
 というのも、暴力と不寛容が社会を覆いつくすとき、社会が沈黙すると、暴力と不寛容を強化拡大してしまうから。フランスでもナチス占領期にそういう沈黙があった。この国の15年戦争時でもあったし、ソ連全体主義社会でも、スペインのファシズム政権でもあった(エリセ「ミツバチのささやき」でベッドの中の子供らがささやき声で会話するのは、消灯後の私語を全市民が禁じられていたから)。そのような沈黙した社会で、抵抗の意思を示すことは勇気がいることであり、人間性を試されるものであった。興味深いのは解説にあった、抵抗(レジスタンス)の現場ではカントの「人間を手段ではなく目的として扱う」ことが実践され、民主主義が実行されていたということ。抵抗レジスタンスは変革や革命を志向するのではなく、かつてあった自由と正義の実現を回復させるいわば「保守」的な運動。そこにおいては、グループ間の差異は棚上げされ、個人参加意思が最も優先される。なので、人間性や民主主義が発揮されるのだろう。
(最初の「海の沈黙」では、フランス人によるドイツ人将校への「沈黙」が抵抗の武器であり、意志表明であるとされる。ここは注意しないといけないが、この暴力や不寛容への「沈黙」は当の権力に対峙したときだけの方法であること。それ以外では沈黙は武器になるどころか、暴力と不寛容への白紙委任になってしまう。ここをしっかり区別しないと、暴力や不寛容に何もしないことのいいわけになってしまう。)
 自分の中で抵抗(レジスタンス)の考えが変わることによって、読み方がずいぶん変わってしまった。それというのも、この国には戦争文学や戦時文学はあっても、抵抗(レジスタンス)の文学はなかったから(プロレタリア文学は革命志向の文学で、自分が思うにはちょっと違う)。どうやって暴力や不寛容に抵抗(レジスタンス)の意思を示すか、具体的に何をするかについて、経験がとぼしく、思想の蓄積も乏しかった。それはこの国の文学と市民の運動を貧しくしてきたのかもしれない。希望は21世紀になってからの社会運動の変化。ここでは明確に抵抗レジスタンスが掲げられ、上で上げたような特徴が実践されるようになった。そこから抵抗の表現が増えて、広がるだろう。そのとき表現の担い手に小説や現代詩はなりえないだろうという(さみしい)予感がある。まあ、ラップやネット動画でいいじゃん、と前向きに考えよう。