odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ヘレン・マクロイ「暗い鏡の中に」(ハヤカワ文庫)

 自分が持っているのはハヤカワ文庫版。2000年ころに同書は古書価が急騰し、1万円くらいになった。これはいいぞとほくそえんでいたのだが、創元推理文庫で新訳が出て暴落した。まあ、タイミングをつかむのは難しいことです。

 さて、19世紀にサヴェ事件というのがあって、この名前の女性教師が生徒やほかの教師に同時に複数の場所で目撃される。それが何度も続いて学校を解雇されること19回。その後の消息は不明だが、19世紀の神秘主義者がこの事件を取り上げて、ドッペルゲンガーの実例と紹介された。
 第2次大戦も終えた1949年ごろ、寄宿制女学校のフォスティネ・クレイル先生(古典)は突然ライトフット園長に解雇される。理由は明かされなかったが(21世紀では不当解雇になるよ)、同僚に話を聞くと、生徒やメイドの不穏な噂によるらしい。食後などクレイル先生がぼうとしているときに、学園内の別の場所で彼女の姿を見かけることが何度もあったという。クレイル先生は前の職場でも同じ噂のために解雇されていた。噂を総合すると、サヴェ事件に酷似している。クレイルは失意のうちに学園を去り、自動車で数時間かかる別荘で静養することにした。彼女に係累がいないが、母の残した財産があって30歳になれば受け取ることができることになっている。後見人の弁護士は口を閉ざすが、宝石などの財産は高値になっていると思われる。
 学園でパーティが行われる夜、着飾った若い女性教師がベランダから転落して死亡した。目撃者の証言によると、クレイル先生の姿があったという。しかし事故の直前に別の女性教師(ベンジル・ウィリング博士の恋人でドイツ系移民)は別荘にいるクレイル先生と電話をしていた。このあと、ドッペルゲンガーで悩むクレイルのもとを訪問しようとして、路上で目撃した後、別荘で心臓麻痺を起こして死んでいるのを見つける。
 淡々とした筆致で、ドッペルゲンガーの恐怖譚が語られる。これが戦間期の探偵小説だと、全員で大騒ぎしたり、オカルトのビリーバーが予言めいたことをつぶやいたり、主人公に近い人に災いが起きたりするものだ。でも、この小説では主人公の探偵とフィアンセが合理的で冷静なので、その種の扇情的な事件は起こらない。上のようなパニックを起こす人がいても距離をもって眺める。学校の怪談で恐怖があおられることはない。代わりにあるのがしっかりした人物描写。クレイルに敵対的で意地の悪い20歳の女性教師(のちに転落死)、学園の名誉を気にして事なかれのオールドミスの園長、異様におびえる女生徒、彼女らの兄や父。彼らのささいな行動や会話が謎ときに生かされる。寄宿制女学校という閉鎖的な空間、そこに関与する人々のさまざまな思惑が人間関係を複雑にする。ここらは小説として見事そのうえで、さまざまな伏線を回収し、ドッペルゲンガーにも合理的な解決をつける手腕は見事。1920年代の長編探偵小説黄金時代に、可能性が開拓されつくしたと思われた後の「新しさ」を提出した見事な作品。
(ヘレン・マクロイの方向で進んだのがP.D.ジェイムズだったのだな、と妄想)。
 最後に、クレイルの殺された別荘で探偵と犯人が対決する。ここで通常の探偵小説のようなカタルシスが起こらない。探偵は犯人を追い込むことができず(主に物証がないことによる)、犯人の「正義」に訴えることもできない。そこは居心地の悪い、後味の悪い読後感になる。これも戦後作品の特徴とみることができるかも。他人を目的ではなく手段とするエゴイズムを克服する方法を科学や市民がもっていないという問いかけ。それまでの絵探偵小説のように探偵の御宣託で犯人が「へへー」と平伏する時代ではなくなっているのだ。ウィリング博士ですら追い込めないこの「犯人」をいったいどう処すればよいのか、読後はとても苦い(まあ冤罪防止のために、容疑の固まらない人は無罪という社会のシステムは残さなければならない)。探偵小説で得られるカタルシスが棚上げにされるわけで、そこまで書き込む意気やよし。この作家はただものではない。
 1949、1950年初出(クレジットにはコピーライトの年が二つ書いてあって、理由はよくわからない)。

暗い鏡の中に (創元推理文庫)

暗い鏡の中に (創元推理文庫)

暗い鏡の中に (1977年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

暗い鏡の中に (1977年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)