私が不審死を遂げたら開封してください、という書き出しで始まる長い手記がカリブ海の小島にある警察に届いた。中年の女性が船旅にでたのだが、周囲がなにかおかしい。文盲を装った男に手紙を書くように求められたり、勤め先の社主から預かった封筒から10万ドル(1948年のこの金額を現在価値になおしたらいったいいくらになるのやら)が見つかったり、爬虫類を専門にする動物学者は巨大な蛇と吸血コウモリを生きたまま船に持ち込んだがなにものかが鍵を開けて蛇を逃がしたり、自分の部屋が荒らされて手持ちの現金がなくなっていたり、彼女より10歳以上年下の銀行員がつきまとったり。しかも勤め先の電力会社の社主は数日前に落馬事故を起こしていたが、死亡した知らせが入り、そのうえ妻は事故以来失踪中。社主から預かった封筒をいろいろな人が狙っているのだろう。もしかしたら、自分は殺されるかも。ついに嵐の夜に、一緒に乗り込んでいた乗客の女性がタラップから落ちて死亡しているのが見つかった。そばには逃げた蛇もいる。
手記のあと視点は警察官に代わる(ウリサール警部は「小鬼の市」で活躍していて再登場)。検視の結果、事故となったが、気になるので乗船することにした。雑談や訊問などからわかったのは、動物学者夫婦はうまくいっていない(学者の夫は社会主義に傾倒、妻はたいくつのために夫を支配しようとする)。船のパーサーは別名を名乗っているが、死んだ乗客と結婚している。麻薬運搬で実刑になり南米で再起を掛けていて、どうしても金をほしい。電力会社はアメリカの渓谷の開発で係争中、乗客には電力会社のライバル会社が派遣した監視員(スパイ)がいる、など。動物学者のもっていた蛇毒の血清が盗まれた後、パーサーが蛇にかまれて死亡した。
(この船旅の様子は、ジョン・ディクスン・カー「盲目の理髪師」1934年やクリスティ「ナイルに死す」1937年などと読み比べてみよう。戦前は上流階級の優雅さがあり、終戦直後は階級がごっちゃになった猥雑さがある。)
もう一度、手記に戻り、ニューヨークについた中年女性の冒険。金の入った封筒は船で盗まれたのをパーサーの事件で回収する。社主の指示の通りに宛先に持参しようとするが、終戦後(アメリカではこの言葉はふさわしい)の復員兵が優先されてホテルを取れない。銀行員のアイデアで社主のニューヨークの住まいに押し掛ける。深夜に目をさますと、何者かが押し入った気配。機転で逃げ出すと、今度はワシントン行の電車の中で社主の妻が姿を現し、金をよこせと命じる。コンパートメントには二人きり。この窮地を抜け出せるか……(この逃避行はヒッチコックのサスペンス映画風)。
いろいろな細部をつぶして骨格だけになったまとめだが、小説の描写はもっと緊密。複数の物語が同時進行なので、メモを取っておかないと、主筋すらわけがわからなくなるよ。いくつかの死体には謎らしいものはない。初出の1948年当時ですら、もはや死体にまつわる「密室」「不可能犯罪」のようなひとつの謎では小説を持たせられない。その代りにたくさんの小謎が満載。「なぜ10万ドルを手渡しにしたか」「なぜ妻は夫の事故後失踪したか」「なぜ蛇の檻は二度も破られたのか」「なぜ文盲と偽って手紙を書かせたか」「どうやって10万ドルを船に隠したか」などなど。読み飛ばすとこれらの謎は忘れてしまうはず。そのうえで小説には書かれていない「なぜ詳細な手記を書いたのか」という謎も読者に預けられている。注意深くないと、物語の事件は朦朧としたものになって、彼らの行動がわけわからなくなるだろう。だから、最後の章の謎解きで一気に霧が晴れ、幾多の小謎が一つの構図にぴったりと当てはまっていくのにびっくりし、唖然とする。
パズルとしての探偵小説はクイーンの「国名」「悲劇」のシリーズで頂点を極めてしまったと思っていたが、ここには別の峰があった。そこからの眺めはみごと。本人作の中でも、別の人の「本格探偵小説」とされるものの中でも格別の完成度を誇る。このあとの20世紀後半のパズル小説の可能性を示唆していると思う。
読んでいる間は、自尊心が高い割に頭のよくない中年女性の、観察力に乏しい、冗長な手記にへこたれそうになる。そうであるのも理由があったわけなのだけど、少しばかりつらかった。でも最終章の謎解きで、いっぺんに目が覚める。この作家はただものではない。
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