odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

アラン「音楽家訪問」(岩波文庫) ベートーヴェンのヴァイオリンソナタをサンプルにして調性の形而上学を語る。

 パリの郊外でもあるような一軒家に住むミッシェルのところに、「わたし(アラン)」は16歳のピアニストであるクリスチーヌとともに赴く。ミッシェルはピアノの調律をすると、ヴァイオリンを手にし、クリスチーヌとベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを順番に演奏する。それを聞いていた「わたし(アラン)」との三人で、音楽談義を始める。重要な会話だということで、クリスチーヌが書き留めておき、全10曲を演奏し終わったとき、すでにクリスチーヌは30女になっていて、最後の演奏に立ち会った歌手リナルドの会話も含めて、全曲の解説を出版したのだった。
 という設定のエッセイ。1921年に雑誌に発表されて、1927年に出版された。

 このエッセイはどうにもとりとめがなく、自分のように音楽学に詳しくないものにはよくわからない。作品の解説もなければ、作曲者の生涯や思想にも言及がなく、他の作品の引用がなく、作品の反響は無視され、技術的な困難も素通りになり、社会の背景も記述されない。では何が書かれているかというと、調性について。ハ調が象徴するものとか、ハ調からロ調への転調の意義はなにかとか、楽章ごとに調性の違いがある意味とか。なるほど、調性は長調短調あわせて24あるが(という数字はバッハの平均律クラヴィーア曲集から採用したがそれでいいのか?)、調性ごとに聞き手が想像する感情や気分には違いがあるという。英雄の変ホ長調とか、いろいろ。ただ、ここでは感情や気分を表出するのではなく、表出されるのは概念(気品とか自然とか宇宙とかまいろいろ)である。そこは新しい見方。
(このような音楽や調性の形而上学化はドイツにもありそうだが、アランは「ゲルマン的な意味ではない」とくぎを刺している。別の文脈で、ロマンティシズムは音楽のもので、文学的表現は誇張になりやすいといっているから、ドイツ風の説明を回避しているのだろう。音楽はそれ自身以外のいかなる意味をもたないという主張は、すこしまえのハンスリックにも共通しそうだが、彼ほどの哲学化はしないようだ。)
 自分は彼の想定する読者ではないようで、感想はここまで。あとはとりとめなく。
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタを取り上げたのは、アランがよく知っているからだそうだが、ベートーヴェンを論じる際には取り上げられにくいもの。アドルノの「ベートーヴェン 音楽の哲学」でも言及はなかったはずだし、吉田秀和の「LP300選」でも推薦曲にははいっていない。そのうえ、よく知られて演奏されているのは5番「春」と9番「クロイツェル」くらい。クロイツェルが作品47で、この編成の曲を書くのは若いうちだけだったから、ベートーヴェンの生涯をたどるにはよいジャンルではない。交響曲弦楽四重奏曲ピアノソナタのほうが取り上げられる機会が多い。
・自分もこの曲集はほとんどなじみがないうえ、クロイツェルは別の人の手による弦楽五重奏編曲版になじんでしまったので、オリジナルのピアノ伴奏版は貧相に聞こえるという耳になってしまった。
Beethoven Kreutzer Sonata op. 47 Rare String Quintet Version
www.youtube.com

・書かれた時期は、第1次大戦の敗戦後。みごとに戦渦の記述なし。アランの本は読んだことがないが、岩波文庫のカタログなどの紹介などを見ると、社会や政治との関わりを避けていたような印象をもつ。他人との軋轢や衝突を避けて、世俗の話題を口にせず、芸術や自己実現に没頭するというのは知識人のひとつの在り方であるが、それは自分の興味をひかない。


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