odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

開高健「もっと遠く! 上下」(文春文庫)

 1979年作家48歳。右手のしびれ、肩の疼痛に悩み自分をポンコツと言いながら、アメリカ大陸を縦断して各地で釣りをする。総計九か月に及ぶ旅。「もっと遠く!」は北アメリカ大陸編。アラスカ―カナダ―USAをめぐる。相棒は出版社が指名した若者にカメラマン。作家はベトナム戦争他の戦場の記憶をよみがえらせるときもあるが、20歳は若いスタッフはすでにその知識がない。
 章のタイトルは映画から。監督名と公開年を調べておいた。作家は「洋酒天国」で映画の短評を担当するほどの映画好き。

大いなる幻影 ・・・ ジャン・ルノワール監督1937年公開。企画立案から出発準備まで。数年間は音沙汰なしだったので、「大いなる幻影」になるかと思えたとか。

河は呼んでいる ・・・ フランソワ・ヴィリエ監督1958年公開。アラスカでサーモンやトラウトを釣る。アウトドアの暮らし、釣りの方法について。旅の始まりは自分の省察から。自分の感情や心理の行き来にフォーカスして、他者はまだ見えてこない。

雨の訪問者 ・・・ ルネ・クレマン監督1970年公開。ヴァンクーヴァー(およびトロント)のグルメと水の見事さ。雨の中の海釣。

悲しみよこんにちは ・・・  オットー・プレミンジャー監督1958年公開。アメリカ、オレゴン州のコロンビア河でサッカーを釣る。雨で渓流が泥だらけ。

砂漠は生きている ・・・  ジェームス・アルガー監督1953年公開。ユタ州ソルトレイク砂漠の南端、パウエル湖でバスを釣る。トレーラー・ハウスとキャンピング・カーとハウス・ボートに見られるアメリカの富。ハイウェイの見事さ。
(昔(1974年)のセサミストリートで、ピート・シーガーを交えて通りの面々がなぞなぞを出すという回があった。小一くらいのガキが「What says the pencil to the paper?」と問う。答えが「Wright on me, Wright on!」。一同爆笑というのがあった。セサミ・ストリートの解説本がでていて、大学の先生はこのしゃれがわからないと言っておられた。この本の210ページを読んで氷解。70年代、「かっこいい」「イカす」「サイコウ」の表現の流行は「too much」「right on」であるという。ガキは「wright on」と「right on」が同音なのをかけて、「(僕に)書いて」「かっこいい」としゃれたのであった。「鉛筆は紙になんて言ったと思う?」「カッケー」、あたりか。若者の最新スラングはそこにいないと、かつ年齢を同じにしないとわからないのであった。)

暗くなるまで待って ・・・ テレンス・ヤング監督1967年公開。大陸を横断してマサチューセッツ州ケープ・コッドへ。夜釣でストライパーをねらって、釣れない。

海の牙 ・・・ ルネ・クレマン監督1947年公開。ケープ・コッドの釣りの続き。お守りを求めて夜の街に出る。成功。

女と男のいる舗道 ・・・ ジャン=リュック・ゴダール監督1962年公開。ニューヨークのポートレート

「貧と富、汚わいと清潔、栄養と飢餓、美徳と悪徳、剛健と浮草、活力と沈殿、古代と現代、極小と極大、いっさいがっさいが、自然なるままの、秩序ある混沌のまま、ひたすらに今日を生きることに没我である(下巻 P71)」。

モルグ(死体安置所)の見学。

奇蹟の人 ・・・ アーサー・ペン監督1962年公開。カナダのトロント市へ。30ポンドのトロフィー・サイズのマスキー(足のないワニとも呼ばれる)を釣り上げる。

誇りと情熱 ・・・ スタンリー・クレイマー監督1957年公開。前章「オタワの奇蹟」に同行したガイドの証言。
(かの国では、自分が登場しても、極力自分の存在を客観視するジャーナリスティックな文章を書ける人が多い。たとえば彼らの書く故人の追悼文。この国の人が書くと、自分の感情を前に出したウェットなものになりがち。自分の文章もそう。なので、かの国の人が書くような自分が第三者であるような文章を書けるようになりたい。)

俺たちに明日はない ・・・  アーサー・ペン監督1968年公開。フロリダ州セミノール湖。ブラック・バスに挑戦。南部の女、ベトナム帰還兵のガイド。

旅路の果て ・・・ ジュリアン・デュヴィヴィエ監督1948年公開。マイアミ・ビーチのホテルで背中の疼痛。注射と服薬で一晩で解消。老人たちの天国(インフレで生涯にためた貯金を食いつぶすもの多数)。ニューオリンズの老人たちのジャズ。


 1979年というと、ソニーウォークマンを、東芝が民生VHSデッキを出すなどしたころ。それまでは品質の悪い製品を安く売る二流品製造業者か、何でも買って手広く販売するかブローカーかであったこの国が、技術や製品やアイデアで先進国に注目されるようになったころ。当時の為替レートは1ドル200円前後で、オイルショックのあった時(300円)からするとずいぶん円安になって、海外渡航しやすくなったのであった。なので大学生が卒業旅行でヨーロッパ1週間の旅をするくらいになったのだが、「地球の歩き方」(1979年創刊)といっしょにこのルポはパックツアーではないもう一つの旅の仕方を夢想させるものだった。
 さてアメリカ大陸を主に自動車とモーテルを使って移動するところから、ナボコフ「ロリータ」ケルアック「路上」デニス・ホッパー監督「イージー・ライダー」などを思い出したくなる。スタッフの外見はそれらの登場人物の外見に似ていなくもない。しかし、作家の体調と出版社の予算はそうさせない。パックツアーで有名ホテルに宿泊するよりはるかに費用をぶち込んで、安全な冒険の旅をしている。なので、彼らの眼には上の3作が見たような路上の人々、虐げられた人々、現在苦痛にある人々の姿は映らない。いても、シャッターが降りている。彼らの貧困や苦痛を聞くことがない。それは当時のこの国が持っていた眼に他ならない。もちろんこの年を知っている自分にしても同様で、アメリカは憧れや希望のシンボルに見えていたはずだが、しかしここに書かれた格差や高齢化はこの本を数年遅れで読んだときにはすっかりスルーしてしまった。
 そして35年以上を経て読み直すとき、アメリカの1970年代の格差や高齢化社会はすっかりこの国に定着してしまった。このルポを読んで、1980年からしっかりした対策を取っていたらと歴史に文句を言いたくなる(バブル経済のおかげで、現在のどんちゃん騒ぎに熱中するだけ、国債の償還をしないで地方の要求にこたえて億円単位の金をばらまき、それが箱モノになって土建屋をうるおし、平成にはいって赤字が続いて財政を圧迫させてしまった、ああ)。
 作家の熟達な文章に酔い、キャッチ・アンド・リリースのスポーツを活字で楽しめばいいのだろうが、再読はとても苦かった。