odd_hatchの読書ノート

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石川淳「石川淳集」(新潮日本文学33)

 「石川淳集」(新潮日本文学33)の収録のうち、「荒魂」以外の短編について。半分は他の文庫と重複している。

普賢 1937 ・・・ 「普賢」(集英社文庫)と重複。

焼跡のイエス1946 ・・・ 「焼跡のイエス処女懐胎」(新潮文庫)と重複。

処女懐胎 1947 ・・・ 「焼跡のイエス処女懐胎」(新潮文庫)と重複。

おとしばなし堯舜 1949.05 ・・・ 「おとしばなし」(集英社文庫)と重複。

紫苑物語 1956 ・・・ 国の守(かみ)というから中世よりも少し前の話か。代々歌の家に生まれた宗頼、歌の血すさまじくはや9歳にて父をしのぐも、父の不興を買い、歌を捨て、弓の鍛錬を行う。すぐに、叔父・弓麻呂をしのぐばかりになるが、歌の家の家系を継ぐものと認められず、田舎里の荘園主として左遷された。そこには狩の獲物多く富み、夜もすがら狩に明け暮れる。その時、初めて狐一匹を捕らえるも、姿が消えた。そこから弓の血騒ぎ、家人女郎に弓を引く。宗頼には4歳年下の姫があったが、うつろ姫ともよばれる白痴の娘、宗頼が手を出すことをやめてより、家人の男を連れ込んでは床を共にする。宗頼には目代の藤内という家人がいて事務に優れていたので重宝しているところ、岩山にはいかぬようにと警告される。さすれば関心の赴くまま、足を進めればそこには平太なる若者がほとけを彫ることに血をたぎらせる。一飯のあと、平太は宗頼をさらせ、その帰途、千草という美しい女を見出す。ここにおいてようやく性の虜となった宗頼、血で領地を支配する次第となる。宗頼に唯一意見する弓麻呂を退けると、領内平穏と思われたが、宗頼、平太のほとけが気になる。実は最初に矢で射った狐の化身である千草の言にそそのかされ、宗頼、岩山の荒地を目指す。なすところはほとけに弓を射ること。千草の霊術の助けも借り、宗頼は岩山に赴く。題名「紫苑」とは、ものを覚えさせる草、いつまでもわすれさせぬ草であり、一方岩山には無名のものを忘れる草がある。いったい、この物語で、人物はいずれも対の人物を持っていて、すなわち、宗頼−平太、うつろ姫―千草、弓麻呂―目代の藤内、狐−犬、領地−岩山という具合。物質と反物質が衝突すると対消滅するように、これらの人物の確執が深まり緊張の果てののち、災厄が訪れる。一時的な勝利も、いずれははかなくなる。これらの対の人物の運動が宗頼という中身のない男をつきうごかす。そうして人間どもが消滅した先に、廃墟が残る。

ゆう女始末 1963 ・・・ 明治23年、おりから巡遊中のロシア皇太子ニコライ、大津にて津田三蔵に切りかかられる。即座に帰国することとし、天皇他を招待する午餐を開いて出立した。そこに、女中奉公のゆうなる女性27歳、国に代わって陳謝するため神戸を訪れたが果たさず、そのまま自害して果てた。その隅々を狂言風に描写し、ゆうなる女性を切支丹国の聖人・聖女伝に重ねあわせて論ず。

無明 1966 ・・・ 庄内藩士が店先の諍いで、武士を切り殺し、その場で自害した。そこから話が転がり、一人の武士が出奔し、討取りが派遣され、みごと敵を取るも、敵討ちは脱藩し、その追手がかかり、武業あっぱれを討取ったがまた追手がかかることになり。なんの因縁がそうしたものか、まこと武士は不自由なのか、藩の面子はそれほどの貴いものかと、哄笑と苦渋が乱れる。


 読んだ順番があとになるので、おかしな指摘になりかねないが、宗頼という男、そっくりそのまま「至福千年」「六道遊行」に現れてもおかしくない。まあ、マンガのストックキャラクターのごとく、仮面を入れ替えれば、どの小説にもありうるキャラクターだ。およそ主体や自我なぞないが、破天荒な性格と理解しがたい理屈で物語を縦横に駆け巡る。その動きがおもしろい。