odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

石川淳「普賢」(集英社文庫)

 著者の昭和10年代の作品を収録。あまり作者の経歴は知らないのだが、最初はフランス文学の研究者として出たのではなかったかな。ジイドの翻訳一冊があって(新潮文庫に「背徳者」が収められていた)、翻訳はそれきりにした。で「佳人」が最初の作。「普賢」で芥川賞受賞。でも翌年(1938年)「マルスの歌」が発禁となり、敗戦まで沈黙を余儀なくされる。その間、江戸文学と森鴎外の研究に没頭していたそうな。
 普通の文学青年が賞を受賞してデビューというような出世物語を経験していないのが、この人の生き方の面白さ(そのかわりに人物は奇矯であったらしい。「知識人99の死に方」「二つの同時代史」)。
 読み始めて異様に思うのはいつまでたっても読点を迎えない文章で、一文が40字詰めで3行4行続くのはあたりまえ、1ページに喃喃とする文章は珍しくもなく、途中で会話が加わってようやく読点を見出すという次第。そのうえ文節ごとに景色は変転し、人間の感情もまた幾多な物思いにふけるという、近年の文章作法から言うとおかしなものでありながら、それでいていい日本語を読んでいるという心地よさに満たされていく。主人公のモノローグはきわめて卑小な市井の俗物どもと思えるかのようでありながら、ときに無窮の観念と戯れながら人生の深遠に届くかと思う厳しさを見せる具合にもなる。こんな具合に強烈な影響を与える文体ではあるのだが、それを芸術として結晶化したとなると、これはもう石川淳のみに可能であったということになる。

佳人 1935 ・・・ ここには二つの話があって、ひとつは壮年ころの生活力のない「わたし」が田舎町で元芸者のミサと同棲する話。甲斐性のないくせに、空威張りして、つまらぬことを大いに気に病む男が、ミサに寄りかかり、突き放し、わがままに暮らすそぶり。いつか男は、死ぬ時は明晰な意識を持たなければならないという奇妙な考えにとらわれ、鉄道自殺を試みる。笠井潔「熾天使の夏」(講談社文庫)のいう「完璧な自殺」の先駆だ。もちろん失敗するわけである。もうひとつの話は、小説を書くことについての小説。書けないということと私小説の批判。このふたつの話に書かれていないのは、初出昭和10年、著者36歳のときの社会情勢か。中国との戦争は膠着し、共産党は壊滅し、国家は生活の細かいところに幅を利かせ、国家の番人面した連中があれこれ指図し、と鬱屈と不安があってもそれを書けない。書けないけど、文章と話からおのずと読者に知れる。こういう批評性と手だれた文章の妙が面白い。

葦手 ・・・ 漂泊の詩人と自称する黒木喬の50余日のどたばた騒ぎであって、まず本人は土地の任侠の家に住んでいるものの一年余りも滞納するに、大家はなにもいわず、というのも娘の嫁ぎ先のひとつと思しき様子であるが、博徒の鉄砲政が横から邪推して命を狙われるという仕儀に陥っている。一方、黒木の悪友である仙吉卯太夫は揚場に妾をもって仲間の拠点にしているが、そこには二組の家族が狭い長屋に同居し、仙吉の妾となった梅子と同い年くらいの妙子とで角突合せ、ときには黒木の手を握るのを互いに見せ合うという具合。あわせてもうひとつの恋の鞘当もあるとなっては、ぼんやりした黒木もおのずと人情に触れないわけにはいかないが、どうにも行動やら調停やらにも体は動かない。というのは、黒木も多年のぼんやり暮らしの中で、言葉が生まれる時もあり、その言葉の綴りの先にある精神をどうにかつかもうとあがいてもいるのである。すなわち、黒木は己の生活と、仙吉たちの生活の二つの世界を行き来しながら、もうひとつ言葉の世界にも遊ぶという三界を行き来するという忙しい体になってしまっているのだ。なるほど昭和も10年を過ぎていて、乱歩、横光、川端などのモダニストが筆のしのぎを削っているというのに、この常磐津に清元という風流な世界はどうにも古めかしい意匠と思うのであるが、実のところその小説の方法はおどろくほどに斬新なのであった。

秘仏 ・・・ 画家にして骨董商の友人一家は没落寸前。その妹はずっとなじみであるが、このたび芸者から遊女になることを決意する。その手付金のうち50円を「わたし」の前に出し、それで質屋のトランクを取り戻せ、そして念願の秘仏の由来記を書けという。飲んでしまうかも、と「わたし」の苦渋の笑いを「かまわない」とうつむく女。でもって、秘仏を売り払うことにしたのだが、画家は彼を追い払う。売り先の因縁が決まるトリッキーな一編。秘仏がどんな姿がまったく描かれず、その象徴としているものをあれこれと邪推することが読者に残された。

普賢 1937 ・・・ 題名の普賢とは普賢菩薩のことであり、仏教でいう・・・、知識がないのでやめておくことにして、この小説で普賢はさまざまな象徴をもっている。まあ、語り手の立場に応じてそれぞれ意味合いが違うのだ。時代は昭和10年代もなかばあたりかな。不況はますます厳しく、30の独身男がのらくら暮らすには限界もあり、語り手の私は企業ごろのような怪しげな経済雑誌に記事を書き散らしては前借を受けているのだが、やりたいのはクリスティーヌ・ド・デボンなる15世紀フランスの奇女の伝記で、ジャンヌ・ダルクと同時代の詩人。とはいえこんな時代にそのような物語に興味を持つ人もないのがわかりきって、筆は鬱々と進まない。書けないところでいかに書くか、物語の端緒となる最初の一行から如何に脱線し、だらだらと無駄話と身辺雑記に向かうか、その物書きの精神みたいなものが延々と書き連ねてある。およそ著者は政治的人間ではないにしても、書くことがそのまま危険である時代において、如何に韜晦するかは他人ごとではないと思え、たしか開高健の語った逸話で文革時代の老舎が政治状況を尋ねられた時、料理の話を立て続けに語り、そのまま姿を消したというのを思い出すと、そうそう精神の話ばかりとも思えない。かけないときはどうするかというと、酒場で知り合いになった同じく不遇を囲い、ときとしてそれを逆手に人に頼りっきり、自身はどぶどろの底にうずくまるという人物に会いに行く。そこにはモルヒネ中毒の女もいれば、40を過ぎてパトロンに寄生しようかと手ぐすね引く女もいれば、下宿の賄を買って出て「わたし」他の手元不如意な中からひねり出した銭金をくすねようとする女もいれば、チャイナドレスに身を包み夜ごとに高級娼婦となって成金に近づく女もいる。彼らに振り回されて、男どもは浅草、銀座、上野と場末の飲み屋、定食屋で焼酎をすする以外にすることもない。その滑稽な衝突はときに傍観者の「わたし」にもぶつかってきて、地下に潜った労働運動活動家を追いかける官憲から逃げることにもなるだろう。しばらくぶりに下宿に戻れば、出かける前を同じたたずまい、一語も増えていない原稿用紙を前に普賢を求めるのは、言葉と文が舞い降りてくるのを待つことなのであるが、そうは易く望みをかなえる菩薩ではない。酔狂のひと月のあとに、モルヒネ中毒の女は死に、「わたし」がベアトリーチェのごとくその美しさを脳裏に刻み、これこそ普賢の生まれ変わりに他ならないと念じていたユカリは長年の地下生活でことごとく美を喪失し、その兄もまたアルコールへの逃れでも逃れきれない追い立てを喰らってしまう。そこに書かれていることは下世話の数々、苦笑・微笑・失笑で済ませられるドタバタ騒ぎでありながら、読了後数日すると読者の背筋を寒くするような棘を刺していったのだと知れる。この低俗極まる韜晦、高踏趣味は著者にしかかけないものであって、著者30代半ばというのは文学の出発としては時を重ねすぎているとしても、その後の豊饒さを予感させるに足るまことに稀有な傑作。


 この時代は埴谷雄高「死霊」、椎名麟三「深尾正治の手記」木々高太郎「人生の阿呆」阿部知二「冬の宿」などと同時期。そこからこの時代のインテリの苦悩をかいまみることができるので、あわせて読んでおくとよい。