odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

筒井康隆「薬菜飯店」(新潮文庫)

 1986-87年にかけて発表された短編をまとめて1988年に出版。1994年に文庫化。これも繰り返し読んで、いったい何回目の読み直しになるのかな。


薬菜飯店 ・・・ 場末の中華料理店に入り、珍しい中華料理を食べる。実在しない中華料理の名前、それに対応する疾患。身体に起こる変調と健康回復。デトックスとか毒出しとか宿便とかみたいなニセ医療のアイデアにとても近いのだが、こんなに簡単に健康になりたいという「大衆」の欲望を反映しているのだろう。美人に気に入れられてサービスを提供されるというのも男の欲望の具象化。

法子と雲界 ・・・ もしも諸子百家時代に「虚構」学派がいたら。孔子孟子などの訓話の形式を借りて、虚構を操る師弟の行動を描く。ショートショート10篇で構成される圧縮された物語。

イチゴの日 ・・・ ブス(ママ)を生まれたときからアイドルにして、18歳の誕生日にけなそうという芸能界のプロジェクト。その当日、悪魔に魂を売ったアイドルの逆襲。

秒読み ・・・ 核戦争の最初のミサイル発射ボタンを押すことになった高級将校の苦悩。幻想の通学バスにのり、1950年代のアメリカの田舎町へ。キング「スタンド・バイ・ミー」のような青春小説のパスティーシュであり、SFの黄金時代の短編のオマージュ。

ヨッパ谷への降下 ・・・ その村には、乳白色に厚く張りめぐらされたヨッパグモが巣食い、人々の暮らしはその影響下に。ある女の後を追って、ヨッパ谷を降りていく。寓意も暗喩もありそうで、しかし何もさしていないような不可思議な風景。気付かなかったが、この小説には句点(、)がないそうだ。なるほど、息の長い文章を呼吸を止めるようにしてゆっくりと読むことが要求されているわけか。その静謐な文体もまた幻想みをましていく。

偽魔王 ・・・ 平穏な家庭に起きた悲劇。小学生同士の諍いが親を巻き込み、企業を揺らし、魔王界の波騒がし。グロテスクで残虐な描写が連続するけど、なぜか爽快感に。きっと「おれ」はこのような家庭争議には無関係だな、という傍観者・無関心の立場でいられるから。

カラダ記念日 ・・・ 俵万智が1987年に発表した歌集「サラダ記念日」のパロディ。できるだけ元歌の語感を残しながら、短歌好きのやくざが日常を歌うというシュールな光景を作り出す。


 いま(2014年)となっては、必ずしも好ましい短編ばかりではない。当時は目立たなかった食や医療のトンデモが幅を利かしているとなると「薬菜飯店」は能天気に過ぎるし(そういう作風なのだけど)、糞や臓物や血などがはじける「イチゴの日」「偽魔王」はすこしばかり痛みの耐性を失ってきた年齢で読み直すと気持ち悪いし(1990年代に流行ったスプラッター小説のはしりといえなくもない)、核戦争の恐怖から逃れるすべがヒューマニズムをもつリベラルな指導者の期待という「秒読み」もファシズムへの傾斜を指しているようだし、……という具合。あくまで読んでいる自分が変わったのであって、作家の問題ではない。
 この短編が書かれたのは、1986−87年にかけてで、振り返るとバブル経済の勃興から高揚していく時期。なので、この短編の背景には小説の書かれたり読まれたりする場所、すなわち日本という場所への肯定がある。表層の批判があっても(「イチゴの日」のマスコミ批判とか、「偽魔王」の平穏な家族への批判とか)、それを支える日本経済と政治状況にまでは批判は及んでいない。そこに全幅の信頼があってこそのハチャメチャ、グロテスクイメージだったのだろうな。この国のバブル時代の文学というと、自分は、村上春樹ノルウェーの森」と俵万智「サラダ記念日」(いずれも1987年)が典型で象徴であると思うのだが、これも加えてよい。