odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

柄谷行人「戦前の思考」(講談社学術文庫)-2

2018/11/26 柄谷行人「戦前の思考」(講談社学術文庫)-1 1994年の続き

 

 1990年ころの状況をみて、そのあとを予測している。四半世紀立って読み直すと、2010年代の不況や極右の台頭などで、予想がいろいろと当たっている。予言者とみるのではなく、このころ台頭した「ネトウヨ」的なものに適切に対応、反撃してこなかったことがレイシズムファシズムの台頭になったのだったと思う。ポストモダン相対主義や政治(に限らない)への無関心がダメなものをはぐくんでしまった。

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近代の超克 1993.04 ・・・ 1942年の「近代の超克」座談会や論文はまとまりがないうえ、当時の戦時統制をロマン主義的に肯定したという評価のひくいものだが、なかったものに注目するといろいろみえてくる。戦時統制社会で権力に対抗する政治的自由はなかったが、かれらは文学的自由を守ろうとしていた。それというのも、マルクス主義が弾圧されて、「近代」なるものが超克できると思ったのだが、彼らの依拠したドイツの哲学やフランスの文学は近代国家のないところの観念的な思想なので、オリジナルにおいて「近代の超克」をするものだった。彼らは主義に依拠する代わりに美学(「末期の眼」という非政治的な立場)で日常や政治の矛盾(個と全体、自由と統制、解放と侵略など)を乗り越えられると考えた。でも、何かを実現することは放棄。
(「近代の超克」の議論の無意味さに対して、著者は坂口安吾の「日本文化私論」1943年を対置する。坂口も美学で現状を批判するが、絶望において生を肯定する。)

文字論 1992.12 ・・・ 言文一致はしゃべるように書いたのではなくて、翻訳文から作られた文章。書かれた言葉をしゃべることで、新しい文体は流通し、「標準語」になった。江戸でも同じことがあって、武士のしゃべる言葉では通じないので、謡曲や漢文に基づく武士言葉を作った(おいらんの言葉もそうなのだろうな)。古代にもあって、漢文が入ってきて、それを翻訳するように文語がつくられた。例は「源氏物語」。作者は漢文ができるという。漢文では恋愛をかけないので、漢文を翻訳する大和言葉で恋愛の物語を作り、あの文体では恋愛以外書けない。律令制は中国の制度を採り入れる辺境属国に同時進行で起きて、漢文であることが必須。律令制は国家にするために必要で、仏教もそのような要請で取り入れられた。氏族はそれぞれ神をもっているので、天皇は部族の信仰を統合できない。そこで外来の普遍的で超越的な神を必要とした(同じ話はモーゼやペテロなどにもみられるなあ)。明治維新ブルジョア革命であるが、同時に封建制を郡県制に戻す復古革命(中国の革命の定義にあう)。日本は、漢字かなカナ交じりの文を作った。これが「日本的なもの」を形成している。外来の言葉は漢字かカナで書かれ由来が一目でわかる。抽象的な概念も漢字やカナで書かれ、外来であることを表示している。しかし「てにをは」の助詞はどの言葉も入れることができるし同一性をもっている(抽象的な観念や概念を入れ替えても、助詞の「無」の場所=それ自身には意味作用がないは不変。それが日本の原理になっている。
(前半は「日本近代文学の起源」をさらにその前で検討したもの。なるほど、翻訳で新しい文体が生まれ、それが「国語」になるというのは、西洋では言われてきたが、この国にもあるという指摘はいわれるまで気付かない。それだけ内面化されて、疑いを持つことができなくなっている。後半の話はどこまで学問的な正当性があるかわからないが、刺激的な考え。当時「日本人論」が盛んにあったが、たいていは皮相。それを言語分析でやるところがユニーク。)

双系制をめぐって 1991.10 ・・・ 日本は母系制とも父系制ともいえない二つの制度が両方あるあいまいなをもっている。先祖を知らないし無関心な理由で、血統にこだわらない。階層によってどの制度が強いかはいろいろ。支配層は男が母系的なものを利用するような権力構造であった(藤原氏、源氏勢力など)。その制度では同一性はどうでもいい。なので、中国化や西洋との接触があっても、熱狂して受け入れた後あきると排斥しないで分業にした(誕生や婚姻は神道、死に関することは仏教)。この交用の典型は漢字かなカナ交じり文(「文字論」参照)。明治維新後の西洋化は、双系制を父権制に一元化・一義化すること(言文一致でも語尾の「~だ」は男の言葉。この父権的な文章を女性作家も用いる)。家父長制は明治31年民法で正式化され、それが実施されると「イエ」の権力が強くなる。近代文学のたたかった「イエ」は古いものではなく、最近のもの(まあ、森鴎外のような武士階級には古くからあったかも)。この父権制=イエに従属することから主体性がつくられ、従属を忘れた頃に内面化される。大正ヒューマニズム。戦後知識人は共産党父権制に従属していたが、この権力が捨てられた1970年代。ここでは主体性が重要な問題になり、近代批判と一緒に現れた。日本の思想や制度の変化も、双系制と父権制のせめぎあいでみることができる。
(内容に圧倒されたので、感想はなし。「儒教とか武士道といった概念を、実際の階層やその生存の形態と無関係に見てはならない(P172)」というのは、クーンも科学史を見るときに言っていることと同じ。観念や概念を単体で取り出して抽象的に考えると、「今ここ」の思想や考えでいわば「色眼鏡」でみることになり、原因と結果を誤ったり、伝統や土着などとみることになったりする。そうならないために、歴史と突き合わせることが重要。)

自主的憲法について 1991.11 ・・・ 明治憲法が内発的につくられたというが、実際はネーションステートの体裁を整えないといけないという外発性で作られた作文で、憲法とは別の教育勅語が政治理念になるなど、憲法の態をなしていない。戦後の日本国憲法が外発的であるというが、そのあとから自発的に選択されたことが重要。第9条は原理として再画定すること(具体的なやりかたは書いていない)が必要。
(納得する内容だけど、憲法改正阻止にこの論旨は使えないなあ。かなりの知識と理解が必要。)

韓国と日本の文学 1993.09 ・・・ この年に行われた日韓の文学者が集まったシンポジウムでの発表。他の論文などで語られたことの再録。韓国の「ハングル世代」(1960年の政治運動参加者)は漢字を廃止した。そのような文の変更がネーションを形成する。ナショナリズムは何か(外国など)に対する意識なので、別の何かに対するときに差別意識を喚起するという指摘は重要。
(日本のナショナリズムが西洋諸国に対抗する意識であるので、アジア諸国にそのナショナリズムが向けられると、人種や民族の差別になるというところ。右翼やネトウヨの「愛国」がそんな感じ。)

湾岸戦争時の文学者 1991.02 ・・・ 湾岸戦争のときに文学者が集まって、戦争にどう対処するかという集会を持った。何も決まらなかったが、著者は「帝国とネーション」に書いたように、湾岸戦争宗教戦争ではなく経済格差に由来するナショナリズムの戦争であるが、過去からさかのぼる歴史的な対立という物語にしてしまう。ナショナリズムは言文一致の近代的な文体にあるので(それを使うことでネーション意識が培われる)、文学者は戦争を「文芸批評」しなければならない。
(文学者は戦争にどう反対するかという議論はなかった。「文学者」の肩書や職業はかっこにいれて、<この私>として行動すればよいので、結論がなくてもかまわない。高橋源一郎がこのときから運動する側の発言をしていたのが発見。)